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できたよ

 家庭科の授業で、手縫いの学習を進めてきました。
 最初は、まず玉結び、玉留め。日頃手先を使うことの少なくなった子ども達にとってはとても大変なことで、教科書で流れを覚えてから、大きなテレビ画面に私の手を拡大して写して、動きをまず見ます。今の子達は動画の世界で育ってきているので、教科書のような紙面ではピンとくる子がとても少ない気がしています。これは時代が進化してきていることですし、いつまでも教科書からとこちら側が固執するのではなく、進化していることに私たち自身が合わせていくことが大切だと感じています。

 ただ、合わせすぎて全てよしとするのも違うと感じるのが家庭科です。動画の世界はただ見るだけで、見ている方は一方的に受けて理解ですが、家庭科では、動きを見て覚えて自分が同じように身体を動かして実際にやってみる。最後は自分自身の身体で試していくことがとても大事なことだと思います。

 拡大された私の手の動きを見ながら一緒に何回も練習します。普段手先を動かすことが、今の生活環境の中では少なくなってきているので、指先を動かして糸をよったり丸めたりしていくことはなかなか子ども達にとってはハードルが高いものがあります。それでも、一緒に丁寧にコツを伝えながら手を動かしていくとクラスの三分の二ぐらいの子ども達はなんとかできるようになります。残りの三分の一の子たちには後から個別に教えます。

 そんなこんなをしながら、玉結びと玉留めができるようになってきたら、今度は波ぬい。これは先ほどの難しさはなく、コツを掴んだらスイスイと縫えていきます。
 次にボタンつけ。ボタンつけも構造を理解するとそれほど難しいものでもないので、仕上がりの美しさはそれほど望めませんが、なんとかボタンはつけられるようになります。
 ここまで来たら、本返しぬい、半返しぬい、かがりぬいです。時間をたっぷりとかけてコツコツと手を動かす感覚を身につけ出してきているので、随分上手に仕上げられるようになってきます。

 そして、最後はフェルトで好きな小物を自由に作るです。タブレットを個人持ちで配布されている時代なので、自分が作りたいものを事前に調べてきてそれをアレンジして作っていきます。個人差があるので、何か形になって仕上がればそれでオッケーです。自分の手を動かして作る喜びを感じることが大切だと思っていますので、学んだことを活かして、自分で物を作れた達成感を味わわせてあげたいと思っています。その積み重ねが自尊心につながっていくのだと思うのです。

 そんな中、なかなか手が遅い子が何人か出てきます。一生懸命に取り組んで遅いのは、まあ百歩譲りますが、できないからどうしても遊んでしまったり、投げやりになってしまう子も出てきてしまいます。

 ある子がやっぱり毎回取り組みがとても遅くて、今日が最後の手縫いだよという日。残念ながらみんなの半分にも辿り着けていませんでした。どうするのかなあと温かく見守ってはいましたが、ここまで時間を使ってちゃんと取り組まなかったのは本人の責任になるところです。大丈夫かな?と思っていました。最後の手縫いの時間でしたので、少し枠を自由に広げて、
「フェルトでどんどん取り組んで楽しい子はもっとしたらいいし、友達と教え合いたい人は安全を確保できたら一緒に作ってもいいし、自分が縫えると思うものに取り組んだらいいよ。」
と伝えました。

 するとその子が目を輝かせて質問をしてきました。
「先生、これを縫ってもいいですか?」
 それは、一年生の時から使い続けているボロボロになった防災頭巾でした。扱い方も乱暴だったのでしょう。布がたくさんほつれてビリボロ状態。なんとか形を保っている物でした。
「もちろんいいよ」
の私の声に、彼は喜び勇んで針を片手に防災頭巾を縫い始めました。

 私は心の底から喜びが溢れてきました。これが「できる。」だよね。個人差があるけれど、スイッチさえ入れば、いつも気になっていたものをちゃんと針と糸を使って良い方向にしていこうとする力。この喜びを体感して欲しくて私はめんどくさいことを丁寧に教えている気がしました。子どもの「できたよ」の一言に導かれ今日も一針です。

 手縫いの学習が今の時代に本当に必要なのかと聞かれることもありますが、自分の物を自分の手で治すことができる力をちゃんと育てておくことは大切だと感じています。

《れい》

小さな目
 チクチク縫って
  辿り着く
それは喜び
 自信に満ち満ちて



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