何物でもない日々の記録と、思い出と。
私は数年前から日記をつけている。note記事とは違い箇条書きだが、ちびちびと進めて、三年連用日記を一冊使い切った。
きっかけは祖父の死だった。
地元を離れて遠方に住んでいたので、死に目に会えないのは仕方がなかった。そう、仕方なかったのだ。
連絡を受けたその日、会社から走って帰宅し、新幹線に飛び乗り、まだ着かないかまだなのかと急かす気持ちで座っていた。今更急いだってどうしようもない、とはそのときまったく思わなかった。と思う。当時の記憶はあまり無い。涙をこらえるのに一生懸命で、目の周りがずきずきと痛かったことだけを覚えている。
祖父の遺品に、十冊近くの日記帳があった。祖父はまめな人間で、書くのが好きな人間だった。一方の私は、書くことは好きだったが三日坊主のたちで、夏休み中の日記でさえ面倒で放置する子供だった。
葬儀が終わっても、私は日常に戻り損ねていた。とにかく涙が出る時期は通り過ぎていたが、何気ない場面でふと思い出にひたることが多くなっていた。その都度「ああでも、もういないんだな。会えないんだな」と気が付いてしまい、動けなくなってしまう。
そうした中で、私は日記帳を購入した。祖父が使っていたのと同じタイプの日記帳。
そのころはまだ、何を吐き出したいかもわからなかった。きっと、何でも良いから祖父と同じことをしてみたかったのだと思う。子供のころ、祖父の真似をして意味も分からず難しい本を読んでいたように。
三年連用日記は記入するスペースがあまり大きくない。手始めに、日々のニュースを書き写した。書きたい事があるのではなく、日記をつけるという行為が目的だったので、それで十分だった。そうしているうちに一か月経っていた。
会社や人間関係でつらいことがあったときのことも、少しずつ書くようになった。
祖父の誕生日には「祖父、誕生日」とだけ書いた。命日も同じく。
友人と遊びに行ったことや、面白い本を読んだら書名を書いたりもした。あとは天気とか、疲れてどうしようもないときは「眠い」とだけ書いてあるとか、手抜きもあったけれども、一年が経った。
そのころには日記をつけることが習慣化していたので、面倒と思うことなく書いていた。
一冊の日記帳を使い終えて、私は一年目の記述から読み返した。かなり愚痴っぽいことを数日に渡り書いていることもあって、なかなか面白い。気持ちに波があるのがわかる。楽しいこと、嬉しいことがあった日の記述は意外と短い。けれどもその一文を読むだけで、幸せな気持ちがよみがえってきた。
あれから三年経ったのだ。
今年は墓参りにも行くことができない。実家の夏は遠く、なつかしい。幼いころに私を見守ってくれていた人たち、もう会えない人たちに「ありがとう、私は元気にやっています」と伝えたい。
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