結婚式でわざわざ自分が主役にならなくていい理由がわかった
結婚式についてこれまでつらつら書いてきましたが、世の中の人が「ゲストを呼ぶ」ことについてこだわっているのか疑問だった。コロナ禍で感染がどうだなんだかんだ、という問題もゲストを呼ぶことにこだわらず家族婚にすれば悩まないこと。どうして家族以外の人を呼んで結婚式をしたいのだろう。ご祝儀の回収かな?と歪んだ想いが生まれてしまう。そういった邪悪な想いを除外したとして、晴れ姿を見てもらいたいっていう気持ちってなんだろう?モデルでもないのに?写真で見せるだけじゃダメ?
もう充分目立ってきたんだという気付き
目立ちたがり屋だったし、人と違うことが嫌。成人式でも全身真っ黒なスーツで髪はド派手に、一際目立っていたように思う。晴れ着のなかでスーツ着る快感。今考えてもよかったなぁ。(当日振袖借りるのが高すぎてその金で他のことしたいしスーツ買いたいってことで親と意見が一致、振袖で写真は残したかったので前撮りはした)
そして一つの結論にたどり着いた。
もうこれまでの人生十分目立ってきた。
わざわざ自分のために人を呼んで自分が主役です、と示さなくても十分注目されてきた。そしてそのことに少し疲れた。
覆面作家に徹するのは
何だか今の職業にも通じている気がする。
私は曲作りを仕事としているが、そのクレジットが載ることは殆どない。ごく稀に歌物提供で芸名が載ることはあれど、シンガーソングライターやアイドルのように顔を出して自分を売り出すことはしない。
「有名になりたい」という欲がどこかのタイミングでばっさり抜け落ちて、できればこっそりエゴサして楽しみたいと思うようになった。
弾いてみた、歌ってみた、その他曲を愛している感想が呟かれたり、自分の曲がそっと誰かの生活の彩りになっていればそれで嬉しい。
ありがとう、私の曲を愛してくれる名前も知らない全ての皆様。
世の中音楽で食っていけない人が多い理由は簡単だ。
有名になりたいという欲が邪魔している。
誰も個人が秀でることを求めていない。
求める曲を提供するのみ。場合によってネームバリューのために作家が売れている必要はあるけど本体を表す必要はない。作品の印象が本人の不祥事によって変わってしまうように、中身を露わにして良いことなんて殆どないと思っている。
過大解釈しすぎかもしれないけど、本体を露わにしなければ誹謗中傷で自殺してしまうような芸能人は救われたのかもしれない。
承認欲求が満たされた結果が今の私を作っている
承認欲求がこれまでの人生で満たされた結果、結婚式でわざわざ友人を呼ぶことに嫌悪感があるのかもしれない。今更わたしの晴れ姿見せなくても、もう節目節目で充分センターで写真撮らせてくれたもん。ありがとう。
もし、人を呼ぶことがあってもギャランティ発生するくらいの話だ。それを踏まえて結婚式開催するっていうなら相当もてなさないと。
だからこのnoteも身バレを恐れているし、自分の経歴がアイデンティティであることを誇っている。知っている人が見れば私であることが一目瞭然だから。
コロナをきっかけに、結婚式を何のために挙げるのかいま一度考えるフェーズに来てると思う。
あなたは誰のために、何のために結婚式したいですか?
お読みいただきありがとうございます!
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