心の太陽 ~ 図書館で生まれ育って ~
中1。B5サイズぐらいの、ちょっと前のトイレットペーパーの芯のような、裏表微妙に色の違う茶色い厚紙が2枚。母の内職で不要となった紙だろう。制服を着た笑顔の女の子達の絵と、力強い黒と蛍光の黄色いペンでいくつかの詩が書かれている。
「明けない夜はない」
「空を見ろ。雲の上には太陽がある」
「泣きたいだけ泣け。涙枯れたら笑えるから」
文面はもう少し長いが、そんな内容だ。笑顔とか光だとか、よく書けたよなと思う。ひとり泣きじゃくり、「ご飯だよー」の呼び声でその紙をじっとみつめ、平気な顔して茶の間に降りる。
小6。担任の先生が決めた学級通信の名前は、太陽の子。実際に明るく元気なクラスだった。卒業記念にもらったカセットテープに吹き込まれている「心に太陽を持て」の呼びかけは、誰が何を言っているかさえも分かるぐらい、今でも暗唱できてしまう。同じテープに「たんぽぽ」という曲の替え歌で、クラスの歌が入っている。給食の時間の校内放送で学級紹介をするために作られたとはいえ、私には特別だ。だって、あの図書館で出来たのだから。
本の裏表紙に貼られた茶封筒に、生成り色の貸出カードが入っていた時代。紙芝居が並ぶ棚の奥には、目録カードを保管する奥行きの長い引き出しが並んでいて、そこからあらゆる本の言葉たちが飛び出してくるかのように鉛筆を走らせる。
「どんなことにも負けないぞ。明日に挑戦頑張るぞ。仲間と共に助け合い、大きくなって翔び立とう。」
級友と飛ばした綿毛は、みんなの心に花を咲かせただろうか。
ひそかに〝たんぽぽ席〟と名付けていたあのテーブルでの思い出は、それぐらいだ。幼い私は、廊下をすり抜けた管理人室で贅沢に本の世界に入り込んだ。時には集会場の広い和室で、大人が紙芝居を読む真似もした。引っ越してからは、ランドセルをキルティングの絵本バッグに換えて自転車に飛び乗る。見慣れた景色、いつも通りの駐車場、変わらぬ建物。錆び付いたドアノブを右へひねり、きしむドアを引いて、いざ私の宇宙へ。境界線を越える一歩。思いっきり空気を吸い込む。
そう、この匂い。懐かしさの余韻に浸る。なのに、何故だろう。好きだったはずの静けさがやけに淋しい。分かっているのに廊下まで出てしまう。もう管理人室には、見知らぬ靴が並んでいる。なんとなく座って読む気になれなくて、長居することはなくなった。だからあのテーブルは、借りる本を一時的に置いておくだけのものだった。背伸びをして覗いていた難しそうな本の並ぶ棚のガラス扉が、いつしか私の姿見となり、後に移転のためそこは更地となった。
もう姿形もない図書館を、私が本棚かってぐらい覚えている。絵本、小説、詩集、占い、料理、山菜ときのこ、絵画にスポーツ、市報ファイル……。つい指先でさすってしまう新刊の表紙、思わず嗅いでしまう黄ばんだ古書の匂い。いくつもの世界が待っていて、そのどれもが私を夢中にさせる。木造宇宙船は、ずっと私の胸の奥で動いていた。
目を閉じれば聴こえてくる。パチパチと響く長い煙突のついたストーブ。その横では、少しずれた時を伝える掛け時計の振り子が揺れている。水槽の金魚が優雅に泳ぎ、木漏れ日が壁に水面を映す。きしむ床を滑るようにそっと歩く足音だけがペタペタと響いている。西日が差せば子ども達が集まり少し賑やかにもなるが、その趣を知ってしまうのが早すぎたのかもしれない。廊下から聞こえてくるピンク色の公衆電話と選挙カーのけたたましい音で、一気に現実に帰還した。
閉館時間を過ぎると外に飛び出し、駐車場で夕陽が沈むまで遊んだ。すぐ近くの交差点から聞こえてくる歩行者信号の音楽を口ずさみながら、離れの石壁に向かってボールを投げたり、影絵をしたり、かごめかごめや花いちもんめもした。石壁の得体の知れない建物のことは、軒先に集まる雀達のでかすぎる家ぐらいにしか思っていなかった。いや、雀のお宿がおとぎ話ではないと信じたかっただけなのだ。
廊下の突き当たりに、茶色いサンダルが並ぶタイル貼りの男女兼用トイレがある。その横で照明が光っている。きっと非常口の看板は玄関を指していたのだろう。なぜ扉の鍵がかかったままなのか、不思議で仕方なかった。緑色に照らされた謎の扉。それが、目の前で一度だけ開いた。
古書が並ぶ不思議な空間。大人達が重そうな段ボール箱を持って階段を上がって行く。ここは蔵というものらしい。二階はどうなっているのだろう。厳重な雰囲気と衝撃とで、子どもながらに遠慮をした。図書館にはあんなに本がたくさんあるのに、それが全てではなかったのだ。無限に広がる宇宙の叡知が詰まった、魔法の扉を開けた気がした。
思いを巡らすほどに蘇ってくる、記憶。霞むままであることも美しい。もし今あの場所に立てたなら、こんなに低かったのねと微笑むだろう。そして、あの頃の私にこう告げよう。「勇気を失うな。くちびるに歌を持て。心に太陽を持て。※」索引を持つあなたの手を、今もなお信じている。
人間だから、生きているからこそ、時には笑顔が消えて記憶が痛い時期がある。神をも恨んでしまうほど、無駄に時間(とき)を刻んでいるように思える日々もある。あそこに行けば必ず友達がいることも、どんな友も個性は違えど寄り添ってくれることも知っているはずなのに、言葉は私に優しさも激しさも兼ね備えてくれたおかげで、いまだに仲良くなれやしない。「わたし」のマニュアル本はどこにあるのか。唯一分からない私という何かのために、友はずっと励まし続けてくれている。きっと、あの時も、これからも。あの場所で希望の灯台のように、闇の中で彷徨う私が手をかけるのを、ただひたすらに待っている。
生きることを諦めかけた中1。何のために生きているのか、私には何があるのか、そんなとりとめのない事ばかり考え、一方でやり過ごすことが上手にもなった。今こうして、本が好きとか図書館が好きとか、そんなことは簡単に言えるけれど、その背景にある環境を与えてくれたのは両親だ。ありきたりだが、それは恩恵でしかない。裕福さや派手さとはかけ離れていたのかもしれないが、幼少期に図書館の管理人室で暮らすという異色な経験は、私をこんなにも潤わせてくれた。世界遺産にも自然美にも劣らぬ、私だけの宇宙空間がここにある。まだ眠っている種を探すのはもうやめよう。「わたし」のマニュアル本は、やっぱりなくていいか。思い出すだけで良い。索引というコンパスを手に、進んで行こう。私なりの太陽を、心に見つけた。
※山本有三『心に太陽を持て』より引用