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さよならベイベー

元カレの歯ブラシ捨てられない問題。

光栄だ、人類が長らく挑んできた壮大な問題に、私も参加させてもらえる日が来るなんて。

(というか、なぜ私は特に共通価値に代わりもしないのに身を削ってこんな文章を書いているのだろう。そもそも個人の惚れた腫れたなんてのは文章にしたところでつまらないに決まってる。意味がわからないな)

もし仮に、もし本当に仮にだけど、今後持ち主がこの部屋を訪れたとしてももう使えないくらい、歯ブラシは埃をかぶっている。

私は今日も、元カレからの別れの言葉をお守りみたいに読み返す。その文字列は優しくて痛切な青い光に溢れていて、画質もよかった。PDFで送られてきたからだ。

お別れの理由は、簡潔にいうと、私の希死念慮があの人の心を壊してしまったことだった。ひどい話だ。
私のセルフイメージは酸性のオクサレ様で、身体がどろどろと溶けている。きっと手を繋ぐことやハグをたくさんせがんだから、その分あの人をいっぱい痛くさせてしまったんだな、と思う。

全然関係ないけど、「よ」というひらがなの見た目は、なんだか風になびく旗みたいだ。旗ってなんだか、祈りのイメージがある

私はたぶん、この先ずっと人と付き合えない。彼と復縁することも、その他の人と付き合うこともできない、だって私は死にたいから。笑顔になれないし、元気を出せないし、悲しくなるのが得意だし、ほんとうに死にたいから。私は、私の好きな人には、ポジティブで瑞々しい死生観を持つ人間と恋に落ちてほしいから。今回起こったような悲劇を、誰にも味合わせたくないから。そしてほんとうはそれを超えて誰かに愛してほしいと願っているけど、そんなことは起こらないと知っているから。この先、寂しさにかまけて誰かと懇意になることがあっても、きっとすぐに破綻するのだと思う。やっぱりひどい話だ。

なんだか腹も立ってきた。失恋してから私は、泣いたり悲しんだり怒ったり人を傷つけておいてのんきに失恋ムーブしている自分にぎょっとしたり、忙しい

だって、私はここにいて、死にたいけれど生きていて、それ以上のことはないのに、ひとりで平気と強がる日々はダサいよってポしなも言っているから、ちょっくら誰かとデートしたりしようと思っただけなのに。私が言葉を紡ぐには、眠れない夜も死にたい朝も離脱症状でふらふらになる昼もぜんぶ必要だったの。いい文章だねって言っておいて、その副作用を認めないなんて、そんなのずるい。大人にしか思いつかないような、よくない言葉を使いそうだ。
自分は加害者だからさ、と流し目でため息をつくことと、人を傷つけておいて喚き散らすことは、どちらが幼稚な厚顔無恥だろう?そんなことを比べる意味はなく、そもそも加害者の加害後の行動なんてものは存在していないのに等しい。ただ傷ついた心がそこにある。私の行ったことのないその部屋に、あるのだ、あるのだ。あの人はもう、私のお土産を捨てただろうか。


ここまで書いて本当に本当のことを告白すると、私はこんなにもスムーズに呼吸をしています。
泣きながら別れないでと駄々をこねたあの2時間にも、ついに私の主観が俯瞰を焼き払うことはなかった。
言葉を愛するように人間を慈しめないことが、メタの皮膚を貫通してこない程度には、悲しい。

祈ることしかできないな、と思う。
私は私のために祈ること以外には、本質的にはどんな行為もできないのだと思う。
感謝も謝罪も愛することも、それを差し置いては成立し得ない。



「いない、いなーい」

おかしいな。私の大切な彼がいない。さっきまで私のベッドにふたりで寝転んで、おしゃべりしていたはずなのに。どこにいったんだろう。声が聞こえたから、きっと近くにいるのだ。どこかしら。彼がいなかったら、私はどうすればいいの。彼に何かを伝えることそのものが、私の救いだったのに。途方に暮れていると、目の前にあった大きな二つの手が開く。瞬間、

「ばあ!」

大きな声がして、おどけた彼の顔が目の前にぬっと。いつもはよく動く口を大きく広げて、愛おしい目のラインはこれでもかと開かれて、私は声を立てて笑う。さっきまでいなかった彼が、冬の陽光の中に現れたことが嬉しくて、おかしくて、こらえきれない。


あ、そういえば、池袋の、東口のドンキちょっと行ったとこにある生搾りオレンジジュースの自販機は350円だったよ

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