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原因を複数思い浮かべる

「そんなことをするなんて自己責任でしょう」
そんな言葉が飛び交った2018年でした。

自己責任というのは,結果の原因をその人自身に求める言葉です。もちろん,「そんなのは自己責任だよ」という言葉は,単に原因の結果を求めているだけではなく,他の意味も含んだ言葉です。今使われている自己責任という言葉は21世紀に入ってから大体今のような意味で使われるようになった言葉でしょう。

責任の意味にはいくつかのものがありますが,ここでは「自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い」という意味ではないでしょうか。いずれにしても他者に対してこの言葉を使うことは,「あなた自身にその結果の原因を求めます」と宣言することになります。

原因を求めることを心理学では原因帰属と言います。ずいぶん昔から,心理学ではこの原因帰属についての研究が行われてきました。今回はこの原因の枠組みについて見てみましょう。


原因を求めたい

何かが起きると,人間は原因を求めようとします。けっこうそれは自動的で,いつの間にかもとめてしまうようなものです。

考えてみれば不思議なことなのですが,私たちは原因がわからないことは「気持ち悪い」と思ったり「スッキリしない」と思ってしまうようなのです。

たとえそれが全くもって論理的におかしなことであっても,「その原因はこれなのですよ」と言われると,どこかスッキリするところがあります。

妖怪

日本では昔から,何かよくわからないことが起きると,その原因を妖怪のせいにすることがありました。夜道を歩いていて不思議な音がして何が原因かわからない時,「あれは妖怪が小豆をといでいる音に違いない」というふうに原因を求めるということです。

本当にそんな妖怪がいるかどうかは分かりませんが,とにかくそういう存在を作り上げてでも,ものごとを納得したいという心の動きが想像されます。

そういう意味で,何でも原因を妖怪に求めてしまう妖怪ウォッチは,妖怪として正しいあり方のように思えてきます。

原因の確定

何かが起きた時,その原因を「これだ」と本当に確定するのはなかなか難しいことです。私たちが観察できる範囲は限られていますし,見えないところにあることが原因になることだってありえます。

それに,なにかひとつだけの原因でそうなることなどほとんどありません。講義の単位を落としてしまったのは,あなたの勉強が足りなかっただけでなく,教える側にもなにか問題があったかもしれませんし,たまたま問題の出し方が偏っていたからかもしれませんし,試験の当日に調子が悪かったからかもしれませんし,それらが次々と起きて重なってしまったからかもしれないのです。

私たちにできることは,観察できる範囲で複数の原因の候補を出して,それらを重みづけるように評価していくことです。私自身,「それは原因のすべてではない」とつねに思っておくことが重要だと,時々思い返します。

原因を求める3軸

心理学者のワイナーは,私たちが原因を考えるときに3つの要素から成り立つという説を提唱しました。

その3つの要素とは,次のようなものです。

1. 内的—-外的
2. 統制可能—-不可能
3. 安定—-不安定

これらについて,ひとつずつ見ていきましょう。

原因の位置

まずは位置の次元です。これは,原因がその人自身にあるのか,その人以外にあるのかということを意味します。

最初に示した「自己責任」という言葉は,この次元で言えば「内的な原因」を考えているということになります。

たとえば,何か成功したことや失敗したことを思い浮かべてみてください。そして,成功したときに「その成功は自分のおかげだ」と考える人と,失敗したときに「その失敗は自分のせいだ」と考える人をイメージしてみてください。
同じ内的な原因を求めているのに,なんだかずいぶん違うイメージの人物像にならないでしょうか。

「自己責任だ!」という言葉は,たいていは失敗したときにその人自身に向けられる言葉だと思います。

統制可能性

ふたつ目は,統制可能性の次元です。これは,原因をコントロールできるものと考えるか,コントロールできないものと考えるかを意味します。

たとえば,何か失敗してしまったときのことを考えてみてください。自分でコントロールできる原因を思い浮かべれば,次はそこをなんとかすれば良いという形で改善につながっていきます。ところが,コントロールできない原因を思い浮かべると,それは自分ではどうしようもないことだというように,あきらめになっていってしまいます。

ワイナーは,統制可能性の次元は感情に関連すると述べています。「自分で何とかできる」と思うか「どうにもならない」と思うかは,あきらめや希望や無力感などにかかわりそうです。

安定性

3つめは安定性の次元です。これは,常にその原因があると考えるか,たまたまその原因があると考えるかを指します。

たとえば,試合に勝ったときにその原因を考えて,たまたま起きたことに原因を求めるか,いつもあることに原因を求めるかを考えてみてください。それによって,その勝利の評価もずいぶん変わってしまいそうではないでしょうか。「それはたまたまそれが原因で勝ったのでしょう」と考えると次は期待できなさそうですし,「いつもそうだから勝ったのでしょう」と考えると次も期待できそうです。

ワイナーは,安定性の次元は期待に関連すると述べているのです。

内的プラス

さて,「この結果はおまえ自身のせいだ」と言ったとしても,それだけではちょっと表現が曖昧です。

その原因は,ここで説明した3つの次元にかかわります。

どういうことかというと,内的な原因を求めているのはわかるのですが,それ以外の要素についてはそれだけではわからず,想定する内容によってその言葉を使うときどきで使い分けることができてしまうからです。

そもそも,たいてい何か失敗したときにこういう言葉を使います。では,何か失敗をしたとして……

◎「おまえのせいだ!」+ 統制可能で安定している
 = 失敗したのは,あなたの努力がもともと足りないからだ!
◎「おまえのせいだ!」+ 統制可能で不安定
 = 失敗したのは,あなたの事前の準備が不足していたからだ!
◎「おまえのせいだ!」+ 統制不可能で安定している
 = 失敗したのは,あなたの能力や資質が足りないからだ!
◎「おまえのせいだ!」+ 統制不可能で不安定
 = 失敗したのは,あなたの体調不良からだ!

「おまえのせいだ!」と言って,それに対して何か反論されたとき,これらを便利に使い分けてしまっていないかな,ということを思ったりしたのでした。

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