研究の流行を追ってみる
今回は自己愛(ナルシシズム)の研究がどうやって広まってきたのかを見てみたいと思います。これをひとつの例として,ある領域の研究が始まり,広がっていく様子を一歩引いて眺めてみようという試みです。
1980年代と90年代,そして21世紀に入っても,特にアメリカのパーソナリティ心理学ではナルシシズムの研究が盛んに行われてきました。特に初期は,今のように市民権を得た概念ではなく,少し変わったテーマという位置づけでした。
下でも書きますが,2011年から2018年までの8年間に,“narcissism”をキーワードにもつ論文・文献は2500本以上出版されています。もともと精神分析学上の用語だったのに,いまでは基本的かつ重要なパーソナリティ傾向のひとつとして扱われるくらい,メジャーな概念になって広まってきたということです。
このように概念が広がると,初期の頃に研究していた研究者はその開拓者とみなされます。研究者としては,自分の研究がそうなってほしいという願いをもつものではないでしょうか。
では研究が広がっていく背景には,どういった要因があるのでしょうか。
自己愛の研究数
下のグラフは,心理学関連の論文データベースPsycINFOで"naicissism"がキーワードに使われている文献(論文や書籍)の記事数をしらべたものです。
グラフを見ると,1980年代から文献数が一気に増加してきたことがよくわかります。2011年以降だけでも,2500本以上の記事がデータベースに登録されています。8年間ですので,年間300本以上です。
そしていまのところ,その衰えは感じさせません。
精神分析学の概念
もともと自己愛(ナルシシズム)は,フロイトのエッセイ“On Narcissism”という文献で取り上げられたことで知られるようになりました。しかし,1960年代になるまで,その概念はほとんど注目を集めることはなかったようです。
上のグラフでは1960年代から記事が増え始めていますが,これは精神医学的な領域で,パーソナリティ障害のひとつとして自己愛パーソナリティ障害の症例が取り上げられるようになる時期に重なります。
1970年代にオーストリア出身でアメリカの精神分析学者で自己心理学を確立したハインツ・コフートが自己三部作の著作を発表します。
また,同じくオーストリア出身でアメリカの精神分析学者カーンバーグも,自己愛をめぐってコフートと論争を展開します。このあたりから,自己愛という概念が注目されるようになってきます。
こうした臨床上の展開は,1980年の精神障害の診断と統計マニュアル第3版(DSM-III)に,パーソナリティ障害のひとつとして自己愛パーソナリティ障害が掲載される動きへとつながっていきます。
測定される概念
臨床場面や精神医学の文脈だけでなく,調査を行う心理学研究の文脈でも,自己愛という概念が注目されるようになっていきます。それは,1979年にラスキンとホールが自己愛人格目録(narcissistic Personality Inventory; NPI)という尺度を開発したことから始まります。
NPIは,自己愛的な文章とそうではない文章のセットで1項目になっていて,どちらかを選択させるという,やや珍しい形式の尺度です。この形式は,EPPS(Edwards Personal Preference Schedule)という検査のと同じです。2つの文章を用意してどちらかを選択させることにより,「そうではない」という反対側の回答がはっきりしますので,「自己愛的かそうでないか」という回答を明確化させることができると考えられます。
ただし,日本にこの尺度が入ってくると,自己愛的な文章それぞれについて5段階で回答する,一般的な尺度の形式に変えられました(その一端は若い頃の私自身が担っていたのですが……)。また海外でも,5件法に形式を変えて実施されることも増えていきました。
測定の基礎研究
自己愛を測定する尺度ができると,まずそれが何を測定しているのか,どういう構造になっているのか,等々の研究が一斉に行われるようになっていきます。これが1980年代から1990年代にかけて,徐々に行われていきました。
◎NPIは4因子という研究や,7因子だということを報告する研究
◎さまざまな心理尺度との関連を検討
◎色々な国・地域・年齢の人々の得点を比較
こういった基本的な研究が行われていきます。それが,研究の数を押し上げていくのです。
理論的展開
そして,さらに1990年代から2000年代にかけて,自己愛の研究を増やす理論的な展開が現れます。
ひとつは,アメリカの社会心理学者ローデウォルトとモーフの社会認知的自己調整モデルです。このモデルでは,自己知識,自己評価,自己制御の3つの要素を考え,その欠損や結びつきから自己愛概念を説明しようと試みるものです。このモデルを提唱することによって,自己奉仕バイアスや原因帰属など,多くの既存の心理学的概念と自己愛との関連が仮定され,研究が生み出されていくという結果となりました。
そしてもう1つは,大御所の社会心理学者バウマイスターが著者になっている論文でした。それが,自己本位性脅威モデル(threatened egotism model)という概念的な枠組みです。
このモデルでは,旧来考えられてきたような,低い自尊感情が他者への攻撃を導くという考え方に対し,そうではなくむしろ高い自尊感情かつ不安定な自己評価をもつ人々(つまり自己愛的な人々)が,攻撃行動を示しやすいということを示しています。旧来の考え方を転換するモデルに,自己愛という概念を当てはめることでうまく説明をつけたと言ってもよいのではないでしょうか。古くからあり,かつ臨床色の強い概念を,より現代的なモデルとして再生したと言うこともできるかもしれません。
さらなる躍進
ある概念が提唱され,一通り研究が行われると,次の展開はどちらかです。
(1) より細かい,小さな概念に分割され研究が進む
(2) より大きな概念の枠組みが提唱される
自己愛の場合,(1)のケースは,特権意識や強欲傾向など,自己愛概念の一部分とされた概念に焦点が当てられ,研究が進んでいくことを指します。
そして(2)のケースで忘れてはいけないのは,ダーク・トライアドの研究です。
ポールハスとウィリアムズは,自己愛とマキャベリアニズム,サイコパシーという3つの心理特性に共通点があることを強調し,これらをダーク・トライアドと名づけました。
この枠組みは,いわば自己愛をより大きな枠組みの一部として組み込むものでした。
当初は異端視されていたこの枠組みなのですが(自己愛とサイコパシーの研究は増加しており,マキャベリアニズムの研究は古いものがあったのですが進化心理学的な枠組みから再評価される流れがあったように思います),数年経って2010年ごろになると,爆発的に研究が増えていきます。
この背景には,3つの心理特性それぞれで研究を行うよりもこの3つを一気に取り扱ったほうが,説明できる現象(つまり関連が生じる現象)が数多く見つかったということがあるのではないかと思います。
また,「なぜこのような,人に迷惑をかけるような個人差特性が世の中にこんなに広まっているのか」という疑問と,その疑問に答える進化心理学的な説明とが組み合わさることで,さらに研究が増えて行きました。
先のグラフにおける,2010年代以降に見られる自己愛の研究の増え具合の多くは,このダーク・トライアドの研究の増加を背景としているのです。
概念の流行
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