
広い家に住んだら幸せになるの?
私の実家は愛知県と岐阜県の境目くらいのところにあるのですが,これがまた交通の便が悪くて困ります。
実家からの公共交通機関といえば,歩いて10分ほどのところから乗るバス(名鉄バス)です。それも30分に1本しかやってきません。そして,尾張一宮駅に到着するまでに30分近くかかったのではないかと思います。
ところが自家用車で駅まで行けば早くて15分くらいで着きます。そういうわけで皆,自家用車を運転するというわけです。
もっとも「そんなのまだマシだろう」というような場所はたくさんあるとは思うのですけどね。比べてみれば上も下もいくらでも見つかるものです。
安いアパート
そういう不便なことがイヤだ,ということもありましたし,もう田舎の雰囲気から脱したいという気持ちも強かったものですから,頑張って通おうと思えば通えたにもかかわらず,大学入学と同時に「一人暮らしをしたい」と親に言って,大学の近くに部屋を借りることにしました。
大学の近くにあった不動産屋が連れて行ってくれたのは,木造二階建ての六畳一間でトイレも共同,共同の洗濯機に風呂も共同のコインシャワー(100円玉を入れると3分間お湯が出る)という物件です。
自分のスペースは本当に六畳一間と押し入れだけ。でもガスコンロと水道はついていました。なんと言っても良いのは安い家賃と,名古屋大学まで徒歩で通えることです。毎月の家賃は1万6千円という物件でした。
さっきネットで検索したら,1970年代に建てられたこのアパート,まだ存在しているみたいです。懐かしい......そしてまだ現役なのですね……。
ちなみに,私が通っていた名古屋大学の通学圏内には家賃が2万円台3万円台のアパートがたくさんあります。今の大学の周りと比べるとちょっと考えられない家賃の相場かもしれません。
ピンク電話
はじめての一人暮らしは狭い部屋でしたが,なかなか快適でした。自由すぎて生活は破綻しそうでしたけれども。
それに,いま考えればもっと時間を有効に活用すればよかったなと思うのですが,当時はパソコンもスマホもインターネットすら存在していません......と書くと,「いったいどうやって,何をして暮らしていたのか?」と不思議に思ってしまいそうなくらい,今はネットがないと生活していけませんよね。
自分の部屋には電話すらなかったのです。あったのは,アパートの共同玄関の脇にある,ピンクいろの公衆電話です。
そう,Wikipediaのこれです。「特殊簡易公衆電話」と言うのですね。はじめて知りました。この電話,かけるときにはお金を入れなければいけませんが,外からかけることもできます。
玄関で電話がなって,近くに誰かがいれば出て,「少々お待ち下さい」と伝えて部屋をノックする,といういかにも共同なシステムです。
引っ越しと文明の利器
初めての一人暮らし体験でしたが,結局2年ほど住んで引っ越しました。もう少し広い,2部屋に風呂トイレ付き,家賃も2倍くらいの部屋でした。
その頃になると,パソコンも普及してきて生協で安物のMacを買い,PHSや携帯電話(黒くて大きかった)を手に入れたりして,徐々に今の身の回りにあるものへと近づいていった記憶があります。
アイデンティティ拡散を感じる部屋
引っ越して部屋は広くなったのですが,じゃあ幸福になったのかと言われると,「うーん」と考え込んでしまいます。そういうわけではないのですよね。むしろ,最初に住んだ部屋の方が良い記憶が多い印象です。
いや,大学の1-2年生と3-4年生で同じなわけはありません。学年が上がれば,必然的に進路をどうするということが突きつけられます。それとともになんともイヤーな気分や将来が見えない感覚を引っ越した先の部屋では味わっていたのですから,よくない印象になってしまうのは致し方ないのかもしれないな,と思います。
家の広さと幸福感
というわけで,せっかくなので研究を見てみましょう。この論文(The Relationship Between Size of Living Space and Subjective Well-Being)です。
この研究では,住んでいる住居の広さと幸福感との関連を検討しています。今日のテーマにぴったりですね(?)。
分析に使われているのは,British Household Panel Survey (BHPS)と呼ばれる大規模調査です。これまでにも何度か,このデータセットを使った研究を見たことがあるように思います。
幸福になる理由
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