
明治時代の心理学を概観
今回も,昔の心理学の歴史をざっと見てみましょう。
心理学研究の前身の雑誌,『心理研究』第3巻(13号)に,心理學研究會による「明治年間に於ける心理學發達の史料」という記事が掲載されています。
この記事が掲載されたのは1913年です。1912年の7月30日から大正元年となり,大正2年へと年が明けたところで掲載された記事だということになります。
ちょうど,鬼滅の刃の舞台となった時代ですね。
明治時代の心理学まとめ
この記事では,明治時代の心理学をまとめることを試みています。心理学の導入,大学での研究と教育,学会の様子,それから発行された関連書籍に至るまで,詳細にまとめてありますので,これ以降,この記事を引用して心理学の歴史について書かれたものも多いのではないかと想像されます。
なお冒頭では,京都大学の様子は松本亦太郎博士に尋ねたけれども,元良勇次郎博士はご病気のため,心理学導入期のお話を聞くことができなかったということが書かれています。それもそのはず,元良勇次郎は大正元年(1912年)12月13日に亡くなっているのですから,この記事がまとめられていた頃はお亡くなりになる直前といったところでしょうか。
性理の学
Psychologyが日本語に翻訳されたのは明治7(1874)年,西周の『致知啓蒙』(明治7年6月刊行)によります。この書は論理学について書かれたものであり,psychologyまたはMental Scienceは「性理の学」と訳されています。
ちなみに,国立国会図書館のwebサイトでこの本を見ることができます。該当する「性理の学」について書かれた部分はこちらです。真ん中から左側すぐのところです。
心理学
さて,「心理学」という言葉が使われるようになった最初は,『奚般氏著/心理学』によるとされています。これも西周の訳で,ジョセフ・ヘヴンのMental philosophy(精神哲学)を『奚般氏著 心理学』(『奚般氏心理学』とも)というタイトルで出版した中で登場します。
西周の造語
西周はこのほかにも,心理学でよく使われる数多くの単語を訳し,学問で使うことができるように整理していきました。
◎意識
◎注意
◎理會(理解)
◎知覚
◎表現
◎再現
◎想像
◎抽象
◎命題
などです。
ヘヴンに続いて
ヘヴンに続いて,日本の心理学で重要視されたのは,イギリスの哲学者で心理学者のアレクサンダー・ベインの書籍だったそうです。東京大学でも参考書として用いられた記録が残っているようです。
帝国大学
明治21(1888)年,元良勇次郎が帰国して帝国大学で精神物理学を教えはじめます。そこではじめて,日本国内で心理学の実験が行われることとなりました。
明治30年代(1897〜)以降になると,東京と京都の両帝国大学で心理学の実験室が整備されます。海外から実験器具も輸入され,研究や学生たちの実習も行われました。当時は,東京帝国大学に元良勇次郎と福来友吉(千里眼実験で物語の中にもたびたび登場しますよね),京都帝国大学では松本亦太郎が心理学を教えていました。
明治40年代(1907〜)に入ると,一気に心理学が応用分野にも浸透していったそうです。心理学を専攻しつつも,教育学,美学,医学,犯罪学の方面へと研究が広がっていったのが,明治の終わりごろの心理学の状況だったということです。
明治40年には東北帝国大学,明治44(1911)年に九州帝国大学,大正7(1918)年に北海道帝国大学と,大学も拡大していきます。ちょうどこの拡大期に,心理学の研究分野も広まっていった様子がうかがえます。
記事のなかでは,東京帝国大学や京都帝国大学の様子も書かれているのですが,その内容はまた別の機会に紹介したいと思います。
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