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『パソコンに覚えさせればいい』という教えに従ってきたという話

今から30年以上前,大学の学部生時代のことです。それまでワープロ専用機しか使っていなかった私は,塾の夏期講習のアルバイトで貯めたお金を投入して,Macのデスクトップ一体型機(Macintosh LC 520)を購入しました。Windows95が発売されるよりも前の話です。

メモリもHD容量も少なく,CPUも貧弱で全体的な処理もあまりに遅かったので,その後もアルバイトで稼いだお金を投入し続け,外付けHDを導入し,メモリを増設し,CPUも増設ボードでMC68030からMC68040へアップグレードし,快適に動作するよう改造して,大学院生になっても研究室で使っていました。


覚えさせればいい

Macはずっと欲しくて,雑誌だけを眺める日々が続いていました。そろそろお金も貯まり,いよいよそのときかと思いつつ,アルバイト先の塾で「Macを買おうと思っている」という話をしたところ,先輩が「パソコンの便利な使い方というのはこういうものだ」,と教えてくれたのでした。

情報はすべてパソコンに覚えさせればいい。情報をため込んだらあとで検索して,出てきた情報をつなぎ合わせれば,レポートでも卒論でもすぐ完成する。

そして先輩のパソコン上で(私が購入した機種よりもずっと上位の機種でした),実際に本から引用しパソコンに入力したデータベースを検索して,レポートを作成する作業の例を見せてもらったのでした。

その時,「パソコンにはこんな使い方があるのか!」と感動したのです。私が「パソコン」に触れたのは小学生の時でしたが,当時の「パソコン」というのは自分でプログラムを入力しないと動かないようなものだったのです。大学に入学したときには,当時出ていたワープロ専用機を購入して使っていました。だって,日本語でレポートが作成できるのですから(今のパソコンしか知らない人からしたら,わけがわからないかもしれませんが)。それに比べると,やっとこういう時代が来たのかと感慨深いものがありました。

1950年代くらいからでしょうか,『京大式カード』というカード形式の情報整理方法が,研究者や知的作業者の間でよく使われてきました。まさにこの方式をパソコンのなかで再現できるのです。情報をカードのように記入して,あとで参照するシステムを自分のパソコンの中に構築すればいい,というアイデアです。

まだインターネットも普及していない当時,これは私にとっては革新的なアイデアでした。それ以来,ずっとMac利用者です。

教えに従う

私のパソコンの利用方法は,基本的にこの「教え」に従っています。「情報はため込めばいい。必要になったらあとで検索して見つければいいのだから」という基本路線です。自分で覚えるのには限界があります。覚えるのはうろ覚えでよいのです。「パソコンがちゃんと覚えてくれるから大丈夫」というスタンスです。

その代わり,しっかりと覚えさせないといけません。

とはいえ当時のMacは,自身のハードディスクの中身をすべて検索できるようなシステムではありませんでした。それができるようになったのは21世紀に入り,MacOSXになって,しばらくしてからです。

ですから,最初は当時Macに付属してきていたクラリスワークス(ClarisWorks,後にAppleWorks)にデータベース機能があったのでそれを使い(うろ覚えですがあったので使ったはず),就職してからはFileMaker(これも当時は同じClaris社,現在はClaris International)に移行しました。カード形式で情報を保存して,いつでもすぐに検索できるようにしていました。今でもFileMakerを使っていますのでずいぶん長い期間です。ファイルサイズは40MB以上に成長しました(とはいえ,FileMakerは高価でこの使い方だけだと費用対効果はよくなく,おすすめはしません)。

カード形式

1枚1枚のカードはただの白紙ですが,記入した日付と修正日は自動的に入力されるように設定してあります。何か気になったことは自分が覚えるのではなくとにかく何でも書き入れ,もとの文献があれば引用できる形式で記入しておきます。論文でも書籍でも,思いついたことでも何でも構いません。重要なことは「あとで検索できるようにしておくこと」です。

他にも当時,簡単に情報を検索できるようにする方法としては,メモを自分宛にメールを送るやり方も有効でした。メールソフトで検索できますからね。今ではどのファイルに書き込んでもパソコンの中身全体が検索できるので,本当に便利になったものです。

書き写し

私の場合,本を読んで気になったところはFileMakerの1枚のカードにできるだけ「そのまま書き写す」ようにしています。できるだけ段落をそのまま。心理学の本だろうが小説の一節だろうが,「あっ」と何か感じたらページの端を折っておき,データベースソフトに書き写していました。時には1冊の本から10枚,20枚と書き写す箇所が出てきます。

しかし書き写すのには時間がかかるので,記録前の本がどこかに積まれていくことになります……。

そのまま書き写すというのは単純な作業ですが,これをやると書いている著者の文体をそのままタイプすることになります。

よい文章を書くトレーニングとして,単に文章をそのままタイプすることはなかなか有効なのではないかとも感じています。英語の論文を書き写すのも,言い回しを覚えるのには有効です。日本語でも,書き写しやすい文章とそうではない文章があって,パソコンで変換して一発で出てくる文章と,なかなか変換されない文章があったりもします。こういう経験をすると,文章が上手かどうかということが,何となく分かってくるかもしれません。

ブログ

手作業で入力するデータベースだけでもじゅうぶんに役には立つのですが,何年か経過するとちょっと刺激が足りなくなってきました。そこで,そのままブログに転記し,更新時にTwitter(現X)へ自動的に投稿することにしました。人に見られると思うと,不思議と「続けよう」と思ったり,本からそれなりによいポイントを抜き出そうと思うようになるものです。私は基本的に怠惰な人間ですので,何かオプションがないと長く続けられないのです。

最初の頃は1日1ポスト,途中からデータベースの方があまりに多くなったので,1日に朝晩2ポストしていました。ただし,投稿は数か月先まで投稿を予約していたのですけれども。

最初の投稿は2008年8月27日,最後の投稿は2019年3月31日,計算すると10年7が月4日(3868日)間,つづけたことになります。この間,きっとこれがよい動機づけになったのでしょう。だいたい平均して1年に100冊くらい本を読む習慣を10年間,続けることができました。

◎本を読む
◎気になった部分をデータベースに書き写す
◎ブログにコピーして投稿予約をする
◎投稿されたら見る

このプロセスが,うまく間隔反復学習の流れになっていて,数か月くらいというちょうどいいくらいの時間間隔で反復されていました。このサイクルのおかげで,うまいぐあいに記憶が定着するように感じていました。

またこれくらい本を読むと,心理学の一般向け書籍では重複するネタがいっぱい出てくるもので,「ああ,またこの話ね」と思えるようになっていきます。

論文

こういう生活をしていると本はよく読むようになるのですが,論文を読む方が手薄になっていきます。「これはまずいかもしれない」と思うようになったのは,海外の学会に出かけるようになってきたからです。

これもまた試行錯誤していたのですが,これならやる気が継続するかもしれないと考えたのが,noteに書いていくことでした。読んだ論文を記録していけば,記事にもなるし自分用のデータベースにもなるのではという,適当な思いつきです。今のところ6年以上経過しているので,あと数年続ければ,こちらも10年になります。

気になる論文はキープしておき(論文pdfの整理方法はまた別の話です),時間があるときに記事をためておきます。そして,溜まった記事から適当に選び,毎朝起きた時にポストします。

おかげで最近は海外の学会に出かけると「この人がこの論文の人か」と,研究者と論文が一致する機会が増えていきました(その場で研究者のプロフィールを検索することも多いのですが……学会会場で,海外の研究者も検索しているのをよく見かけます)。また,記事を書かなければという動機づけから,論文を検索したり雑誌のページを閲覧する機会も増えます。すると,いまどんなことが流行ってきているのか,研究のトレンドを掴むことも容易になります。

アウトプット

何か記事を書くようにと依頼されると,まずはパソコンの中に溜まった情報を検索します。今の自分の手持ちで何ができるのかをまずは判断する,ということです。上手くヒットしたら情報をざっと並べて,構成を考えていきます。なかなか思いつかないこともあるのですが,情報を並べるだけでおおよそゴールが見えることもあります。

というわけで,自分なりのデータベースが溜まれば溜まるほど,さまざまな作業が効率化し,アウトプットも増えていくことは間違いないだろうと思います。

ネットでいいのでは?

インターネット上に大部分の情報があるのだから,ネットで検索すればいいだろうという考えもわかります。しかし,自分で情報を見つけて吟味して,一度は自分で入力しておくことも重要です。入力する体験を経ることで情報の吟味と判断が行われ,多少は記憶されることで他の情報とリンクし,周辺のことも思い出すことができるのです。詳しいことは見返せばよいのですが,一度記憶の中を通過させることが大切です。

メモや書き写しは,自分の記憶の補強のために行っているようなものです。単にネット上を検索するだけで何かを構成しようとすると,情報の吟味が上手くいかず,「これをここに持ってくる?」と,アウトプットされた内容がちぐはぐになる場合もあるのでは,と感じています。

生成AI

さて,こんな中で登場してきたのが,ChatGPTやGeminiなどの生成AIです。もちろん活用しています。ちなみに,先ほど「最初の投稿は2008年8月27日,最後の投稿は2019年3月31日,計算すると10年7が月4日(3868日)」と書きましたが,この計算をしたのはChatGPTです。

ですが,どうしても誤りが多いので,確認作業が不可欠です。存在するだろうという情報を生成させようとするときは「回答の情報源となる論文をAPA形式で示せ」と最後につけて出力させます。そして,ChatGPTが示した論文を検索して確認することも,よくやります。

正しい論文を示すこともありますが,まったく存在しない虚構の論文を示すこともあります。まったく,コンピュータが知ったかぶりをする時代になるとは,思いもしませんでした。まったく関与したことがない論文の著者が私になっていたこともあり,その時は出力を見て思わず笑ってしまいました。

Notebook LM

自分がため込んだデータベースをさらに有効に活用するにはどうしたらいいのか……というときに知ったのが,GoogleのNotebook LMという,Googleが提供する生成AIツールです。

情報源となるドキュメントを20本まで自分でアップロードします。すると,アップロードされた内容に基づいて情報を生成してくれます。一応,Googleによると,Notebook LMにアップロードした書類は生成AIの学習に使用されないことになっているはずです。信用するかどうかの問題ですが,プライバシーや著作権は守られるはず,です。

しかし,ここまで自分でため込んだ情報があるのですから,これを使わない手はありません。というわけで,ため込んだ書籍のメモ,論文,自分で書いた本,その他自分のパソコンにため込んだあれこれを,Notebook LMに情報ソースとして投入します。ただし情報源は20本までですので,そこは工夫が必要です(ファイルを集約するとか,テキストファイルにしてしまうとか)。すると,私に最適化された生成AIができあがるというわけです。

なお,1つの情報源は50万文字以内にする必要があるので要注意です(ただし,日本語の新書1冊が10万文字もいかないくらいです)。

ただしまだ上手く機能しなくて,思うようにいかないこともあります。日本語よりも英語で質問した方が的確に返してくれそうな場面があったりもします(英語で質問しても日本語で返答してくれます)。もう少し改善されれば,もっと使い勝手がよくなりそうです。

パソコン丸ごとAIにしたい

どうせなら,情報が溜まりに溜まったパソコン全体をAI化できたらどんなにいいことか……そうすれば論文pdfも参照しつつ,要約や質問に的確に答えて文献も提示してくれることでしょう。

でも,きっとそういう方向に進むのだろうと予想します。もうすでにパソコンのディスク全体が検索対象になっていますし丸ごとクラウドにアップされているのですから,そこから生成AI対応してくれれば問題ない……ですよね?

情報は自分でため込む

というわけで,「情報はすべてパソコンに覚えさせればいい」という言葉を30年以上のあいだ忠実に守ってきた結果,それなりにうまく仕事が回ってきたのではないか,というお話でした。

欲しい情報はすぐに手に入る時代になりましたが,その一方で,情報をどう活用していくかが問われているように思います。自分なりの情報をため込むことは,自分だけの特徴を集約していくことでもありますし,シンプルでやりやすい方法であるように思います。

あとは,どうやって動機づけを持続させるかです。私の場合は報酬依存や不安が強い人なので,何か報酬(につながる可能性があるもの)や強制的な〆切がないと,作業が続かないことは自分で痛いほどに分かっています。そこは各自で,「こうすれば続くだろう」と,それぞれの人に合った工夫をあれこれとしていくのがいいのだろうと思います。

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