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【読書感想文】海と毒薬 part2

こんばんは、アット新潟でライターをやっているこじけんです!

今回は私が取り上げるのは「海と毒薬」です。この本を読んで感じたことを大学生の自分が述べてみたいと思います。
この作品実は以前に投稿した【読書感想文】「海と毒薬」 part1の2週間後に綴った作成したものです。part1では伝えきれなかった部分を文字に起こしてみました!
2週間前よりも「海と毒薬」という作品を自分の中で整理できた気がします!

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※数ヶ月前に作成した文なので、文の口調が全然違います。様々な書き方を勉強中なので他の記事を読み比べると違和感があると思いますがご了承ください。



あらすじ(概略)

まずこの作品は戦時下に行われた捕虜の非人道的な医学実験を元にフィクションにして書かれたものである。主人公勝呂とその周りの人間の思いを中心に書かれている。主人公はその実験に対して拒否感を感じるが、同じ医学実験に参加した人間たちは人生に行き詰まりを感じており、医学実験に参加することで自分を見つめ直そうとしている。主人公はこの医学実験の誘いに対し流されて承諾してしまうが、いざ実験が始まると勝呂は後悔の念に駆られる。一方周りにいた、同じ医局の研究員である戸田や上田看護婦は全く異なった感情・考えを持っていた。

【読書感想文】海と毒薬 part1 より


「感覚」

『海と毒薬』を読んで思ったことは「感覚」である。
この「感覚」とは外部から精神的刺激に対しての感覚である。特に対比として書かれていた3人の登場人物 勝呂と戸田、そして上田看護婦(看護婦は蔑称ではなく本の記載通り)である。
作中終始登場した勝呂はこれに特に敏感であった。実際に人体実験が行われた時も常に苦しみ逃げ出し抵抗することもできず、ただ傍観していた。一方、戸田は実験に直接参加した。その戸田は自身の記憶の回想をしながら、最初から死ぬことが想定されている人体実験に対して嫌悪感を探していた(実際は感じることはできなかった)。

また上田看護婦は、人体実験よりも過去に色々苦労のあった自身のことばかり、戦争・実験なんてどうでも良く、出世頭の橋本教授の嫁に嫉妬心を抱いていた。私が思うこの対比構造は一般的な感覚を持つ勝呂と異常な2人を焦点にしていると思う。我々一般人の感覚では死・殺人に対して凄まじい嫌悪感と恐怖があるはずだ。

仮に人体実験を目の前にした場合、勝呂のような「感覚」が最も納得がいく状態であろう。しかし読み進めるうち、先ほど異常と説明した2人の感覚は果たして異常な「感覚」と言えるのであろうかと疑問を持つようになった。


私は置かれた環境がその人の考えに影響されると思う。例え大人であろうと例外なく影響は受けると思う。イメージするならアメリカで行われた「スタンフォード監獄実験」だろうか。戦時下、非常に狭い世界に置かれていた彼らの思考はきっと制限されたものだと簡単に想像できるはずだ。
戦時下であったため、病院内外で常に人は死んでいた。実際、病から解放されても空襲で焼け死んでいた。一方、この狭い世界とは、医局生である勝呂が参加している医局の事をさし、彼がそれ以外の医局(せかい)はないようであったからだ。そんな背景から私はこの二人の「感覚」は異常ではなかったようにも思えた。まさに死に慣れているように感じた。「生かすための蘇生」「活かすための殺人」に何に違いがあるのかそのような事を感じると結末が同じである死に対して受け取る「感覚」は否定の勝呂か、そう感じたい戸田か、そのことすら無関心の上田にさえ共感する余地があると思えた。


私の「感覚」

特に私は戸田の「感覚」に近いものがあると思っている。実際同じ立場ならば最も現在のモラルに沿う納得のいく振る舞いをすることができるか自信はない。逆にそうありたいと思いそうなるよう努力してしまう気がした。道徳では分かってはいるが私自身のありとあらゆる神経細胞までがその否定という「感覚」にはなれないだろう。

これまで3回身内の葬儀に参列したことがあった。最初のはまだ幼かったため記憶にないが、2回目、3回目の時はよく覚えている。涙が溢れたし、家族、親戚と感情を共感しあったのは事実である。しかし、どこか泣かされているように感じた気がした。貰い泣きの様でもあった。今泣いたら最もベストなタイミングのような時に求められて泣いたようにも感じるような気がする。絶対的に嘘泣きではないが、100%の本心ではなかった。


結局私が思うこの場合の「感覚」とは、周りからの刺激に対してそれに対して働く倫理観にいかに支配されるかであるかだと思う。勝呂のようにどうしようも無い環境下であっても倫理的に良くないと判断できるのか、戸田のようにどうしようも無い環境で道徳的に良く無いことと分かっているだけで支配されないのかは人それぞれのような気がする。上田看護婦のように全くという人もいるんだろうと思った。実際社会はきっと同じように私たちに求めていくはずだ。人体実験のように強烈な関心ごとに対し、全員が同じ「感覚」を持てるようになることを求められる時に勝呂のようになれるかは期待できないという事である。



まとめ

如何だったでしょうか。以前投稿したpart1とは異なる点で自分の考えを言語化しましたが、読み終わった後に考えさせられる事が多いのは偉大な文学作品である特徴だなと痛感する次第です。次回以降ですが、別の作品についても投稿予定です。是非ご一読いただけたら幸いです。

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