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#15 どうしても、取材記事にAI活用を受け入れられない。

取材記事にAIを使うと、相手の想いを無下にしてしまう気がして、
中々AIを受け入れられないんですよねぇ。
捉え方と使い方次第だとは思うんですけど。

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AIが文章作成に万能なのは分かる

最近「記事作成はAIで簡単にできる!」というワードをよく耳にします。
仕事でも「そのセミナー記事、AIに書いてもらえばいいじゃん」と別部署から言われることもでてきました。

確かに、ちょっとしたメール文の作成や文章添削、タイトルなど使えば一瞬で案や文章がでてきてとても便利だとは思っています。またSEO記事に関しても、AIに聞けば情報を一瞬で集約してくれる。

こんな便利で、業務効率化できるツールはありません。

ただ、取材記事ならどうなのよ

すっごい便利なAIツール。使わない手はありません。

ただ、取材記事を執筆する時だけは、AI活用に対してめちゃくちゃ抵抗があるんです。私だけ?

なぜ取材記事×AIに抵抗があるのか

あんまり取材記事で活用していないかつ、たまにしかAIを使っていない状況下で書くのも説得力に欠けるのですが。私なりに感じていることをまとめてみました。

①記事に対する気持ちがのらない

AIを活用してしまうと個人的にテンションが下がるという元も子もない理由です。

というのも、取材記事は必ず相手がいて成り立つもの。「いかに相手の魅力を伝えるか」「抑揚や表情から伝えたいことは何かを考えて、わかりやすく文字にのせていくか」を考えながら、記事を作成します。

なので、取材に同席していなくても、ひととおり取材動画・音声は見たり聞いたりした上で構成や執筆をすることが大半。

これがAIを活用すると、特に聞かなくても文字を読んで要点を掴んで、文字起こしとターゲット、出力条件などを入力すればある程度はできてくるじゃないですか。

効率化には本当にいいものだと思います。思うんですけど、そうやって簡単にやってしまえることによって「じゃあ内容を聞いたり、見たりしなくていっか」と、相手の話や気持ちを無下にしてしまいそうかつ妥協してしまいそうで、なかなかできない。

②思うような出力結果が出ず、結局自分で書く

これは日常的に使っていない、学べていないことも大きくあります(自覚ある)。条件を入れて出力してみた時に「よくまとまってるし、分かりやすいんだけど、なんか響かない」とか「流れとして成立してるけど、この表現だと読者に誤解を招きそう」などなど思うことが色々ある。

で、結局のところ、文字起こしした取材内容や動画を見返して、読者に伝わるよう補足情報を調べて書きたす。そうすると内容がおかしくなるから結局文章全体を見直さなければいけない。

だったら自分で最初から書いた方がよくない?って思っちゃうんですよね(これが人に仕事を任せられないと言われるタイプなんだろうな)。

とはいえ、AIを使おうとする努力は必要

他にもあるけど、散々書いている通り「そもそもそんなに使いこなせてねえじゃねえか!」と言われたらそれまでなので、指示出しの仕方を学ぶなどの努力は必要だと思っています。作業的に負担が軽くなれば、それはそれでありがたいことなので。

ただ、私の中にひそむ「貴重な相手の話をAIでさっとまとめて、世に出す」というなんとも相手の思いを無下にしているように感じてしまう気持ちがある以上、あんまりAI使えないかなとも思っています。難しいね。

みなさんはどうですか?



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