【後編】王九は何者か、彼の半生に起きたこと:映画「トワイライト・ウォリアーズ」の考察
2025/01/24:記事を推敲しました。
■後編のまえがき
映画「トワイライトウォリアーズ 決戦!九龍城砦(原題:九龍城寨之圍城)」のラスボスである王九について。
前編では黒社会と白蓮教の関係を紹介し。
「王九の気功が白蓮教のモノか?」ということを検証した。
そして最後に「王九が使う技から考えて、少林寺出身だ」と締めて終わったのである。
前編はこちら↓↓↓
どうやら後日、原作小説(原語版)を読んだ方の情報によると、どうやら王九は原作でも本当に少林寺出身らしいことがわかった。
もともと素人考察とは、見当違いで当たり前のようなものだが。
映画上のヒントのみから導き出した私の推理が正解したのは、喜ばしい限りである。
ついては。
以下の考察についても是非安心してご覧いただきたい。
5.王九の武術
映画上で王九の特徴的な武功(武術的鍛錬により獲得した技術)といえば。
刃物も通さず皮膚を鉄のように硬くする硬気功(硬功夫とも言われる)だろう。
王九の使うような硬気功を練功する武門は多数ある。
少林拳を始め、八極拳、心意六合拳、五祖拳など……。
その中でも一般的には硬功夫・硬気功とえいば少林寺が有名である。
「中国武術の本」という、いかにも中国武術について詳しそうなタイトルの本に、少林寺の気功についてこのように説明されている。
前述のように有名だからといって、少林拳(少林寺の武術)だとは断定するのは難しい。
現実に存在する多くの中国武術家は。
フィクション世界のようにひとつの流派にこだわっている者は稀れで。
多数の流派を学ぶことで研鑽を積んでいる武術家の方が多い。
しかし。
映画「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」も。
フィクションである「武侠」作品の一種であるから。
「この技を使えば少林拳の使い手だ」と推測できるのだ。
それこそ字幕でも散々出てくる王九の「金剛指」という技である。
武侠小説などでは「金剛ナンチャラ」という技が割と出てくるのだが。
これは決まって少林寺の武芸者が使う技だと相場が決まっている。
現代の一般的な日本人には馴染みが薄いかもしれないが。
「金剛杵」という人間の苦しみや悩みの種である「煩悩」を打ち砕く法具(仏教的な道具)があり。
また、この金剛杵の用例にならった「金剛般若経」という有名な仏典(おきょう)も実在する。
これらに由来して命名された技や武功(武術的技術)が、フィクションにおける少林拳には多いのだ。
中国本国及び、華僑・華人社会(海外で生活を営む中国人・中国出身者による共同体)において。
抜群の知名度を誇る武侠小説家に金庸先生がいる。
金庸先生の倚天屠龍記や天龍八部といった作品の中で「金剛指」を使うキャラクターが存在し。
どれもやはり少林寺の関係者なのである。
映画「トワイライト・ウォリアーズ」では「なんか技名言ってるけど、地味だなぁ」という印象だろうが。
倚天屠龍記では「金剛指力」によって。
主人公の兄弟子が、身体中の骨をグチャグチャにされ、立つことも許されない半死半生の憂き目に遭っていてる。
少し話を戻すと、映画の中では「気功、気功」言っていたが。
さきほどの説明からすると。
内功の方がいわゆる一般的な気功のイメージだろう。
(気功自体がそもそも一般的じゃないかもしれないが……)
私は中国語に関する言語は聞き取れないのでわからないのだが。
おそらく映画上でも「外功」か「硬気功」もしくは「硬功夫」と言っていたはずである。
なぜなら、多くの中国人は武侠小説やドラマに古くから馴染みがあり。
武術指導を受けてない一般人でも外功とか内功とかの概念を知っているからである。
映画「トワイライト・ウォリアーズ」の感想を見ていると。
「気功を習ってみたい!」と興味をお持ちの方が結構多い。
日本でも都市部なら気功教室がいくつか見つかるだろう。
しかし、そこに通っても「硬気功」を身につけることはできない。
なぜなら前述のとおり。
「硬気功」は「外功」という武術的な特殊訓練の賜物であり。
巷の気功教室は心身の養生が主な目的だからだ。
以下に硬気功の練功法の例を紹介しておこう。
6.硬気功の練功法
さきほどと同じく「中国武術の本」から、実際の少林拳における硬気功(外功)の練功法について引用する。
このように硬気功を修得するのは非常に過酷であり、正直「辞めとけ」という他ない。
しかし、一般の気功教室が意味ないのかというと、そんな事はなく。
私自身独学で五年ほど気功をやっているが、以前とても酷かった肩こりや腱鞘炎も、ものの見事に改善した。
片頭痛に悩んでる人は、身体の凝りが原因である場合も多いので、気功により症状を軽減できる可能性が高い。
一時的に症状が出ても治す方法がわかるので、良さそうな教室があったら試されるのがいいと思う。
気功教室の話はそこまでにして。
王九もあれだけの武功を身に着けている以上。
白蓮教徒の場合でも、少林寺門下の場合でも、これらの厳しい練功を続けてきたのは間違いない。
しかし、どうしてこれだけの苦労しながら。
王九は黒社会に入り、あれほど残忍な性格にならざる得なかったのだろうか。
当時の中国における歴史的状況も踏まえて、王九の半生を考察してみたい。
7.王九が北少林寺の出身か
前述した原作小説を読んだ方の情報によると。
王九は少林寺出身であることは間違いないが、どうやら素行不良があり破門されてしまったらしい。
しかし、あれだけの硬気功を身につけるには相当な努力が必要である。
判断材料がない以上、想像の範疇を出ないので私から言えることはないが。
まず彼が北の出身か、南の出身かについて考えよう。
先に結論を言うと、王九は北方の出身だと想定できる。
少林寺は実のところ、北の嵩山少林寺と。
南の福建少林寺がある。
しかし、清朝末期には南少林寺自体がすでに伝説のものとなっており。
洪家拳や詠春拳、白鶴拳などの武術的伝承の中に、その痕跡を残すだけである。
フィクションである「武侠」世界において。
他の武門(武術の流派)が「金剛◯◯拳」を使った場合。
キャラクターの特徴が曖昧になるという作品構成上の問題を考えると。
消極的な理由になるが、嵩山少林寺の出身者だと考えられるのである。
おそらく王九が出家する以前の話。
清朝崩壊後に成立した中華民国時代に少林寺に大きな事件が起こった。
国民革命軍における内紛が勃発した際。
崇山少林寺は同寺出身者の樊鍾秀の司令部となり、僧侶たちも彼に協力したのだった。
その結果。
敵対派である石友三らから攻撃・放火され、少林寺は壊滅的な被害を受けたのである。
寺が落ち着いた後、離散から戻ってきた僧侶たちによって嵩山少林寺は辛うじて復興されたらしい。
この事件が起こったのは1928年~29年頃のことで、王九が寺に入ったのはずっと後だろうが、この事は覚えておいて欲しい。
ちなみにこの際。
反旗を翻した樊鍾秀の軍隊の中で、取り残された者たちもいて、その中には秘密結社に入ったものもいたそうだ。
少林寺と黒社会との関わりについて、再び「香港黒社会」から引用する。
多くの弾圧や動乱の中。
反清復明の革命組織として戦い。
日中戦争時には抗日闘争を繰り広げていた戦士たちの中に。
実は少林寺の関係者がいたのだ。
ここからすでに少林寺出身者と黒社会の微かなルートが出来上がっていた事がわかる。
それにしても、平和のために自らを犠牲にした人々が。
いざ戦争が終わると疎んじられ犯罪組織へ変貌してしまう。
実に気持ちの落とし所のない話である。
8.王九が遭遇した悲劇
王九は嵩山少林寺で育った。
だが民国時代や抗日戦争といったものは昔の話で。
舞台は80年代の香港である。
王九の年齢はわからないが。
役者である伍允龍の年齢を考えるとおおよそ40代、若くて30代であろう。
だとすれば、1940年~1950年頃の産まれで、石友三の少林寺焼き討ちから10年~20年経過している。
王九が少林寺にいたのは、大体その頃から1966年頃までと考えられる。
なぜなら1966年~1976年の期間。
民国時代の焼き討ち以上の深刻な被害を受けにも関わらず、まったく復興が許されない事件があったからだ。
その事件は日本でも文化大革命としてよく知られている。
毛沢東国家主席により展開され、中国全土を巻き込んだ政治的運動である文化大革命は、中国という国家を根底からひっくり返した。
あらゆる伝統文化は破壊され、中国武術も迫害の対象となっていた。
映画の舞台となっている九龍城には、文化大革命から逃げてきた人々が大勢いたのである。
九龍城だけではない。
香港にはそういった人々が大勢いたのだ。
そしておそらく、王九もその中にいたのである。
王九が本名かは分からない。
九は九男を意味する語で。
家族の中で九番目の男児なのかもしれないし。
組織の中で九番目に加入した男という意味かもしれない。
だが少林寺にいたことを考えると。
王九は寺に捨てられた子供だったとしてもおかしくないのである。
王九は破門されたものの、文化大革命の異様を実際に見ているはずである。
民国時代に放火されボロボロになった寺。
王九もかつては真面目に修行に励んでいたのであろう。
なぜなら、あれだけの硬気功を会得するのは、並大抵の努力では不可能だからである。
しかし、その学び舎が破壊されていく。
文化大革命を遂行するため大勢の紅衛兵が少林寺に押し寄せる。
仏典だけでなく仏像や法具も徹底的に徴収・粉砕された。
そして自らの師や兄弟弟子さえ反革命的存在として連行されていく。
このような無常は映画ラスト・エンペラーにも描かれている。
王九は破門され、すでに還俗(僧侶ではなくなること)していた為に、この時は見逃されたのだろう。
しかし少林寺出身者だと知られればどうなるか分からない。
「逃げなければ―――――――」
王九の焦りと絶望は想像に難くない。
前編で述べたように、北方では|白蓮教《びゃくれんきょう》系の秘密結社が盛んであったワケだから。
この時すでに自らの身を守るために関わりがあったのかもしれない。
1982年に公開された嵩山少林寺をモチーフにした映画「少林寺」がある。
年代をみれば分かるように、この時には未だ文化大革命の傷跡から、ほとんど復興が叶わない状態であったのは言うまでない。
よく見ている人には、映画「トワイライト・ウォリアーズ」の中で、よく上記の写真のようなポーズとる王九を覚えているだろう。
これはジャッキー・チェン主演による映画「酔拳」などでも見られる、四平大馬單指橋法や馬歩双単指といわれる練功法だ。
主に洪家拳や少林拳の使い手を表現する際に使用されることが多い。
洪家拳は南少林寺を起源とする武術だが。
前述のとおり。
嵩山少林寺は文化大革命によって、指導者や資料が壊滅的な被害を受けており、映画「少林寺」の時点ではどんな武術だったか調べるのも難しいほどだったのである。
それ以来、フィクションにおける少林拳は。
洪家拳などの他の流派をはじめ、日本人武術家の宗道臣による少林寺拳法など、様々な武術を元に復元された場合が多いのだ。
帰る家であった学び舎、家族同然の仲間も失った王九。
かつて少林寺の僧侶たちが。
反清復明運動や抗日戦争、革命闘争の中で戦った話も聞いていたであろう。
自らの死を覚悟して戦った戦士たちが、今では守ろうとした人々の手によって無惨に破滅させられていく。
さらに、自らの身にまで危険が迫っていたのだ。
社会に対する絶望。人々に対する絶望。
生きる意味を失い。人を思う心を失い。
そんな絶望の中でも生き残る意味を見つけるため。
悲痛から逃れるため。
王九は狂気と欲望に身を委ねたかもしれない。
そして少林僧であった過去さえ否定するため、白蓮教のマネごとに高じていたのだろうか。
身につけた武功は、決して忘れることが出来ないのに。
9.おわりに
映画「トワイライトウォリアーズ」で表現された一つのテーマは、まさしく黒澤明監督による「七人の侍」と同じではないか。
下層で必死に生きる人間同士の闘争である。
片方は自らの生活を守るために、相手を潰し。
片方は自らが生き残るために、相手を食らう。
多くの作品で扱われているテーマであるが。
この世界で生き残るという「不条理さ」から私たちは逃れることができないのだろう。
白蓮教や少林寺などの武芸者達は。
漢人のために反清・抗日と戦い続けたが。
最終的に表舞台から排斥され黒社会へと身を落とし。
王九があれほどの硬気功により不死身の肉体を得たにも関わらず。
生き残るために多くのものを失ってしまったのだから。
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