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多様性のリアルに触れて気がついた「自分は自分でいい」ということ

幸せになる勇気」という本の中で「『わたしであること』の勇気」という章がある。そこでは「自らの意思で、自らを承認すること」の重要性が説かれている。

今回は「わたしであることの勇気」をテーマに、私自身の体験を記したい。

30歳の不登校

小さい頃の私は、女の子らしくすることが恥ずかしくて苦手で、可愛らしいものにも恋愛ごとにも興味が薄く、集団で行動することも本能が嫌がった。

代わりに、田畑の生き物を好んで触り、ドッチボールでは男の子と対応にボールを投げ合い、男女混合の騎馬戦では大将も努めた。

そんな男勝りで逞しい外面と、感受性が強く傷つきやすい内面と、そして自分を取り巻く外の世界。これらの折り合いをつけることが下手くそで、小さい頃でこそ、ちょっとしたむず痒さでしかなかったその違和感が、耐えられないほどの劣等感となって崩壊したのが29歳のときだ。

女に生まれた私は何もかも女らしくしないといけないのだろうか?

自分のアイデンティティを見失って、今にも消えそうな自分の輪郭を必死で書きなぞる日々を続けていた私は、このままではいけないという思いから、新卒から5年間勤めた会社を辞め、日本を飛び出し、全てをリセットするための長い旅に出た。

もうあと半年で30歳になろうというタイミングで、私は日本社会への不登校を選択したのだ。

「タミンゾクコッカ」のリアルを理解した日

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旅の途中で、マレーシアのキャメロンハイランドという場所を訪れた。左右にうねる道を、激しく揺れるバスでいく高原地帯だ。

ある日、そのキャメロンハイランドにある、小さな公園でボーッと時間を過ごしていた。視界には何の変哲もないアスレチック遊具が映っていた。

するとその遊具に、様々な見た目のマレーシア人家族が、子連れで入れ替わり立ち代わりやってくる。はじめに中華系、続いてインド系、そしてマレー系の家族、というように。

この、マレーシア人からしたら何ともない光景が、当時の私にはとても不思議に感じられた。同じマレーシア人なのに、見た目が全然違うんだから。

なるほど、これが「多民族国家」か

マレーシアが「タミンゾクコッカ」であるということは、小学生か中学生の社会の授業で教科書に書いてあったから暗記していた。でもそれが実際にどういうことなのかはまるで分かっていなかったようだ。

入れ替わりたち変わり公園に訪れる、見た目の全然違うマレーシア人をこの目で見て、私ははじめて「タミンゾクコッカ」が「多民族国家」であるということを理解した。

空から降ってきた言葉「自分は自分でいい」

そんな多民族国家に暮らす人々の様子をぼんやりとみているうちに、ある考えが浮かんできた。

ああ、こうやって、生まれた時からずっと”明らか”に違う人たちの中で暮らしていれば、「違う」ということが当たり前だったのかもしれない

個性があるとはいえ、日本人という割と均質な集団で横並びの教育を受けてきた私は、無意識のうちに自分と人とを比べて生きてきたのではないだろうか

そのことが、自分が人と違うことに悩む、一つの原因だったのではないか‥

そう考えた瞬間、自分の中に空からストンと落ちてくる言葉があった。

ああ、自分は自分でいいんだ

キャメロンハイランドの、南国とは思えない涼しい風を全身に浴びながら、私は「自分が自分でいいんだ」ということを悟った。マレーシアのリアルな多様性を目の当たりにして、人との違いに悩むことの愚かしさに気がついのだ。

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自分が「わたしであること」を認めないと意味がない

あれから10年近く経つ。

再び日本で暮らしているが、正直なところ、自分の存在に自信を失いかけることは今でもたびたびある。

しかし、あのキャメロンハイランドでの1日を境に、生きることに対しての気持ちがグッと軽くなったのは確かで、間違いなくあの日は私の人生で一つのターニングポイントとなっている。

幸いにも私は、冒頭で触れた「わたしであることの勇気」を、自らの体験の中で自然に学ぶことができたようだ。そしてその出来事は同時に、個性を認め伸ばす教育がしたいと考えるきっかけにもになった。

世の中には、きっと私と同じように自分が自分であることの勇気を持つことができずに、もがき苦しんでいる人が大勢いるのではないかと思う。

誰かから言われる「あなたはあなたでいいのよ」という言葉は、いっときの救いにはなるかもしれないけれど、それではいつまでも本当に満たされることにはならない。

自分の体験を通して、自分の心の声で「自分は自分でいいんだ」と言ってあげられるようになることが大切なのだ。

自ら踏み出し、多様性に触れる。踏み出す勇気を持つために必要な物は?

では「自分は自分でいいんだ」と思うようになるためにはどうしたらいいのだろう。

正解のないこの問いに、私から伝えられることがあるとすれば、それは次の通りだ。

自ら一歩を踏み出して、たくさんの体験をすること
多くの人と出会うこと
日本だけでなく、広い世界にも目を向けること

この広い世界では、様々な人種が様々な生き方をしている。そのことを肌で感じ、視野と価値観を広げることができれば、自分が自分であることに納得できる日がやって来るのではないか。

繰り返しになるが、知識として持っていることではなく、肌で感じることが大切だ。

そして自ら一歩を踏み出せるようになるためには、その人の中に好奇心とチャレンジ精神がしっかりと育まれていなければならない。

こうやって結局のところ、私が教育に注ぐ想いは、いつも同じところに行き着く。

知的好奇心を持ち続け、失敗することを恐れず、新たなことに挑戦し、創意工夫し続けるマインドを持っていること。それが自らの未来を切り拓く「生きる力」の土台になるんだというところに。

サポート宜しくお願いいたします。これからも子供たちの笑顔のために頑張ります。