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七月の終わり

ウンザリした気分が必ずしも悪い気分ではない事を知った33歳、最後の月跨ぎ。

自身が所有する事業が3ヶ月連続の赤字を更新。

その為に齷齪して過ごした1ヶ月。
頑張ってみて成果も出た1ヶ月。
そして最後にウンザリした1ヶ月。

株式の上昇

僕の予測よりも遥かに早く株式市場は上昇した。
これが終わりの始まりだと僕は思う。

ここからダウンターンが本格的にやってくる。
違和感故にそう思うのだけど、その判断にもまた違和感が付き纏う。

何かが違う。

その違和感は今月一層強まった。

下落相場といえど、今の相場は何か違う。
この違和感の要因は急復活を引き起こすのか
それとも僕がまだ体験した事のない大暴落を引き起こすのか
今はまだ分からない。

分からない上で最悪のシナリオに備えて
動きを取っている。

僕のポートフォリオは不沈艦ではない。
急激な攻撃に遭えば撃沈する事は免れない。
だから艦載機を減らし爆弾を格納して
レーダーを張り巡らせて回避行動の訓練をしている。

今の上昇に対する違和感がクラシックなバリュー株ですら
積み数減少の対象とし投機色の強まったコモディティを手放していく。
これらはそれぞれ先程の例えにおいて、艦載機と爆弾に当たる。

今年が始まってすぐ、米国株市場は悲観的だった。
あの時僕は悲観的ではなかった。

実際多くの利益も得る事が出来た。
今、株式相場は上昇しているが、僕は今、悲観的である。

僕が思うにミッドウェーは近い。
ここでの被害を最小限に留める事が司令官としての僕の仕事だと思う。

宇宙関連株と債権

僕は今、米国株に対してネガティブではあるが宇宙関連株に関しては増資を繰り返している。

僕と人類にとって大きな夢と可能性を孕んだセクターである。
投資には夢が要る。
僕にとってはそれが民間による宇宙空間の活用である。

現在、人類にとっての最大のラストフロンティアの一つであると思っている。
もう一つのフロンティアがP2Pだ。

他に買い足しているものは債権である。
債権の値上がりタイミングのピークが何処にくるか分からないので去年末から下落を追うように買い増し続けているし、これからも買い足し続ける。

ジャンク債だけは掴まぬように気をつけたい。

FX艦

為替取引は順調ではあるが、僕の判断ミスで一つ大穴を開けてしまった。
リスクヘッジの為のロスカットので保証金規模に少し傷をつけた。

5万円程度ではあったものの、自分のルールを破ってしまった代償は大きい。
原因は収益が予想より大きく戦略の元となる保証金サイズにおける当月利益の割合を見誤ったのが原因だった。

これは僕の戦略によって働くポジションの課題ではなく、僕という人間が作り出したヒューマンエラーであり、その原因は単純なる確認不足だった。

それは早急に自身で補填をして来週からの作戦行動に備えたい。

そして来月の戦略だが、僕自身はある程度の凪を予感している。
大きく動くのは再来月だと踏んでいる。
しかし、これが予測ではなく慢心によるものであれば、また大きな打撃を受ける事は疑いの余地はなく、常に臨戦体制をとれるように備えはしておかなければならない。

その為の体制づくりを来月の最序盤でこなすのが最初のミッションとなる。

暗号資産

現在は複数の暗号資産を保有しているが
戦略的運用を行なっているのはETHとBitcoinのみである。

そして七月末の上昇を持って、現在積立も中断している。

この上げ相場は株式の上昇とは違い本格的な上昇トレンドを形成する場合もあり得ると思う。
戻って来れば買い足し、上がり続ければ暫くは放置する事になるだろう。

期待感はあるが特に何もする事がなくなった資産クラスである。

金銀プラチナ

ずっと放ったらかしていたものの、確認してみたら、銀以外は利益を出していた。
何処かで折りを見て利確する。

今後の世界経済の乱れの影響でいつ下落するのかも分からない。
正直資産としての安定価値はもはや暗号資産以下にまで落ちている。

世間の経済動向そのもののボラティリティが高い今、暗号資産のボラティリティの高さはもはや安定資産であるかどうかの判断基準にはならない。

寧ろ、何処までタイムリーに解像度高く変動して見せるか、という事が重要である昨今においては金を始めとする貴金属は安定資産とは言えない。

貴金属としての価値保存よりも工業用コモディティとしての価値の方がまだ期待感を持てるのが現状。
年内には一時撤退するかも知れない。

事業開発

複数の事業を作り収益化した。
やはり起業家の仕事はまずまず楽しい。

既存の腐った事業をいじくり回すよりも、何もない荒野に掘建小屋を立てる方がワクワクする。

今はよりミニマムな事業を作るのにハマっている小さな小さな事業。コストもシステムも関わる人間も最小で、殆ど労力をかけずに収支だけはプラスに持っていくようなビジネスが楽しい。

事業再生

今月最も力を入れて、それでいて、今僕を最も陰鬱な気持ちにさせるカテゴリーが事業再生プロジェクトである。

そもそも僕は事業再生プロジェクトという事業は好きだが、基本的に死にゆく事業は死ねばいいと考えるタチだ。
それは消失という結果でもいいし、破壊的変化であってもいい。

しかし、それが自身が作った事業で、それに協力してくれる人々がいる場合はそうも言ってられない。
しかし、僕がどんな思いで望もうとも赤字企業を作り出しているのは、そこで働く人々だ。

それはオーナーである僕自身も含めてだが、原因は人にある。
そして他人は変えられないのだ。

だから事業再生プロジェクトは人が変化しない事を前提に進めなければならない。人を変える事をこの手の事業で考える場合は人材を入れ替えるのが常套手段だ。

それか新しい人材を投入して既存人材の影響力を薄めてしまう事だ。
僕自身は自身が変わる事の変化をまず真っ先に試し、それに効果が薄い事を確かめた。
僕自身の変化による事業改善機能は月に100万円程度の損失軽減をする力しかない。

ここで人を頼る事になる訳だが既存能力でどうにもならない事をやろうとする場合には人に変化をしてもらわなければならない訳だが、これはどんな微細な事であっても難しい。

しかし、トライはしなければならない。
そしてトライをして無駄だと分かった処で今月が終わった。

僕は営業にテコ入れし、最高年売り上げの3.5倍の案件を獲得したが、事業全体に変革がなければ、これは実現出来ない。
つまり自分が事業の中に入りハイパフォーマンスを出した処で既存の流れを作っているのは、そこに含まれる人々の総意であり、能力による変化は見込めない。

まさに愚民政治のような状態を事業の中に作り出してしまっていた。次に残るのは事業の破壊的再生である。
これでダメなら消失だ。

終わりに

僕は起業家としての僕、投資家としての僕、経営者としての僕の三つの顔を持ち、その中でまた複数の顔をもつ。
技術屋、リーダー、思想家、アテンダーなど、複数の役割を演じている。

どれも大した能力はないが、取り分け、経営者としてのリーダーの能力は無能の極みにある。
これは致し方がない。

僕はリーダーシップを要素として用いる事は出来てもリーダー的人格者ではない。
僕は根本的にアウトサイダーであり、組織と個としての関わりが好きで、自身が集団の一部分となる事を苦手としている。

それはリーダーとしてのパフォーマンスを継続する為には必要不可欠な要素であり、それが欠損している僕は
そこに苦しむのはある種当然の結末とも言える。

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