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本土決戦と空軍

日本経済の状況と前の大戦を比較して考える。

日本経済は膨張し、日本企業の多くは海外進出を果たした。
軍事では幻として消えた大東亜共栄圏は日本の強力な経済により、再度出現しつつあった。

中国、韓国、マレーシア、ベトナム、タイ、インド、シンガポール、カンボジアなど、多くの国々に日本企業工場が出来、アメリカやヨーロッパ、ロシアに対しても大規模な輸出行動を成功させていた。

人命を奪う爆弾ではなく、価値提供を伴う経済的行動は日本経済のアメリカ本土進出を果たした。

しかし、ここ30年間で状況は変わった。

中国は日本の経済圏から分離し、インド、シンガポールなどの国々は欧米経済圏に奪還された。
他の国々も経済的成長を続けるアメリカの物価上昇の影響下にあり、更にそこに中国資本が投入された国々は、経済的に炎上した。

またしても大東亜共栄圏は幻となり消えた。

特に中国は国の主権を奪うような貸付と担保契約による奪取を行いながら、ある種侵略的に共栄圏を破壊している。

更に僕達の周りの物流は大きく削られている。
疫病、戦争、通貨安が僕達の物品調達の難易度を高めている。

対東亜共栄圏確立状況からハルノート的状態まで30年かけて僕達は後進してしまった。
僕達は先の対戦前と同じように経済圏とコモディティの両面を対外的に失いつつある状況に陥っている。

僕達の残されたのは本土決戦、つまり日本国内産業での事業の生産性強化という道である。
降伏、つまりデフォルトを起こし、GHQの代わりにIMFを入れた処で、日本が幸福な国になる訳ではないという状況にある。

不況は降伏によって、終わらない。
ポツダム宣言後にロシアが侵略してきたように、降伏した後は経済的侵略を受ける事も目に見えている。

2022年夏

77年前の夏、日本は焼け野原だった。
ただの焼け野原では無い。
放射能に汚染され、沢山の国民が死に、将来のビジョンを保つ事すら難しかった。
先の見えない不安感、消えた街と国民。

そして、今、僕達はやはり、放射能に汚染された島に住む。
今回は原子爆弾ではなく、原発事故によって。
国民は消えていく。
これは空襲によってではなく少子高齢化によって。
そして街も消えていく。
これも焼き払われた大都市ではなく、地方過疎によってだが。

しかし、77年前と明らかに違う部分も多い。
明確な敵がいる訳では無い。
良い部分もより悪い部分もある。

人口減少率は先の大戦よりも深刻である。
街は消えても、人はいた。

今は人が消えて、結果、街が消える。
そして、77年前、戦争は終わったが、僕達の戦いはまだ終わっていない。

僕の部隊

僕は日本陸軍兵の孫である。
僕の祖父は偵察兵だったが、最後は南方の島の残存部隊となった。

玉砕する事もなく、アメリカ兵に支配された島で逃げ回り食い繋ぎ、終戦を迎えた。
本当の戦争を本当に戦った人の話を聞くと、自分が如何に恵まれた時代に生まれ、恵まれた環境で考え、恵まれた悩みに苦しんでいるか、身に染みる。

彼が僕と同い年だった時、僕は空調の効いた書斎で思い悩むが、彼が考え事をしていたのは、蛆の湧く負傷した同僚の傍らだった。
今、空を飛び交うのは無数の通信電波だが、彼の頭の上を飛び交っていたのは、米国の艦砲射撃だった。

なんと生易しい世界に僕はいるのだろう。と思う反面、事態は悪くなっている側面もある。
人間同士が殺し合った先の大戦のよりも、日本人の減少率は加速している。
日本軍が撤退した後、アジアの国々は次々と独立を果たしたが、今は次々と中国の資本隷属国になって行っている。
戦後は沢山の日本人がビジョンを持ち活動し、今の日本の礎を作ったが、今、僕達には、それ程の希望感も身に迫る絶望感すらも無い。

彼は戦前と戦中と戦後を生きて、逝った。
戦前は学びとサッカーを、戦中は自分の小隊の生存に、戦後は家族と日本経済の為に戦い、体はボロボロであったが、自然死で幕を閉じた。

さて、僕はどう生きようか。
彼は僕と同い年だった頃、戦地で小隊を指揮しながら戦った。階級が高かった訳でもない。上のモノが皆死んだのと、司令部との連絡が取れなかったからだった。
僕は現在、事業を保有しながら、自らもプレイヤーである。僕自身も労働市場に身を置き、事業を指揮する立場にある。

随分とヌルいが類似点はある。
彼と比べて随分と僕は弱くなった。
それでも僕は彼の孫だ。

彼は自分の部隊を守った。
全員は無理だった処か、多くを死なせたが、終戦まで部下を守った。
そして死なせた部下を死ぬまで背負った。
守りきれなかった中国駐留中に出会った中国人市民も背負っていた。
今、思えば、彼は少し変わっていたのだろう。
彼は天皇陛下よりも、同じ街で過ごした中国人の人々の話を楽しそうに話した。
卵を貰って嬉しかった事、鶏の肉もくれ、と頼んでダメだと断られて笑いあった話は何度も聞かされた。
彼は日常の中で出会った人々と戦中でも関わりを味わって生きていた。

さて、僕も彼を見習うとしよう。
不況の中にあっても、僕は関わる人々を得ている。
彼らと笑い合う事はできるだろう。
祖父は敵であった者、また敵になるかも知れぬ者と言語の壁があっても笑いあったのだから、僕は味方であり、尚且つ日本語で話せる人々と笑い合う事から始める事が出来る。

僕はまず、自分が笑い合える人々とのチーム作りから初めて自分の部隊を再編成しよう。
赤紙の代わりに名刺交換やSNSのメッセージでもいい。
戦闘訓練の代わりに情報交流とコミュニケーション、指揮命令の代わりに意思疎通でいい。
笑いあって生き残る。
まずは僕の部隊の重要要件は、この一点に絞る。

陸軍戦は過酷だ。
僕は資産運用部門を海軍、事業部門を陸軍として考えている。
日本経済圏においては海外の資産成長力に頼る事の難しい自国産業の中での戦い、つまり陸軍戦が過酷化しやすい。
そこで生き残る部隊には、笑い合うコミュニケーションが必要不可欠だと考える。

空撃部隊

コア事業を動かす陸軍部隊の再編成を決めたが、これだけで本土決戦、つまりは日本経済圏内における事業活動が円滑に進む程、楽な状況ではない。
支援は専ら海軍たる資産運用部隊からの資金と情報の提供に限られている。

日本経済で戦う日本企業には消費税を初めとした税金が掛かる。これは味方の供給部隊から通行料を取る関所が大本営によって設置されているような状態で、これで戦場の物流を円滑化させる事など高難易度が過ぎる。

加えて、一次産業開発が遅れている我が国では使えるリソースの旧式化が進み、最新のリソースを投入したければ輸入に頼る他ないが、通貨安で、そのコストを日々増加している。
この状況にありながら、海軍、陸軍、つまりは資産運用と事業行動だけで経済作戦を実行するのは難しい。
新しいアプローチが要る。

僕にとって新しいアプローチ、空軍的役割を担うのがサテライト事業部である。
この部門は新しい事業開発を行い、その成果を各別部隊へ供給する。
過去実績としてはグラフィック編集技術、3Dプリンティング技術、写真技術などをコアたる建設事業に投入してきた。
専ら資産運用部門からの資金補給を受け、運用されているが、これを陸軍たる事業部門との連携強化で加速させ、コア事業に編入させる試みも同時に展開したい。

これは先の大戦のマッカーサー司令官が用いた蛙跳び作戦に類似る。
日本海軍が空母主体作戦、つまりは僕自身が現在行なっているような海軍的戦略と空撃を強く結びつけたのと反して、彼らは陸上基地からの空撃も執行した。

僕もそれに倣い、空軍的立ち位置の事業戦線との連携も積極的に行なって行きたい。

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