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毎日3000文字を書く方法

ライティングスキルは現代人とって随分と重要な技術になった。

子供の頃の作文の授業が、後々、こんな重要な要素のトレーニングになっている事を僕は全く予測していなかった。
個人的には好きなトレーニングだったので、結構楽しんでいたのだが。

文章を書く事の重要性は今日の本題ではない。
ブログにせよ、SNSにせよ、ライティングが重要になってきた現代において、文章を書く事、特にそれを習慣化して執行する事はかなり重要な事柄になりつつある。

しかし、これを毎日実行する事を考えた時、かなりの困難性を感じるし、更に言えば、実際、実行に移した処で、挫折する場合がかなり多いのも事実である。

そこで、毎日3000文字のライティングを実行するルーティンを構築するのに重要だと思われる事柄について、3000文字で書き記してみよう、というのが、本日の本題である。

疲れていない事

まず、新しいルーティンを構築し始める第一条件についてである。
疲れていない事。

疲れている状態で新しいルーティンを構築する事は難しい。

人間は疲労を感じると基本的に新しい事を拒絶する。
それは危険だから、人間の本能が拒絶するのだと思う。

野生環境であった時の事を思い浮かべるのは、習慣構築の際の定石だと僕は思っている。
疲れている状態、荒野の中で僕達はどうゆう状況であったのか、思い浮かべる。

何かを取りに出かけたとして、今、疲れているとしたら、生きて帰れる可能性は疲れていない時に比べて著しく下がる。
また、自分の集落に新しい要素、例えば、別の人間の群れの合流や犬などの新しい仲間が加わるとしても、疲れている時はリスクが高い。

新しい仲間を迎え入れ、その後、疲労を癒す為に深い眠りについた時に寝首をかかれるかもしれない。

僕達は疲労が溜まると不寛容になり、新しい要素を取り入れる事を拒絶する様になる。
人間は精神的に追い詰められると筆を取る習性があると思うのだが、これは習慣構築という意味ではあまり優秀な方法とは言えない。

何かの前衛アートを生み出そう、という訳でなければ、精神、肉体共に疲労から解放された状況を作るのが先だろう。

何を書くか、は決めない

どんな形でもいいから、石を拾って来て下さい、という指示と
400gで黒い石を拾ってきてください、という指示があった場合、当然、範囲が広い指示の方が多くの石を集める事が出来る。

ブランディングやユーザビリティの話で、よく、テーマを絞って書きなさい、という話が出るが、それはライティング習慣を獲得し、それで成果を得ようとする時の一つの方法論で書く事、そのものには、全く関係がない。

昨日むかついた事、好きなアニメの話、10年後の夢、子供の頃の思い出、好きな商品のレビュー、何でもいい。
今日、書きたい事を書く。

思考や感情を文字に起こす訓練を済ませてから、書くべき事の選定はすればいい。

綺麗に書かない

誤字脱字、表現の歪み、内容の重複などは、後で幾らでも直せる。
学校に提出する小論文とは違って、ブログやwebは公開しても所有権も編集権も僕達のモノだ。

誰かの評価が確定し、僕達の今後を決定づけたりもしない。

ミスをしたまま公開したからと言って、いつかのタイミングで直せば、その後目を通す人の数の方が圧倒的に多い。

綺麗に書く事に神経を使って、内容の放出に無駄なブレーキをかけない様にする事が習慣を作る上で重要な要素となるだろうと思う。

沢山書かない

この記事が過程としている様に一日3000文字書こう、と意思決定として、内容によっては3000文字以上書けるテーマが見つかる日がある。

それでも3000文字で止める。
これは他の習慣付けでも言える事なのだが、例えばジョギングを習慣化しようと考えて、毎日3km走るとする。

天気も良いし、時間もある。体調も良いので今日は10km走ってみよう、などと思う。
案の定、次の日は走るのが億劫になる。

それは前日のタスクに対して、今日の努力量が相対的に矮小化し達成感が小さくなる上に、前日の達成感が大きく残存する。
更に言えば、いつかまとめて走ればいい、という甘えが発生する要因になる。
実際、距離で考えれば、三日に一度10km走った方が、毎日3km走るより沢山のランニングをこなした事になる。
しかし、それは毎日3km走るというルーティンの構築には実際役に立たないし、三日置きの習慣構築にはかなり強力なスケジュール強制力の源となる意志が必要となる。
それに、一回当たりのコストが増大する事から単回の負担が増大し不実行の可能性が高まる。

物足りないくらいが、習慣化には丁度いい。
継続しなければ大した事ないくらいの量を設定しておき、その程度の中で実行すればいい。

ご褒美を用意する

これは1ヶ月毎日書けたら、美味しいモノを食べに行く、高い買い物をする、などではなく、毎回のご褒美を用意する。

例えば、書く時は美味しい珈琲を淹れて、飲みながら書く、とか、お洒落なカフェに行く口実にするとか、そういった類のご褒美である。

個人的には必ず目を通してくれる友人を持つ、なども有効なご褒美の一つだと思っている。
他には好きな音楽を聴きながら書く、なども良いかもしれない、特別なチョコレートを用意しておくのもいい。

小さいご褒美を毎回確保して確実に自分に与える事が、それなりに有効だと考える。

書けなくても気にしない

目的が習慣の獲得である場合、実行出来ない日があっても気にしてはいけない。
誰かと約束した訳でもないし、書かない日があっても微塵の罪悪感も要らない。

罪悪感は習慣の定着の邪魔になる。
ポテトチップスを食べる事に罪悪感を感じる人のダイエットの成功は難しい。
ポテトチップスは美味しく食べて、ダイエットに取り組む人の方が痩せられる可能性は高い。

ポテトチップスは食べないに越した事はないのだが、食べてしまった以上、マイナスはそれだけで構わない。罪悪感を追加する必要性はない。

これはジョギングを雨で休んだ場合や、風邪をひいて歌のトレーニングを休んだのと同じで、それはそれで仕方がない。
休んだ理由が分かりやすいか、分かりにくいか、の差しかなく、仮に理由がわかっても過去は変えられない。

罪悪感というマイナスの利子が習慣化を阻害し、ルーティンを乱す。

終わりに

3000文字書くのに必要な時間は大体慣れれば1時間も掛からない。
3km走るのは30分は掛からない。

慣れればコストが把握出来る。
慣れるまでだけが挑戦で、それからはルーティン化、習慣化の力が僕達を助けてくれる。

しかし毎日3000文字書けば一年で1095000文字になる。
時々サボっても一年で100万文字は書く事になるだろう。

100万文字書けば、もう一年前の自分とは全く次元の違う技術を手に入れている事は間違いない。

こんな感じで、思ってみるのも悪くない。

それに僕達はよく習慣化を取り上げるが、実際は習慣化を作りやすい心理や状況を自分に与えてあげる事の方に価値がある。
何かやりたい事ができた時、その習慣化しやすい環境は必ず武器になる。

習慣化に期限をつけてもいい。
半年だけ、一年だけ。
それで気に入ったルーティンは自然に続けられる。

重要課題はルーティンを自分が好きな様に構築出来る力を保つ事だ。
ルーティン構築力は人生構築力になる。

僕は習慣を守るのが苦手で継続力のない人間だが、ルーティンを設定する事はできる。
色々な事を飽きてやめていくが、色々な事を習慣に取り込む事が出来る。

出来ない事は気にしない。
ただ、出来るような取り組みを繰り返し行う力があれば、何事もそれなりには出来るようになるモノである。

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