見出し画像

6がーつ

新しい月が始まりました。
僕は元気です。

技術開発に事業開発、投資に既存事業経営と楽しい日々を送りつつ、マイペースに生きています。

コンテンツ埋葬式

さようなら、僕の作品

僕は片付けが苦手だけど好きという、ちょっと変わった自己矛盾を抱えているのですが
苦手なのは才能の問題、好きなのは嗜好の課題と割り切っています。

無い才能は生まれません。
音楽も運動も仕事も。
才能がないモノだらけの僕は才能がないモノを好きになる事に抵抗がありません。

才能がない事を嫌っていたら、僕は何も出来ません。

さて、先月からの引き続きなのですが、今月はコンテンツ埋葬式を続けていきます。
これは滞留したコンテンツは負債なのではないか、という仮説に基づいて行なっているアクションです。

滞留した物質が負債である事はミニマリズムブームも手伝って、よく知られる様になってきました。
物品は僕達から時間を奪い、生活からスペースを奪い、結果、余裕を奪い、思考力を奪います。

物品はコストが伴い、物質は容積を有して場所を取ります。

これらが元来のパフォーマンスを削っていく。

これがコンテンツやデータにも当て嵌るとしたら、現代人はデジタル空間に大量の負債を持つ事になります。
特に僕のようなコンテンツクリエーターにとってにとってはとても重大な課題になります。

余裕と思考力を奪う滞留したコンテンツと
キチンとお別れする方法を考えてみよう、というのが、この取り組みの意義です。

デジタルの空間を圧迫しデータ通信、バックアップ領域を占拠するコンテンツに別れを告げる事。
クライアント様からの依頼を頂いて作ったコンテンツはわかりやすいです。
納品が別れ時です。
複合的なプロジェクトでも、そこまで複雑な滞留物は生み出しません。

問題は個人のアート活動の中で生まれてきた子達。
この子達は必ず一度は停滞します。

アーカイブを作ったりネット上にギャラリーを作ったりサブコンテンツをネットに放ったり、確実に僕の手元から離れる準備を済ませて、制作データに別れをつげていこう、というのが今月の試みの一つです。

働く為の仕組みを壊す

便利なのでFIREという言葉を使ってしまいますが、僕は今すぐに生活を維持する為の労働をする必要はありません。
資産収益で生活可能な最低限の仕組みを作ってあります。

ただ、これは働かない理由にはなりません。
資産は資産の為に動き、事業は事業の為に動く。
その中で労働だけが労働の為に動くのではなく、価値生産の為に動く枠組みを考えていきたい、と思っています。

資産運用→価値生産→資産収益→…の回転は仕組み化されており
事業→価値生産→事業収益→事業投資→…の回転もある程度形になってきました。

僕自身の労働に関しては
労働→価値生産→技術投資→…という循環の中にある流れに違和感を感じつつ、あります。
これは最後を価値生産で完結し、その価値が資産、資本となり、多様に運用可能な枠組みであるべきなのではないか、と思っています。

資産も事業も持続性がありますが、僕が提供出来る労働力は確実に有限である為、毎度、労働によって動力を供給する仕組みは加齢による衰えが技術開発効率を上回った時に、この枠組みは破綻してしまうからです。

今ある余裕は、この枠組みを組み替える事に使いたい。
僕はそう考えています。

心穏やかに

一番大事なのは自分の生活

思えば、随分と長い期間走ってきました。
事の始まりは10代の頃、お金がなくて働くしかありませんでした。
20代で一度ダウンし、また再起して、今30代も半ばに差し掛かろうという時、僕は何の為に生きていこうか、とそんな事を考えるようになりました。

何者かになろうとした10代、何者かとして動き回った20代、そして結局何者でもない事を腹落ちした30代となり、今、僕にとって生活こそが最も重要な全ての源泉であると考える様になりました。

人生に意味もなければ、価値もない。僕はそう思っています。
それは僕が無能だから、そう考えるのかも知れません。
神によって何かを予定された優秀な人が世界にはいるのかも知れません。

少なくとも、僕はそうではない。
だとしたら生きている間の意味を自分自身で定義しなくてはいけません。
ただ、これが億劫なので、元々の意味はない、という設定を受け入れて、自分なりの意味を適当に後付けして生きるのも悪くないじゃないか、と思うようになりました。

人は自らの意思とは関係なく生まれ、そして殆どの場合、自分の意思とは関係なく死んでいきます。
生きている間だけが自分の意思で体験を繰り返す事が出来るというワケです。

であれば、僕は人生を体験を自分の意思で組み立てる=体験設計と、その実行こそが人生である、と言った人生を送ろうと思っています。
資産も事業も立場も身体も、その為に使って生きていきます。

なので、事業計画、投資計画、日常のディレクションも全ては体験設計に基づいて実施される事になり、それがまさに僕の人生を生きている実感になります。

常に設計と実行を繰り返すので、メンタルケアはとても重要です。
なので、心の穏やかさは最も大切な資本の一つになります。

これも今月も引き続き、強く意識していく要素です。

等身大で気楽に生きる


自分の飼育環境

僕が僕らしくあるた為に

上記を踏まえて僕は僕の生存環境を自身で構築していく必要があります。
僕らしく僕の性質を生かし、社会に適応し生存の持続性を僕の天命の定め、終わりの時まで存続させる状況を自らに提供する事が必要だと思っています。

魚の水槽に浄化フィルターを設置するようにファイナンシャルプランニングを使い、ハムスターのゲージの回し車の代わりに事業を設置し、猫にオモチャを与えるように興味を追求させる対象を与えて、鳥の止まり木の様に安らぎの要素を与えて、犬のデンタルガムの様に自己研鑽の資料を与える。

僕は僕を僕らしく、伸び伸び暮らさせる為の環境を用意してあげる責任がある。
セルフネグレスト気味になりがちな現代人としては重要な仕事だと思っています。

僕は一体のホモサピエンスのオーナーで、この子をちゃんと最後まで面倒を見てあげる責任を果たしていく。
自分の為の環境整備が飼い主としての責任であると考えています。

終わりに

新しい月が始まりました。
新しい区切りに突入したので、まずは全身の力を抜きます。

今、いる場所を見渡します。
自分の大きさを認識し、深呼吸をします。

長くなった日照時間の温かみや、柔らかな布団、関わってくれる人々、美味しい食事、まだ使える身体に感謝を。

もっともっと力を抜いて。
もっともっと感謝して。

ずっと気楽になって、グデングデンで
ニッコニコになって。

等身大で自然体で。

イキリ立たない。無理しない。

まずは始める準備を自分へ。
要らないモノは捨て去って
必要なモノには出会えると信じて

ずっと気楽になって
困難も何とかなると思って。

これが始まりの態度として
僕自身にとって大切な事です。

泣いて生まれてきた赤ん坊だった僕は
新しい区切りであれば
穏やかに始められるくらいには成長した筈。

緊張と苦痛からではなく
安らぎと信頼で自分自身を始める事を
30年以上の月日を重ねたのだから
それくらいは出来ると思います。

赤ん坊の時のような速度では学べないかも知れないけど
その分、気は楽にして
努力をするにしても
ちゃんと自らの肌に馴染む様に調整して

夢中になったり疲れたり
ちゃんと出来るように

今月も生きていきます。

written by

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?