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わかりません
日本GRACE研究会 年次大会に参加してきました。
GRACEとは?
死の臨床に45年間関わってきた米国の医療人類学者・僧侶のジョアン・ハリファックス老師による、「死に向き合う医療従事者のための燃えつき防止プログラム」
G:Gathering attention, Grounding 注意を集中させる
R:Recaling intention 意図を思い起こす
A:Attuning to self, then other 自分の身体・感情・思考に意識を合わせてから、相手に意識を合わせる
C:Considering what serves best 最も適切と思われる行動は何か見極める
E:Engaging and Ending 関与し、終了させる
頭文字をとったGRACE。
初めてのGRACEでしたが、ミニ体験会を通してGRACEに触れることが出来ました。
体験したこと
G/R/A/C/E をそれぞれ体験し、その場にいた人たちとシェアをする時間がありました。
マインドフルネスやヨガの中で行われることと似ているワークもあったけど、最も印象的だったのはCの体験。
C:何が本当に大切なのかを考えるっていうワーク。
「何が必要なのか考える」ってなっているけど、実際にやるのは「わかりません」と答えること。
わかっていても「わかりません」って答える。
「わかりません」で手放すっていうワークで、この感覚はMBSRの9点パズル
で体験したことと似ていると思った。
9点パズルは思い込みを超えるっていうワークだけど、私がそこで学んだのは「問題に対して、何もしない」という選択肢があるということでした。
問題が起きたときに、どうにかしなければいけないとか、早く解決したいって思うけど、それに対して何もしないという態度があるというのが目からうろこだった。
これって、ネガティブケイパビリティだと思うけど、ただそこで自分の感覚に気づきながら、あえて何もしないということ。
問題を先送りして、様子をみる。
わかりたいと思う私
Cの体験をしてみて、わかっていることに「わかりません」って答えることに、モヤモヤした。
いや、わかっているし。と思う。
これは「わかりたい」自分がいるっていうことなのでしょう。
わかっているかどうかはさておき、わかったことにしたいと思っている自分がいる。
「わからない」を抱えるのはつらいよ~
すべての伏線を回収して、すっきりさっぱりしたいよ~
だけど、本当は「わからない」ことの方が多くて、ただ、わかったつもりになっているだけ。
わかっていないかもしれないという可能性を残しておくことは、何かを判断するときに、ほかの可能性に目を向けることにつながるんだと思う。
そこから「C:何がほんとに大切かを考える」が出てくるんだ。
ちょっと前に「私は間違っているかもしれないよ」っていう言葉を最初につけてから言いたいことを話すと、タイプAの人が自分の間違いを受け入れやすくなるという話を書いた気がするけど、それと似ているかも。
決めつけずに、可能性を探ること。