「寄り添う」とは、そこに留まり、すべてと『ともにいる』こと
朝のニュース番組で、手紙ガチャについて取り上げていました。
ガチャの景品は誰かが書いたお手紙。
全然知らない人が書いた手紙を受け取り、一度だけ返信が書けるというサービスだそうです。
もう久しく手書きのお手紙なんて書いてないなあと思いながら、番組を見ていました。
メールとは違って、手紙ってなんとなく大切にしたくなるんですよ。
なんとなく有り難さがあるというか。
母が色々とくれる(食べ物とか)ときに、お手紙を入れてくれるんだけど、宗教の勧誘とかが多いものの、捨てられずに残してある。
子どもの頃に妹に書いた手紙
昨夜、妹とLINEのやりとりをしていて、少し落ち込んでいるようだったから、話を聞いたりしていたんですが、最後に「昔からずっと、ありがとうね」という言葉とともに、私が子どもの頃に妹に書いた手紙の写真が送られてきました。
これだけなんだけど。
どういうときに、何歳のころに、この手紙を書いて渡したのか、全然覚えていないけど、妹はこの手紙をもらったときのことを覚えているのかしら。
喧嘩をして仲直りをしたかったのか?
なにか励ましの手紙なのか?
特に意味はなくて、ただ、一緒に寝たかっただけなのか?
色々と考えてみたけど、全然わからない。
だけど、妹と一緒にいたいと思っているという気持ちは伝わってきます。
寄り添うとは?
妹が受け取ったこの手紙は、出そうと思えばすぐに出せるところにしまってあったみたい。
彼女が私から受け取って、40年以上。それだけの長い時間には、孤独に眠る夜があったと思う。
文字通り、一人で寂しさを感じるときもあるだろうし、だれかと一緒にいても、孤独を感じることもあるのは、みんな知っていること。
『今日、いっしょにねようね。』
この言葉が、そんな夜に寄り添い、なぐさめとなっていたとしたら、私は姉として生まれた甲斐があった。
子どものころは、考えることも、空気を読むことも、忖度することもなく相手に寄り添い、優しく手をつなぐことが出来たのに、大人になると難しくなるのはどうしてなんだろう。