暑い日は涼やかに過ごそう
市内よりは3度ほど気温が低めの箕面市でも熱中症アラートが連日送られてくる。
今日は久しぶりに予定が入っていないので写真を撮りに行こうと目論んでいたものの、暑いの苦手な私は命取りになる恐れがあるので断念。
学校へ上がった頃から体が弱かったので夏になるとブルーな気分で過ごしていた。
それで、両親と一緒に出かけた以外はほとんど外で遊んだ記憶がない。
当時はなんとも思わなかったのだが今思えば随分と可哀想な子供だった。
お稽古にはほぼ毎日通い学校もさほど休まなかったが気苦労で腎臓が弱っていたのではないかと回顧する。
春休み、夏休み、冬休みの始まりは必ずと言っていいほど熱が出て数日寝込んでいた。
スイミングに行くと泳ぎは達者なのにすぐに笛を吹かれ「今すぐ出なさい」と出される。
唇が真っ青を通り越して紫色になっている。
中学生の時でさえプールの授業の後、社会科の先生が「どうしたの!保健室で休んできなさい」という。
学内検診では私の顔を見た女医が「あなた、もっと外に出て焼けなさい!」と頭ごなしに怒鳴る。
血管が透けて見えるほどの学内で一二の色白で背がひょろりと高く、酷くやせっぽちの子供だった。
通りすがりの悪ガキには「おい!外人」とちょっかいをかけられ、髪は真っ赤だったので脱色してるのと聞かれたことがしばしばあった。
しんどそうにしていた私を母は近所のお医者に連れて行き、血液がとても薄く真っ青な私を見た先生が「こんなもやしっ子にしたのはお母さんが悪い」と言った。自分なりに一生懸命子育てをしているつもりだった母はお医者に叱られたことに怒り狂って真夏の炎天下の元「外で遊んできなさい」と私を外に放り出した。
吐き気はする。頭はクラクラする。木陰に座り込みながらも悲しくはなかった。体に不調を抱えていると欲も得もない。それは老若男女みな同じだと思う。
ましてや母も若かったし、今みたいに容易に情報が手に入る時代ではない。
無類の読書家で自信家の母ではあったが今思えば無知だった。
4〜50年も前は肌は小麦色でぽっちゃりした愛嬌のある元気な女の子が持て囃される時代。
ある日、お父様が判事の友達(のつもりだった)キワちゃんに
「うちの母が色白は七難隠すって諺があるって言ったのね。それってのんちゃんのことみたいね」と言われた。
子供だったのでその言葉が皮肉だとはその時は気がつかず、家に帰って母に話すと母はプリプリして「キワちゃんもお母さんも色黒だから憎らしいのよ。意地の悪い人ね」と機嫌が悪くなったことを今も覚えている。
そんなこんなで私はのびのびと育った子供ではなく、ママたちの熾烈な争いを冷ややかに見ていた。
夏が大嫌いな私は子供の頃の記憶を身体と潜在意識が覚えているのだろう。
健康には人一倍気を使う。健康に関して鼻が効く。
お医者の多くがあてにならないことを知っている。
子供の頃の経験が実は今、大変役に立っている。
だからこそ過去より今、そして未来はもっと元気に寿命を終えると確信する。
知るということが命を守ることなのだ。
マルチーズは暑さが苦手で良かったU^ェ^U
エアコンで冷たくなった体をmammaにぴったりくっつけて眠っている。
私はMarcoの優しい母親だろうか…❤︎