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(続)熱帯夜を超えて。『グローバル人材が叫ばれる昨今。 今日、私がしていたこと』

なんとか国旗の絵を描き終わり、その後二日以内に三枚くらい絵を描かなきゃ行けなくなっていて、死ぬ気で描き始めたのが国旗を塗り終えた朝の午前五時。

既に吐きそうな状態でも、ここで描かなきゃただの国旗職人になってしまうので、頑張って膠を溶き提出予定の作品を描き始めました。

作品提出がこの時から約48時間後。提出先の画廊の閉店時間を調べて、直接持って行くまでにかかる時間とそこから仮眠をとる時間を逆算して残り時間の割り振りを計算しようと思いました。

そしたら、

*注意 本年より会則が大幅に変更となりました。つきまして出品料を○月○日までに指定の口座にお振り込み下さい。

なんだって…?

どういう理由かわからないのですが、今まで作品出品料のようなお金がかからない、審査のみの公募だったので期限だけを気にしていたのですが、今年からはお金を徴収し、そのお金は振り込みでしか受け付けず、しかも期限が作品提出期限よりも数日前とのことでした。

なんてことじゃい…。

私が必死に国旗を塗っていた最中、実は既に期限は過ぎており、体に負荷がかかるのもあと二日くらいだと覚悟を決めて膠をといた後の行動は全くの無駄だった…。

これは、感覚的にはめちゃくちゃ頑張って位中の相手にアプローチをしてプレゼントまで用意したら、実は相手には既に彼氏がいた(でもプレゼントは受け取る)みたいなやるせ無さでした。

時既に遅しと気づいた早朝未明

「グローバル人材」という数時間前の言葉が虚しく響く中、しかしこれが本当の「グローバルプロジェクト」だったら今回のミスはグローバル人材ならぬ『グローバル人災』になっていたと思い、それよりはまだマシだったのかと思いながらなんとか溜飲を下げて納得することにしました。

街を歩けば恋愛ソングや失恋ソングがどこからともなく聞こえてきますが、40歳を目前にした年齢での仕事の痛恨のミスは、恋のほろ苦さの1000倍キツイと、私がミュージシャンなら歌いたいと思いました。

ちょっと嫌なことがあった時、うまくいかないことがあったっとき、どうすれば良いかわからない時、そういう時『あなたならどうしますか、先生…?』みたいな回想がよく漫画やドラマや功労者のエッセイなどに出てきますが、私の場合はそういった場面に出現する『先生』みたいのがいないので、代わりに架空の外国人を登場させます。

こんな時、外国人(主に今まで関わった人)ならどんな対応をするだろうか?

当時私が大学生だった時、同じ学部にイギリス人の留学生がいたのですがイギリスでは研究室が閉まっている場合、提出書類はドアの下から差し込むと「オーケー」みたいな慣習があるらしく、既に締切日で閉まっていた研究室のドアの下からそっと自国のやり方と同じように彼は書類を入れたようでした。
そうしたら、翌日研究室の助手がカンカンに怒って「ふざけるな!!!!』とすごい剣幕で怒ってきたそうです。助手曰く、研究室が空いてる時間が締切までの時間であり、閉まってからこんな出し方は断じて許さないのだそうです。「イギリスではこれでOKなんですが?」と言ったら「ここは日本だ!!!」と無下に返されたとのこと。

その話をを本人から聞いた時、そのイギリス人は

『あの助手の人、なんか書類一枚でものすごい怒っていたけど、変なドラッグとかやってるんじゃないのかな?大丈夫かな?先生に言った方が…』

と真顔で言うのを聞いて心底びっくりしました。

え?本気か?

自分の書類の遅れを無理やりドア下から滑り込ませるという、おおよそ日本の常識では許されなさそうなことをしておいて、よく抜け抜けとそんなことが言えるもんだな。

その割には彼は自国の文化には口うるさく、本人曰くみんなからイギリスの食事は「まずい」と言われることが不満らしく、「お前ら本当に美味しいイギリスの食事を食べたことあるのか?イギリスに来たことないやつまでが不味いとか言って、正直うんざりしてるよ!!!」

みたいによく言っていました。

私は一度もイギリスに行ったことがなかったので、彼に「じゃあ、あなたのいう美味しいイギリスの食事ってなんなの?」

と純粋な好奇心から聞いてみました。

そうしたら即答されたのが、

『インドカレー!』

でした。

これが本場の英国式ジョークなのか、ただの素なのかわかりませんが、グローバルな価値観の違いを書類と食事の話から垣間見た瞬間でした。

インド国旗、緑(豊穣)、白(平和)黄色(サフラン)を表しているようです。黄色がカレーではありません。

日本にいるととかく神経質になりがちですが、外国人と接していると本当に自由で容赦なく自分の主張を通します。
例えば一日限りのレッスンで、「このモチーフは多分今日終わらせるのは難しいと思いますよ」と伝えても「いや、私はこれがやりたいから絶対やる」とか言い出します。

で、大体それらは終わりません。
でも、そしたら『明日またくる』とか言います。

『いや、すいません、明日はやってないんですよ』

じゃあいつならやってるんだ?一週間後には帰るよ俺?とかなぜか向こうがスケジュール調整の上位に立っています。

多分嫌ならお前も断れってことが前提にあるんだと思います。

海外に行ったり、海外の人と接するといかに自分の中の基準が世界的な基準からするとズレているのだと言うことを嫌でも考えさせられます。とかく日本では『約束を守らない』『遅刻をする』これらに該当する人は大きく信用を失うことになりますが、外国人と仕事をすると結構遅れてくる人とか無断欠席する人がいたりします。

しかも彼らのすごいところは遅刻をしても、無断欠席をしても、何事もなかったかのように次の日には普通に現れて『イエーイ』みたいなノリで接してくるところです。
いや、イエーイじゃなくて何やってたんすか?約束したじゃないですか昨日?とか聞いても、『いや、疲れてたから寝てた』とかさらっと言います。『だったら連絡しろよ!!!』とか言っても『おー、オーケイ、オーケイ』みたいなオーバーリアクションで両手を広げ『私は寛容ですよ〜』みたいな顔で大きく頷いて、またすぐ『イエーイ!』みたいなノリに戻ります。

こう言うのを見ていると『あれ?私、なにか間違えたかな…?』みたいな気分になってきます。もちろん何も間違えていませんが。

こう言う人がいいとは決して思わないのですが、あまりにも神経質に物事を考えすぎるとそれが現代の生きづらさになっているところはある気がします。

昔メキシコの方に聞いたことなのですが、メキシコは世界で最も自殺者と禿げている人が少ない国だそうです。これらはどちらもストレスが要因で発症するものですが、日本人に自殺者がここまで多いのは生活の中で生じるストレスの量が他国に比べて圧倒的に高いからだと言われています。

メキシコではラテンの血と陽気な太陽がそうさせているのか、肌が焼けてニコニコした顔でトウモロコシを齧っている人のイメージがすぐ浮かびます。
南の国でも(調べてないのでイメージですが)あんまり暗くなって自殺しちゃう人とかいなそうですよね。気候が人に与える影響は大きいのだと思います。

ただ、そのメキシコ人に話を聞いて笑えなかったのは、

『メキシコは自殺はめちゃくちゃ少ないけど、他殺はメッチャクチャ多いよ!!』

と言われたことでした。
いや、そっちの方が怖いんですけど。

ちなみに売ってる車のほとんどは窓が防弾ガラス仕様だそうです。怖っ…。

絶対自国民の半数以上はこの国旗、何も見なかったら描けないでしょう。

どうも世の中には正しい生き方、正しいあり方みたいな幻想が通奏低音のように鳴り響いていて、それに縛られることによって生きづらくなっている気がします。

昔学校の国語の教科書に

みんな違ってみんないい。

みたいなことが書いてあったのですが、その授業中にみんなと違うことをしていたら、(偉人の顔に絵を描いたりとか)

何勝手なことしてんだコラァぁぁぁーーーー!!!!!

みたいな感じで怒られて、

幼子心に

どっちだよっ!!(笑)

って思っていました。

自分が大人になって思うのは社会が規定したルールや風習に対して、自分なりに考えを持って「従う」のか「反対」するのかを明確にしておけば良いのだと言うことです。考えないで全てが受け身の姿勢でいることが、この結果を生む原因になっているのではないでしょうか?

かつての学校的価値観での幸せは、

いい学校に行って、いい大学に入って、素敵な恋人を作って、一流企業に就職して、子供を作って幸せな家庭を築いて、ゆくゆくは孫の面倒を見ながら穏やかな老後を過ごす。

でした。

これが決して万人に当てはまる幸せのロールモデルだとは到底思えません。

むしろ、

公園で朝からビールを飲んで、ベンチで寝てたら夕方になり、蚊に刺されて目が覚めて、その足でまたお酒を買って、競馬の中継を聞きながら芝生に寝転んでいたら終電がなくなって、ホテルに泊まるお金も勿体無いから適当に街をうろうろして、変なキャッチのお兄さんとかチャイナエステの勧誘にあったりして、結局ベンチでまた寝て体の痛みを伴いながら始発で仕事に向かう羽目になった。

みたいな休日の過ごし方をしても、

それが素敵なマイホームをもつ前者の人生よりも悪いだなんて、誰にも言えるはずがないでしょう!!!

もちろん、

別に、私がそういう人だっていう訳ではないですよ!!!!!!

一応!!!(笑)

あまりにも熱い7月初頭の横浜にて。
時刻は4時43分

…午前ですか?

午後だよっ!!!

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