見出し画像

【試し読み1】『結局、他人の集まりなので』(主婦と生活社)刊行のお知らせ(11/8発売です)

なかなか更新できないnoteですが、11/8(金)に3冊目『結局、他人の集まりなので』が出版されるので、お知らせ・雑談、および今後の予定などを記載していきます。(第一弾)

本の紹介文は以下のとおり。

私の家族はしんどい。
離婚した両親と苦手な妹と唯一嫌いではない弟。
家を離れて大人になった今振り返る、家族と生き方のエッセイ集。


機能不全家族のもとで育った過去を持ち、インターネット上で女性の生き方について発信しているライター・あたそ。4年ぶりの新刊は、家族や友人、職場での人間関係の歪みと可笑しさを描いた、令和を生きる女性の悩みと共感が詰まったエッセイ集。

暴力を振るうけれど、休日には不味い炒飯を振る舞ってくれる父親。まったく話が通じないけれど、人のコントロールが上手くておしゃれな母親。自分よりも両親の理想として生きる妹や、唯一嫌いではない無口な弟。家族に対して恨みや悲しみはあるけれど、大人になった今、手放しで怒れない自分がいる。「毒親」とまでは言えなくても、親を嫌いになったことが一度でもある人には共感必至。家族のあり方を改めて問います。

社会人にも慣れてくると、家族以外の人間模様もさまざま。結婚して子どもができて疎遠になった人、些細なことで喧嘩して連絡をとらなくなった人。多忙で病んでしまったクリエイター仲間、退職を決意した顔見知りの同僚。人生にいろいろな変化があるなかで、どうしたら楽しく自分を生きられるのか? 前向きに生きるための心の持ち方とは? 自分にも他者にも悩みながら、それでも今を生きるあなたの背中を押すための一冊です。

Amazon、楽天Booksからも予約受付中です。ちなみに電子書籍版もありますので、電子派の方はそちらをドウゾ。


本の内容について

目次はこちらです。

4章、34のエッセイが入っています

このエッセイで何を伝えたいのか?というと、家族と仲が悪くても、それでもちゃんと生きていけるということです。

もともと私は家族と仲が悪く、現在は父親とも縁を切っているし、母・弟・妹とは冠婚葬祭以外で顔を合わせることはありません。会えば普通に話はできるけれど、それでも何か理由をつけて会おうとは思わず、少しの会話をしているだけでも「ああ、私はここにいてはいけないんだろうな」と考えてしまいます。
昔は家族が嫌いで恨んでもいたけれど、実際のところ今はそうでもありません。育ててくれた恩や感謝の気持ちはあれど、今は会う機会が少ないからなのか、感情が強く動かされることも思い出すことすら少なくなっています。
両親が私を育てていた頃の年齢になってみて、父は家庭を持つこと自体に向いていなかった人で、母も母で家事と育児をひとり孤独にこなし、体力的にも精神的にも追い詰められていて子どもである私に強く当たるようになったのではないか?と、今では思います。

私が実家を出たのは社会人になって少し時間が経過してからで、家族と離れてひとり暮らしを始めてから気づいたこともたくさんあります。
家事も料理・洗濯・掃除だけではなくてかなり細分化され、自分ひとりが生きていく環境であればなんとかやっていけるな、とか。人のいう「一人暮らしを始めると親のありがたみがわかる」「親の手料理が食べたくなる」がまったくわからなかったりとか。実家のルールというものがかなり多数存在していて、現在でもその規則に沿った生活をしている部分があるなとか。
離れて暮らしてから、家族という問題を通じて見えることもあると感じています。

また、家族仲が悪いのが原因なのか何なのか、私は明らかに人間性に問題があり、人との距離の測り方が遠かったり、0か100で考えてしまう極端な思想を持ち合わせていたりします。人間関係について、基本的に受け身だったりとかね。ダメだよね。
先日も、やっと今回の書籍対応がすべて終わったので友人たちと飲んでいたのですが「じゃあ、『この人なら絶対に今後も友達だといられる』と思う人ってどんな人なんですか?」と聞かれたり、「相手にとって価値のある話をしなければならない/つまらない話をし続けると無価値になると思っているかもしれないけれど、そんなことないよ」「話をしていて、どれが本心なのかわからないから、あなたには弱音を吐けない」などと言われたりもしていました。散々です。
人との距離がずっと遠い。私だけがみんなの世界に入り込めないし、その資格も価値すらもない気がする。心のどこかでそう思い続けています。適切な距離の測り方がわからない。どうしたらお互いにとってちょうどいい位置にいられるのか、わからない。でも、それも元を辿ればすべて自分のせいで、自分の大きな欠点を見つめたときに間違いなく家族の影響はあるけれど、いつまで家族のせいにしているんだろう……?と思っている自分もいたりします。

家族との関係も、人との付き合いも私にはとても難しい。私の持っているものは何も正しくないかもしれないけれど、それでも得るものはたくさんあって、色んな人と対話を重ねながら考えてきたあらゆるできごとを今回のエッセイに書いています。

購入して読んでくれる方の家族に対する罪悪感が少しでもマシになったり、「こういう考え方もあるのか」「自分はこのままでいいんだな」と思えるような一冊になればいいなと思っています。

【試し読み】死ななかったらそれでいい

 仲のよかった同僚が、退職後に結婚したらしい。結婚祝いという理由にかこつけて飲む約束をし、会社から徒歩5分のタイ料理屋に集まる。
 結婚式はハワイで執り行ったそうだ。同僚はアメリカ人で、お嫁さんは日本人だから間 を取ってハワイにしたんだろうか。そう思って尋ねてみたら「それ、かなり聞かれるけど、実際、中間ってアラスカ辺りじゃない?」と言われて即座にググる。そうかも。ハワイで の結婚式で家族皆でダンスを踊る動画を見せてもらったけれど、とても素敵だった。
 他の同僚からの「出会いは?」「どれくらい付き合ったの?」という質問に対して真面目に答えていく。この流れになった瞬間、嫌な予感がした。大抵の場合、恋愛にまつわる話が始まると、「で? そっちはどうなの?」とボールを投げられる。みんな、どうしてこんなにも恋愛の話が好きなんだろう。実際、同僚がどんな恋愛をしていようが興味なんて微塵もないだろう。それなのに、「あなたも話していいですよ」と言わんばかりに、話を振られる。お決まりのパターンのように、今回も同じ流れになる。

 こういうとき、私はどんな顔をして、なんと回答をすれば正解がたたき出せるのだろう。普通の会社員として振る舞えるのだろう。未だにわからずにいる。本当は、自分は結婚な んてできないと思っている。どちらかといえば、その資格も能力も備わっていないと感じ る瞬間があまりにも多い。でも、言わない。同僚相手に言えるはずなんてない。だから、「いやあ、結婚とかあまり興味がないんですよね~」と答えたら、「それ、掘り下げて聞いてもいいですか⁉」と興味ありげに尋ねてくる同僚。失敗したのかもしれない。
 それもそうだ。会社で出会った人たちなんだから。仕事に支障が出たり、自分の発言に よって働きづらくなったらたまったもんじゃない。想像上の普通の会社員は皆、結婚をし、子どもを持ち、家庭を築く。わざわざ人のセクシャリティやプライベートに踏み込んだ話 は出てこない。きっと、疑問にも思わない。だから、軽々しく恋愛の話ができるのだろう。
 きっとこの同僚の周りには「結婚に興味がない女」という存在がひとりもいなかったの かもしれない。すべて説明することも、理解してもらうことも面倒臭くなってきて「まあ、タイミングとかもありますしね。そのうちしてもいいかもしれないですね」とお茶を濁し てその場を回避する。

 思い返してみると、私はほとんど「結婚したほうがいいよ」と言われたことがない。年始に祖母の葬式のために帰省した際、近所のおばさんに「ご結婚は?」と尋ねられたが「まだなんです~。でも、弟がしてるから」という意味不明な回答で納得してくれたようだった。納得するのかよ。おばさんは「こんなに小さかったときにだっこしたのよ! 覚えてる?」と言っていたのだから、25年以上ぶりに会話したことになるのだろう。「あら、そうなのね~」と言われただけで、我々の久しぶりすぎる会話は2往復で終わった。
 祖父からのメールに「早く孫の顔が見たいです\(^o^)/」という一文が入ってたこともあったが、祖父母に会ったとき、しつこく言われた試しもない。「結婚の予定は?」と聞かれるたび、間髪入れずに「ないですね」と答える。するとやはり納得してくれるので、帰省中に二度と聞かれることはなかった。私の家系は物分かりがやたらといい。

 母だってそうだ。祖母の葬式のために家族が集合したのは約1年前の弟の結婚式ぶりで、全員が揃ってまともに会話をしたのは恐らく15年ぶりくらいだったはず。食事をしながら話を聞いていると、どうやら妹も結婚する気がないようだ。「でも、お母さん一度もあんたたちに結婚してほしいなんて言ったことないでしょ!」と言われ、確かにそうだったなと思い返す。

 それどころか、高校生くらいの頃から私が決めたことに一度も口を出された記憶がない。どんな友だちがいるのか、恋人がいるのかも尋ねられたことがない。そういえば、母は私 が今働いている会社の名前を知っているのだろうか。それすらわかっていない気がする。事後報告はいつものことで、大学進学、アルバイト、ひとり暮らしを始めたときですら、一切相談をせずにひとりですべて決めてきた。インドに初めてひとり旅に行くときも、10か月くらい海外をふらふらしたときも、「言ってもどうせ聞かないじゃない」とだけ言われ、反対されたことはない。

 母は離婚している。父もとんでもない人だったので結婚に関しては何らかの罪悪感を覚えているのかもしれないが、かつて一度だけ「こんな無計画な人生を歩んでいる娘を、心配になったりしないのか?」と尋ねたことがある。「死ななかったらそれでいい」と、母は言う。

 私は、何かあるたびに「まあ、最悪死ねばいいしな」と思って、できるだけ自分が面白 いと思える選択を取る。仕事に失敗しても、最悪な失恋をしても、何かで深く傷ついても、大金を無駄遣いしても、最悪死ねばいい。どんな大きな悲しみも恥ずかしさも後悔も、取 り返しのつかない出来事も、自分が死ねば帳消しになる。そう思っている。死ねばいいか ら、自分の決断に悩んだりしない。謎の行動力と決断力は、このちゃらんぽらんな死生観 に由来する。
 その一方で、「まあ、死ななかったらいいか」と思っている自分もいる。同じように、 どんなに辛い経験をしようが悲しい気持ちになろうが、人は案外死なない。死んだほうが マシだ! もういい、このまま死んでやる! と思うことは日常茶飯事ではあるが、一定 期間を超えるとその気持ちも薄まって、また別の不安や悲しみが襲ってくると知っている。悲しさで、私は死なない。心が折れることもない。どんなに辛くても、じっと耐える。そ のたびに、母を思い出す。

 教育熱心だった両親は、私が興味を持つものをなんでもやらせてくれた。毎週末には図書館へ行き、たくさんの本を借りて帰る。クラシックコンサートや動物園、水族館へもよく連れて行ってくれた。上野動物園にまだカバがいない時代、動物図鑑で見たカバをどうしても見たいとお願いをして、静岡の動物園まで出かけた。英会話教室やバレエ、習い事だってたくさん経験させてもらった。それでも何ひとつ身につかず、私は両親の理想とする娘にはなれなくて、過度に期待されることもなくなって、こんなにも自由奔放な大人になってしまったのだけれど。

 死なずに生き続けることは親孝行にあたるのだろうか。育ててくれた恩は確かにあるはずなのに、私は母とすらうまくコミュニケーションが取れない。「家族旅行がしたい」とか「母に孫の顔を見せてあげたい」だなんて一度も思ったことはない。母の日や誕生日ですら連絡ができない。親不幸なのかもしれない。こんなにも面倒臭い娘なのだから、育てるのも苦労したはずなのに。だからこそ、「死ななかったらそれでいい」という唯一のルールは守り続けなければ、と思うのだ。

今後の予定まとめ

基本的に10月はトークイベントの準備と飲酒、11月はトークイベントと飲酒、12月は文学フリマと飲酒とスリランカ旅行……の流れで私の1年間は終わっていきそうです。
今年は「とにかく文章を書く」ことをテーマにしていたけれど、商業・同人誌合わせて4冊も出せたので我ながら頑張ったのではないだろうか……とは思っている。

  • Xでスペースをやらねばなりません。
    以下の日程で、担当編集者とともに夜22時から1時間ほどスペースをやりますので、よろしくお願いします。ちなみに今回の担当編集者は私のマイミクであり、知り合って10年以上経つ私のことをよく知ってくれている友人でもあり、ナンバーガールのオタクです。
    NGというわけでもないのですが、人前で話すと必ず「こんなによくしゃべる人だと思っていなかった」「オタクっぽい早口で話しててキモい」と必ず言われる。私がは明るく、とても気さくな人間です。

    • 10/31(木)22:00~

    • 11/5(火)22:00~

https://twitter.com/ataso00

トークイベントのチケットは発売中です。それぞれのリンク先からよろしくお願いいたします。書籍付きチケットをご購入いただいた方には、書下ろしエッセイ3本が入った小冊子がおまけとしてつきます。
私のイベントに来てくださるお客さんは8割女性、大体ひとり参加だったりします。ひらりささん・永田先生と一緒に女性の生き方について、色々語っていければと思うので、ぜひご参加ください◎
イベント系、私も含めなんですが、直前にチケットを購入される方が多く、まあ、そうですよね……とは思うのですが、私の精神衛生が非常に安定するのでお早めにご購入いただけると大変うれしいです。

11/8(金) 女で生きるのは難しい?家族、結婚、出産を考える会──あたそ『結局、他人の集まりなので』刊行記念@渋谷LOFT HEAVEN

書籍発売当日に、トークイベントを行います。東京は4年ぶりくらい!
ゲストにひらりささん(文筆家、「劇団雌猫」メンバー)をお招きしています。

11/17(日)@梅田ラテラル

大阪でもトークイベントを行います。大阪は1年半ぶりくらい!
こちらのゲストは永田夏来さん(兵庫教育大学大学院学校教育研究科准教授、家族社会学者)です。

12/1(日)文学フリマ東京39@東京ビッグサイト 西3+4ホール

今期も文学フリマ東京に出店します。『結局、他人に集まりなので』を1冊でも多く売りたい/手に取って欲しい/興味を持たれたいというのが正直なところですが、新刊が何もないのはね……!ということで、執筆しながら気休めに書いた日記を発売しようと思っています。
6月ごろから執筆と並行して書き始め、半年ほどの日記が今のところ4万字くらいに収められており、相変わらずの大ボリュームですが、ぜひ遊びにいらしてください。恐らく1000円になると思います(小銭の準備などが面倒なため)。

https://bunfree.net/

漫画家やイラストレーターの方が、「本業で絵を描いて、休憩やストレス解消にも絵を描く」と聞いたことがあり、「すごいな……。私には無理だ」と考えていたけれど、まさか自分が同じことをやるとは……!
日記ってそもそも日記であること自体がカテゴリーというかテーマのない、私の日常の話であってそれほど売れないんですよね。基本的にできるだけタイムラグなく眺めているほうが面白いと思うし。イベント終了後に通販はやりますが部数はあまり刷らない予定です。よろしくお願いいたします。

さいごに

本ってどうやったら売れるんだ……。

街中の本屋さんで見かけたとき、ぜひパラパラとめくって読んでいただけるだけでもうれしいです。気になったらぜひ……よろしくお願いします。

また来週あたりに第2弾を公開できれば!


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集