あたしの道具箱
あたしの道具箱によせられた勝手に詩作シリーズです。
2022年7月24日、鳥取県湯梨浜町にある本屋さん、汽水空港さんにて開催されたイベントで感じたこと、考えたことの雑記です。 「マジョリティの特権を問い直す ケイン樹里安さんが教えてくれたこと」というタイトルで開催された本イベントは、2019年にケインさんの共編著「ふれる社会学」(ふれる社会学【忽ち8刷り!】 ケイン 樹里安編著 - 北樹出版の大学教科書)刊行記念トークイベント「差別のカジュアルさにふれる」にてケインさんと共に登壇された(「ふれる社会学」の各章の執筆担当者でも
他人の話を聞いていると、意見を求められますよね。 そのときに昔は自分の意見を言ったりしたものですが、最近は歳を重ねたせいか、相手が求めている「正解」は何だろう?と必要以上に考えるようになりました。 というよりもむしろ、若い時は感性がまだあったので、自分の言いたいことが相手にとっての「正解」だったことが多かったように思います。 そういう意味では「正解」を考えないと捻り出せなくなったとも言えます。「正解」は何だろう、何を言わないといけないんだろう、そんなことばかり考えて逆に
ああまた来たんですか 一週間ぶりでしょうか 最近よく来られますね 暇してていただけると こちらも楽なんですが 気持ちがふさぎ込んで 何をするもようやっと 重い足腰をやれやれと 上げても心は鈍色の空 そういえば詩といえば ポエティックだったり どうにも美しかったり そういう言葉を用いて 心を表現するのですね あいにくとあたくしは 疎い醜い身から出た錆 一週ぶりの誰かさんは 以上の様に他者に対し どうか構って欲しいと そうした莫迦莫迦しい 感情も引き連れてきて こうして
くちびるの左横に小さなできもの そんなものを確認するのも遅れた 遅く起きた朝とも昼とも言えない そんな少し後悔も生まれ出る時間 一日用事がなにもないという事は 何ら生産的な事がないという事で 身体を心を休める日なんだという 聖書にも書いてある大切な事実も 申し訳なさと生きる私には切ない 切なさと共に起き上がる昼下がり 生産した小さなできものに気付き 醜い価値のない生産物を生むのに 何も価値のあるものを生めない私 本をめくっても理解は進まなくて 何かを書いても名作はでき
私はカナダ人を始め、10人の大所帯でシェアハウスに住んでいます。それ自体は倖せでもなんでもありません。そういう生活がある、ということだけです。その生活で幸せと倖せについて教わる場面があったので、他人の言葉ですが頂戴してここに私の言葉で掲載します。 昨日、同居人のカナダ人が友だちを3人連れて来ました。 あれま、大変。居間でお会いすることになった、偶然居間にいた私たち。 1人は自分のシチューの仕込みの途中だったのでシチューを作り続けました。 1人は共通の言語があったので、友
女性が目の前でふたり世界を嘆き 女性が隣でひとり僅かな休息を得 私はひとり眼前の画面を眺めてる いっこうに次へと進まない指先と 淀んで動かないままの思考回路と 飲みかけのまま鞄に入ってるお茶 揺れるその水面を想像していると 今日の雨に濡れた鞄が服を濡らす ふたりの女性は私の前の駅で降り 隣の女性は頭を下げ深い眠りを得 私はひとり共感とは何か思索する ほとんど前に進まない思考回路と 広がる情景を切り取るのみの指先 私の中をめぐる水が思うことには 私を形づくる血潮が思う
旅行に行きたい。 1人でもいいですけど、なんと言いますか、大切な人と行きたい。 大切な人といっても、別にパートナーでなくてもよくて、私の人生にとって大切、満足、意味がある、そんな人。人たちでもいい。 一人旅もとても良いものというのは分かってるんです。 一人でそこの土地の空気を吸って、食べ物を食べて、水やお酒を飲んで、そこの土地に根差した人たちの温度を感じる。人の育んだ文化や風土に触れること。 あるいはそこに眠る、神や得体の知れないなにものかを感じて、想いを馳せる。人を
昔はそんなこともなかったけど、今はあるそんなこと。 何か初めてのことをするとき。どきどきしたり億劫だったり。 若いときはそうでもなかったのに、歳を重ねてから増えてきた気がする。 例えば、note.muの記事の最初の記事を任されたとき。 昔なら、何を書こうか、どんな人が見てくれるかな?とか考えたりしたものですが。 今は、タグは何をつけて、どんな風にしたらアクセスが増えて、 どんなことを書けば顧客満足度が高くて、どんなことを書けば自分が納得がいくか。 経済的価値と自己満足