『エゴ・ドキュメントの歴史学』(長谷川貴彦編、岩波書店)
構成と内容について
全8章で構成されている。そのうち3章が、女性を中心にした内容が書かれている。
なぜ、わざわざ女性を中心として書かれている、と書いたのか。それは歴史の中で女性が主役として登場することはとても少ないからだ。例えば歴史の教科書で考えてみても登場する人物の多くが男性であることに気づくと思う。それに対する批判はもちろんある。
また、教科書ではなく歴史学の専門書でも、ジェンダー史と銘打っていない本の場合、女性がメインで取り上げられている本は少ないだろう。ジェンダー史がそれ以外の歴史学の分野から孤立してしまっている状況もあるらしく、ジェンダー史とそれ以外の分野をつなぐことが今後、必要になってくるだろうと思っている。
執筆陣がジェンダー史に近い人たちというのもあるのかもしれないが、それを抜きにしてもエゴ・ドキュメントと女性の歴史というのは親和性が高いのではないかと思う。
昔の公的文書の場合、行政を担っていたのは大部分が男性だったこともあり、女性はなかなか記載されていないのではないかと思う。しかし私的な文書なら、読み書きができれば文書を書くことができるし、読み書きができなくてもできる人に後述筆写してもらうことができるため、女性の文章も残りやすいのだろうと思う。
5章の遊女の置かれた環境について
本書の中で特に印象に残ったのが日本の遊女について扱った5章である。
江戸時代の遊女の置かれた環境は、とても過酷なものだと思った。具体的には、ノルマの達成を求められるのである。もしノルマを達成できなかったら、不足分を自腹で補わなければならなかったのである。しかも遊郭によっては、あまりに過酷なノルマが課されていたため、それをクリアすることは容易ではなかった。経営者によって遊女が完全に搾取されていると感じた。
また遊女の契約を延長させるために、遊郭の経営者はありとあらゆる手段を使ってくる。例えば他の遊女に虚偽の証言を強い、その証言によって契約延長せざるをえなくさせているのである。また、縛り上げたり殴ったりといった暴力、辱めを受けさせることで契約を延長させていたのである。遊女は経営者に徹底的に搾取されていることが伝わってきて、なかなか辛い内容だった。
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