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道徳が人間に自由を許すと、国家が人間を束縛する。国家が人間に自由を許すと、道徳が人間を隷属させようとする。

書誌情報
シュテファン・ツヴァイク著、原田義人訳『昨日の世界Ⅰ』みすず書房、1999年.

本書は19世紀後半から20世紀にかけて、文化・芸術分野で活躍したツヴァイクの自伝である。また、同時期のヨーロッパの知・文化・精神についての叙述でもある。

概要

ツヴァイクによれば、第一次世界大戦前は安定の黄金時代だった。人々は見通しを立てて生活し、戦争などの災厄が起こるとは思ってもいなかった。また、最も啓蒙化された状態だったとみなしていた。しかし、こうした安定の黄金時代なるものは、幻想に過ぎなかったのである。

ウィーンでの少年時代は、ツヴァイクに多くの経験をもたらした。長時間拘束され、不自由で面白みのない学校生活を送ることを強いられた一方で、学校の外では文化、芸術、音楽、文学、思想など、好奇心を発揮できる場が多く存在していたからである。このように何かに熱狂したり、純粋に物事を受け止めたりできる青春というものは、一回限りのものであり二度目はないとも指摘している。

ギムナジウム(日本の高校にあたる)を卒業後、大学に進学するも集団での行動や決闘に対して嫌悪感を抱く。そのため、大学での勉学は最低限にして、芸術に対してリソースの多くを割くようになる。この頃から新聞の文芸欄に寄稿するようになる。

ツヴァイクはウィーンを出て、ベルリン、パリ、ロンドン、さらにはヨーロッパ大陸の外へと旅をする。各地の都市では様々な芸術家・文化人と交流する。また、各都市とそこで生活している人たちの雰囲気の違いを述べている。特に、ヨーロッパ大陸の外へ出た経験は、ツヴァイクにヨーロッパ中心主義的な見方から脱却する契機を与えたとしている。

第一次世界大戦の数年前まで、ヨーロッパでは人口や物価などあらゆるものが右肩上がりに成長していた。また、人々はスポーツや登山などの娯楽を楽しむようになっていた。そうした中でヨーロッパとしての一体感が情勢されていった。一方で、急激な力の拡大は、その力を行使しようという欲望をももたらしたと指摘している。ツヴァイクは、著名人とのやりとりの中で、世界大戦なるものが起こる可能性を懸念するようになる。

1914年、オーストリアの帝位継承者が暗殺される。新聞では戦争を仄めかす見出しが踊るが、人々はいつもの外交戦であるとみなし、今回もうまく決着がつくと考えていた。しかし、事態はみるみる悪化していくことになる。当時、戦争といえば英雄の活躍というイメージが強かったこともあり、人々は戦争に対して比較的ポジティブな印象を持っていたとも言える。

開戦後、ツヴァイクはコスモポリタンとして平和への道を模索し、運動も展開する。そのためウィーンなどで出会った旧友とは疎遠になった。また、各国が敵国の偉人や文化などを中傷するようになる。。

政治への無関心がもたらしたこと

ツヴァイクは生まれ育った街であるウィーンにあふれる文化的なものに熱中した。その一方で、政治のこと、未来のことには無関心だった。それゆえに、20世紀に起こった個人の自由の没落へと至る前兆に気づくことができなかったと述べている。

いつの時代でも、文化的なもの、自らの立場の安全と安定といったものは安易に崩れてしまう危険性を秘めている。それゆえ、政治や未来のことに関心がないことは、それらに対して無関心でいて良いということを意味するわけではないのだろう。

また、よく言われることで、本書でも指摘されていることだが、第一次世界大戦の直前のヨーロッパでは、戦争にはならないだろうという雰囲気が蔓延していた。しかし、状況は急激に悪化して破滅的な戦争となった。

おそらく現場の感覚からすれば、ある日突然、戦争へと突入したように感じられるのかもしれない。しかし、それは人々が戦争の兆候・気配に気付いていながら、それを無視していただけなのかもしれないと本書を読むと思わされる。

https://www.msz.co.jp/book/detail/05034/



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