女の時代、なんていらない?

新年早々、ネットで沸いていた広告がある。
西武百貨店の「わたしは、私。」という広告。

https://www.sogo-seibu.jp/watashiwa-watashi/

一女性として、私はこの広告に共感をおぼえたのだが、数多くの意見に目を通すとどうやら批判が多く、炎上しているようだ。
だからわたしはここで、この広告についてポジティブに記したい。

わたしはこの広告をひと目見て思った。

パイを投げられている姿は私そのものだ。


わたしは新卒で入った会社で、多忙と噂の部署へ配属となった。当初は「女性初配属」と騒がれたものだ。

配属が決まると、社内で会う人会う人、みな口をそろえてこう言った。

女の子であんなところに配属になったの? かわいそうに。とても無理だよ。

ただでさえ不安に感じる新社会人生活で、わたしはさらに不安の沼へと押しやられた。

事実、仕事はきつかった。社内では世間の流れと同じく、「女性活躍」が推進されていた。
女性活躍ってなんだ、わたしはただ、組織がそれを語るためのモルモットにされただけじゃないか、とそのとき感じたものだ。

そしてさらにきつかったのが、職場は完全な男社会であったということ。
男だらけの職場でわたしは声もかけられず、ただひたすら放置されていた。わたしがなにか発言をしても、変な空気になるばかり。次第に自信をなくしていった。
教育どころか業務はろくに共有されず、知らないことは増えるばかり。

それでも、そんななかで声をかけてくれた救世主の先輩がいたのだった。

あだ名でわたしを呼び、ちょっと乱暴な口調ながらもいろいろとかまってきた。
誰も接触しようとしない職場で、先輩は唯一存在を認めてくれる。わたしはかまわれるたびに嬉しくて仕方なかった。頼まれたことは忠犬のごとくこなし、いじられることが先輩の親愛の証と思っていた。

しかし次第に違和感をおぼえはじめる。

お酒の席で、彼氏との関係の深さについて聞かれる。化粧について意見される。
異性の同僚と飲みに行く話をすれば、「どうせ◯◯くんにベタベタしているんだろう」と言われる。

先輩、それセクハラです、と冗談めかして言うと、そんなわけないだろう大げさすぎるぞ、と返された。

さらに、先輩は仕事で機嫌が悪くなると、脈絡もなくわたしに食ってかかった。お前が悪い、と藪から棒に絡まれて、トイレに逃げ込み泣いたこともしょっちゅうだった。

この人はわたしを「ビジネスマン」として見ていなかったのだ。ただ抵抗できない、都合のいい若い女としてしか。

女性活躍の時代だから残業にも激務にも耐えて強くなれ

女に仕事を共有する価値なんてない

いじっても抵抗なんてするなよ


これらが、あのクリームパイだと思う。
特に最初のパイが、西武が言う「女の時代、なんていらない?」のことなのだろう。

女性活躍だのと持ち上げられ、結局は個を無視してただ利用されている。
それどころか、昔の女性像(おとなしく一歩下がって、男にすがれ、かよわく仕事などできない、家に入るべき)の押し付けは未だ消えず、そこへさらに新たな女性像(バリバリ働け、意見を言え、自立しろ、強くなれ)の押し着せが重なり、混沌として事態はさらに複雑化しているのではないか。

だからわたしはこれを見て思ったのだ。

よくぞ言ってくれた。
このビジュアルの不快感こそがわたしたちの感じている生きづらさだ。
わたしたちの苦しみを理解してくれている。
そしてよくぞ世の中にそれを知らしめてくれた。

正月にあのビジュアルが適切かどうかは別として、わたしは広告に励まされたいとは思っていない。だから元気などもらわなくていい。

ただ、ここは女性を理解してくれている会社だ、という気持ちになり、わたしの中で西武のイメージは上がった。

そもそも「女の時代」は西武が過去に扱っている言葉だ。しかし世間がそれを逆手にとり、女性を搾取する道具にしているこんな時代。

西武は突如、それをみずから否定したのだ。
とてもロックである。

かっこいい、と思うのだ。

#コラム #ジェンダー #ジェンダー論 #女性論 #女性史 #広告

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