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9.18 非国民的ヒーロー
こんばんは。
9月ももう後半戦で、昼間の空の色や道路脇の木の葉の彩度もなんだか薄くなってきたように感じます。
昨日、9月18日は僕のミューズの生誕祭でした。
生誕祭のために、ケーキでも買おうかと思ったのだけれど、なんだか家を出る気分ではなかったから、僕は彼女に食べてもらうようなつもりでオムライスを作りました。
ケチャップを使って無理やり書いた4:44の文字は赤くていびつでなんだか呪いみたいで、来年は大人しくケーキを買おうと思いました。
いつも眠る時にお守りのように着ている彼女の名前が背筋に入ったTシャツをその日も着ました。
画数の多い四文字熟語みたいな彼女の名前が、Tシャツを通り越して僕の背中の皮膚に染み込んでしまえばいいのになと何度も思うのです。
なんだかこうやって書いてみると気持ち悪いけれど、何かを好きな気持ちって皆表には出さないだけで、こういうものだと思うのです。
彼女の音楽は、こういう僕の気持ち悪い部分や、いつも奥の方で巡ってるドロドロとしたもの、何年経っても忘れられないようなトラウマとか、綺麗じゃないものたちを含みながらも生きていることをそのまま抱きしめてくれます。
小さい時から僕は、いつもちょっと足りなくて届かなくてずれていて、なんだか歩きにくいのです。
小学生の頃、
国語の時間に漢字ドリルのなぞり書き練習にある薄いグレーの線をなぞることなく塗りつぶして、レタリングのように綺麗に仕上げることが正解だと思っていたし、絵のコンテストのために描いた絵は僕は傑作だと思ったし一番小さい賞にひっかかったものの、皆と比べて暗い絵具ばかりを使っていたせいか、先生や親にはポカンとした目で見られました。
小学生の時は、勉強も運動もまずまずだったけれど、自分で塾に行ってそれなりに頭が良くなって、足が速いだけで運動できるみたいな時代に急に足が速くなった僕は、なんでもそこそこにこなせて中学時代は一番平和だったように思います。
けれどもそのせいで逆になんの野心も夢も趣味さえもなくて、卒業論文に、ただ吹奏楽部に入っていたという理由だけで「トランペッターになりたい」と書いて中学生活は終わりました。
虚無という言葉の意味を一番最初に実感したのはこの頃だったかもしれません。
高校生活は、それまで色付きリップもコンビニのピザマンも隠さなくちゃいけなかった平和だけど鬱屈した中学時代に比べて一気に自由になりました。
最初はすごく楽しかったし、その時はそれが自由だと思っていたけれど、真ん中あたりでプツンと何かが切れたのです。
別に興味のないドラマを見たり、トイレに行きたくもない時にトイレに行くみたいな小さいストレスを積み上げてつくった同調圧力を繋げて、行事とかここぞという時に一体感をだす空気に浸っていたら、僕の誰にも触れられたくないところが腐っていくような気がしたのです。
いくら校則が緩くなったって、目のついた人間が集まる教室は結局、鬱屈した場所であることに変わりなかったのです。
大学生活は、クラスというものもなくなって授業も好きなものを選ぶことができるし、たまに休んでも怒られたりしません。だから、高校時代や中学時代と同じ鬱屈は感じることはありませんでした。
けれど、また別の鬱屈が僕を襲うのです。
大学生活が半分過ぎた頃から、就職という文字が僕たちの前にちらつきました。
僕は大学を卒業したら就職しなければいけないというある種の通念を知ったのが、大学に入ってからでした。
高校生の時まで就職はしたい人だけがするものと本当に思っていたのです。
だから、就職が現代社会の正解だと素直に受け止めることができませんでした。
僕のその時の恋人は僕とは正反対で、良い会社に就職するために、良い大学に入って、良い部活に入って、良いゼミに入りました。
一方僕は、縛られるのが嫌でサークルにも入らず、就職活動とは程遠い(むしろ社会通念に疑問を抱くことを追求するような)ゼミに入っていました。
だからか、付き合って4年ほど経った就職活動真っ最中の時期に、「将来について話しても楽しくないから別れよう」という言葉であっけなく振られました。
一般的にいう、良い会社に入って、結婚して、子どもを授かって、老後に年金をもらって暮らすということを幸せだと思ったり、
明るい絵が描ける、夢がある、友達がいっぱいいるということが正解だと思えたら、もっと楽に生きられたかもしれないです。
小学校で綺麗な絵具を使って可愛い絵を描いていたあの子や、中学校でいつも何かしら目標をもっていたあの人、高校でいつもみんなに囲まれていた彼女や、良い会社に就職した彼も
本当はそれが幸せや正解だということに疑問を抱いていたかもしれないです。
けれども、彼らはそう思いながらもその幸せや正解の上で地に足つけて歩いています。
僕にはそれができないのです。
今だって、色鉛筆をうまく使うことが出来ないし、4人以上で集まると黙ってしまうし、就職したけれどなんの目標もなくていつ辞めてもいいようにお金を稼いでいます。
だめになりそうな時に彼女のあの曲をいつも聴くのです。
いいよな君はすごくやってけそうだし
他人の苦労を何も知らない僕が、こんな言葉を本人に言ってはいけないのはわかっています。
それでも、今までも今もこれからもうまくやってけそうにない僕はこの言葉を消すことが出来ないのです。
僕はいつも僕の脳内で彼女の声でこの言葉を再生して生きています。
あの曲を口ずさむ時だけはこの言葉を口に出してもいいような気がするのです。
ずっと真夜中だったらいいのにと思いながら、
彼女の音楽を太陽にして月にしてどうにか生活するのです。
彼女の音楽は愛する気持ちだけでは報われなかった僕のあれやこれやを抱きしめてくれます。
こうやって記憶の中の風景を
誰かに
ここまで読んでくれたあなたに話したら
少し救われる気がするのです。
P.S.
僕のお守りTシャツです。
プンプンは「神様神様チンクルホイ」と唱えたら神様(僕はあれ神は神でも死神だと思う)が現れていたけれど、僕は「ラララノピーピーピー」と唱えたら女神が降臨します。本当です。
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