夫婦で「交換日記」をはじめたら、夫をもっと好きになった話
小学生の頃、一番仲のいい友達と、ふたりで交換日記をしていた。
その子は、どちらかと言えばクールな性格で、いつも落ち着いていて、中学校に上がる前からファッション誌の『CanCam』(モデルの山田優さん、押切もえさん、えびちゃんが大人気だった頃)を読んでいるような、大人っぽい女の子だった。
学校にいるときも、プライベートで遊んでいるときも、一貫してその印象が強かったから、彼女が突如、交換日記で「う○この歌を作りました」と発表して、自作の「う○この歌」を書いて回してきたときは、全身を雷でババババーーーン!と打たれたような衝撃が走った。
しかも、歌詞のクオリティが、めちゃくちゃ高かったのだ。本当なら、全文を引用したいが、手元にその交換日記がないのと、彼女に許可を取っていないので、載せられない。
さすがに歌詞の全部は覚えていないが、「う○こをするときに、頑張って、踏ん張れるように」が主題の曲だった気がする。秀逸だ。
交換日記を片手に、その歌詞をオリジナルのメロディで口ずさみながら、私は実家のリビングで永遠に笑い転げていた。そのインパクトが強すぎて、交換日記に関する思い出は、それしか覚えていない。
その日以来、私は彼女のことを、前よりもっと好きになった。
交換日記は、こちらが予想だにしない、相手の新たな一面を教えてくれることも知った。
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3ヶ月ほど前、知人の口コミから「大人の交換ノート」なるものがあると知った。聞くと「ふたりの『?』を交換する質問交換型ノート」らしい。
単純に今日あったことをシェアするのではなく、日記を回すときは相手へ質問を託し、受け取った側は質問に答えるかたちで日記を書き、また質問を回していく……というもの。
詳しく知りたくて、販売元であるいろは出版のHPを覗いてみると、こんな言葉に出会った。
ああ、たしかに。
夫と付き合ってから7年半。恋人だった頃は、こまめに手紙を書いたり、記念日にはテキスト入りのアルバムを作ったり、“相手を想って書く時間”があったけれど、一緒に暮らし始めてからはめっきり減ったように思う。
LINEのメッセージも、基本的には「今から帰るよ」「うん、気をつけてね」の往復。電話でやり取りすることのほうが、圧倒的に多い。
毎日顔を合わせているから、“文字”より“口”で伝えるほうが自然で、それに慣れてしまったのだ。
大事なことは目を見て伝えたい派ではあるけれど、夫婦のコミュニケーションのかたちは多様であればあるほど、相手の新たな一面が見えたり、普段は溢れ落ちてしまうような本音もすくえる(掬えるし、救える)気がする。
気がつけば、近くにあった財布に手を伸ばし、Webページの「購入」ボタンを押していた。
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数日後に届いたのは、手のひらサイズのシンプルなノート。
ハードカバーを取り外して、中身をぺらぺらとめくってみる。皺ひとつない、まっさらなページ、新しい紙のにおい、期待でふくらむ胸。
最後のページに挟まっていた「ヒントのしおり」には、“ふたりのことを再発見する100の質問”とやらが、チェックリスト式にずらっと並んでいる。
☑︎ 子どもの頃の夢は?
☑︎ はじめて読んだ本は?
☑︎ 願いが3つ叶うとしたら?
☑︎ 自分の好きなところは?
☑︎ ふたりが入れ替わったら?
すでに答えを知っている質問もあれば、聞いたことがないものも。「この質問、彼は何て答えるだろうか」と気になるものもあれば、「自分なら、どう答えるんだろう……」と悩むものもあった。
その日、夫が帰宅すると、一目散に玄関へ駆け寄った。じゃ〜ん!と言いながら、彼の目の前にノートを差し出し、「今日から交換日記をはじめますので、よろしくお願いします!」と高らかに宣言してみせる。
夫からすれば、困惑の嵐だったに違いない、帰宅した途端に妻がぶわあっと走ってきて、真新しいノートを目の前に突きつけたと思ったら、いきなり交換日記の開始を告げられたのだ。
夫は驚いた顔をして、ノートを手に取る。
ぱらぱらと中身を見ながら、どうやら事情を理解したようで「交換日記ねえ」と呟いた。
聞けば、彼は人生で一度も「交換日記」をしたことがないらしい。
小学生の頃、複数の友達グループで、同時に3〜4冊の交換日記を回していた経験を持つ私は、「絶対面白いから!自分たちのペースで、ゆっくり始めてみよう」と半ば強引に迫った。
彼は手に持っていたノートを、ぽんと私の頭に乗せ、「やってみますかね」と小さく笑う。
出会ってから7年半。私たち夫婦の「はじめての交換日記」、その1ページ目がめくられた。
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最初に、交換日記をはじめる前の準備として、ふたりのプロフィールを記入し、続けていくためのルールを相談して決めた。
ふたりの約束事を、こんな風に書き出したのははじめての経験。明文化すると、なんだか「義務」のようになってしまわないかなと不安だったが、2ヶ月続けた今、ふたりを縛りすぎず、緩めすぎず、ほどよく支えてくれている。
次のページでは、「はじまりの質問」として、交換日記をはじめる前の素直な気持ちを、それぞれ書き出してみた。
「あんまり書くことないかな…と思ってたけど、普段そこまで考えずに喋ったりするので、考えてから伝える良い機会なのかなと思います」
夫の文章を読んだとき、ああ、もう、だから大好きなんだよなあと、たまらなくなった。
私の気まぐれで半ば強引にはじまったことも、頭ごなしに否定せず、ちゃんと向き合おうと、努力してくれる。
夫の筆記を見るのも久しぶり(プロポーズで手紙をもらって以来)だったので、彼の性格を表すように丸く、緩く、でも端正な文字をみて、自分でも驚くくらいドキドキしてしまった。
文字になった途端、なぜかお互いに敬語で、ちょっとヨソヨソしくなってるのも、笑える。
私はいとも簡単に、このノートの虜になった。
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2ヶ月が経った今も、交換日記は順調に続いている。だいたい1週間ごとに回すペースなので、まだ全体の5分の1も進んでないけれど、この「ちょっとじれったい」くらいの間隔が、交換日記の喜びを大きくしてくれるのだと思う。
感動したのは、日記が回ってくるたび、相手の新たな一面を知れること。
夫とは出会ってから長いし、知ってることのほうが圧倒的に多いと思っていたから、正直、そこまで新しい発見はないかなと見限っていた。
実際、そんなことは全然なかった。
夫は、どちらかと言えば「めちゃくちゃ喋る」タイプではない。(私が思ったことをツラツラ、バーっと話す人なので、そのせいもあるかもしれない)なので、交換日記の文章もさらっと、数行で終わらせるかなと予想していた。
ところが、蓋を開けてみれば、私よりも長文で、「ちゃんと」書いてくれているのだ。
あまりにも丁寧に書いてくれているので、「この質問に対して、こんなに深いこと考えていたんだ」とか、「普段の様子からは想像できなかったけど、こんなこと思ってたんだ」とか、とにかく発見の連続だった。
昨日、今日、明日と、日を経るごとに夫を取り巻く環境は(目には見えづらくとも)少しずつ変わっていて、それに合わせて夫も、夫の価値観も、考え方も、少しずつ変わっていく。
例えば、ある物事に対してAとBの考え方があったとする。昔は「絶対にA、Bはありえない」と話していた夫が、今は「どちらかといえば、Bかな」と意見や思考(嗜好)を変えていることが、これまでも何度かあった。
相手の変化に敏感になりすぎる必要はないけれど、毎日をぼんやり過ごしていると、そういった変化をいくつも見逃して、相手に対する「知らない」もどんどん増えて、なんだか寂しくなってしまう気がする。
パートナーだからって、相手のすべてを知る必要も、自分のすべてを語る必要もないという前提には立ちながらも、相手が「日々を過ごすなかで、何に触れ、思い、感じているのか」を、ふたりにとって心地よいペースで知れたのなら、それは、素敵なことなのだと思う。
少なくとも私は、交換日記をはじめてから、以前よりもっと、夫を好きになれたし、傍に感じられるようになった。
小学生の頃、親友の意外な一面を教えてくれた交換日記。子どもだったから、あんなに楽しめていたのかなと思っていたが、そうでもないらしい。大人になってからも、交換日記から享受できることは、たくさんあるみたいだ。
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今朝、リビングに行くと、机の上に交換日記が置いてあった。どうやら、順番が回ってきたらしい。
「前回、夫に何の質問をしたんだっけ……?」
それすら覚えていないけど、それすら楽しい。
ひと呼吸置いてから、ノートを開く。
「もし、透明人間になったら?」
夫から届いた、まあまあ難易度の高い質問。
さあ、なんて答えようか?
いい答えが見つからなかったら、自作の歌詞を書いてみるのも、ありかもしれない。
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