先生を偲ぶ会
今日はお茶の先生を偲ぶ会だ
101歳の人生を全うされた
事情により
私は会には出席しないけれど
ここから先生を偲ぶ
去年の10月
友人からショートメールが入り
会社帰り お通夜に出席した
もう15年以上が経つ お稽古をやめてから
懐かしい人たちに会えると思いきや
私は促された端っこの席に座った
ポツリポツリと
知った顔が見えるのだけれど
お焼香を済ませた人達は
私の前を通り過ぎ
私の隣の人のところへ
そう 15年のブランクは
そのくらいのものなのだ
わたしは空気と化していた
隣の人も知らない人かと思っていたけれど
ああ あの人だとわかって 少し話したり
一緒に先生のアルバムを見たりして過ごした
そう そのアルバムにも
先生と私が一緒にうつっているであろうお茶会の写真を
見つけることは出来なかった
ああ もう 先生の思い出の中に
私はいない人なんだと思った
お稽古をして過ごした日々は
人生のターニングポイントであり
思い出深い時間だった
断捨離しようとして 整理しても
捨てられない写真は この頃のものばかり
自分のおばあちゃんよりすごいと思える
はじめてのおばあちゃんだった
外を歩き花を見ては
先生が活けてくれたと思い出し
何かにつけては お稽古での教えを思い出す
”為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり”
と言った意味の強い先生の筆書きが水屋にはあった気がする
米沢藩主であった上杉鷹山の言葉だが
先生は強い意志でそれを貫かれた
ご自身でできることを数え
実行してこられた
だから先生には自信があった
先生の派手な字を見れば
それが感じられるだろう
先生のお孫さんも素敵な人で
土曜日のお稽古の日が
私の楽しみの時間だった
だけど 家が倒産し
やむなく 距離を置いた
そして そこから 私は消えていた
なんだか寂しい思いをした
だけど その思いも
贈り物なのかもしれない
「守破離」って言葉があったっけ
やがて そこから 離れる日が やってくる
それは 完成でもあり なんだか 寂しい
2月は先生のお誕生月
あらためて
先生 ありがとうございました
ひさびさの晴天
そしてきれいな満月の日に
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