ララの丘
序章
富士丘公園
戸建て住宅が集まる稲毛区穴川の中心に、東京湾と富士山が見られる高台として富士丘公園はあった。平日は広場の中心を子供たちが駆け回り、休日には遠隔地から富士見の観光客が訪れるその公園は、南北に設けられた長い階段をあがった標高八十八メートルの場所にあった。南西側は緑色のフェンスが設置された見晴らし台になっており、西に幕張新都心、富士山、南西に稲毛海岸、千葉大学、千葉ポートタワー、東側に千葉駅などが見えた。南西側以外には環状に松の木が植えられ、その木を抱いて咲く藤の花は以前この公園が「藤丘公園」と呼ばれていたように春には妖艶な紫色の花序を降ろし観光客を魅了した。区が富士丘公園として再整備するようになってからはその松も藤の蔓もよく剪定され、その造形美に見る者は圧倒された。
いっぽう、富士丘公園にはもう一つ人々から愛される木があった。それは見晴らし台の手前、富士丘公園の石碑の左隣に咲く車輪梅であった。レンガブロックで円形に囲われ、楕円形の深緑の葉を持つその車輪梅は、自然の幾何学の美を示したように「無駄」な枝を伸ばさず、誰の剪定も必要としなかった。初夏には白い花弁と赤い雄しべの花が咲き誇り、毎年のようにそれが西側の富士を向いた様に花を付ける事から、人々はそれを「ふじみの車輪梅」と呼んだ。しかしまたある人は、富士丘公園の見晴らし台から顔を伸ばす様に咲くその花に、「誰かを待ち続けて咲いている」と思いを巡らし「客待ち花」と呼んだ。しかし富士丘公園を訪れる全ての人々は、その車輪梅を誰が植えたのか知らない。
第一章
藤丘公園
付近の公園の桜が満開を迎え、四月は暖かい陽光と共に始まった。その陽光が空を薄青く色付ける午前9時ころ、穴川の閑静な住宅地の緩い右カーブを曲がり終えた行き止まりで一台のSUVが停まった。そそくさと運転席を降りてバックドアを開ける女性と、方や重たそうに助手席のドアを開け、遅れて後ろの荷室へと歩く青年。ベージュのワンピースに風を受けてすらりと立つ女性とは対照的に、青年が着ている真新しい薄灰色のジャケットは彼をより一層若く頼りなく見せた。その二人はどうやら母と子であった。青年はバックドアから円柱状に梱包された新品の寝具を担いで東側のアパートの二階に運び込んだ。一度は母親も後に続いて段ボールを運んだが、両手で持って胸元まで高さのある段ボールは非常に重いと見え、二階に続く外階段の途中で女性は一度足を止めて段ボールを持ち直した。
「改めて、本はずいぶん重たいものね」
「ありがとう、後は自分で運びます」
「それが助かるわ」
青年は残り二つの段ボールをアパートに運び入れると、幾つか言葉を交わして母親と別れた。
その公園は、小高い丘の上にあった。擁壁で覆われた南側斜面と平行に急な石段が二五〇段ほどあって、それに白い格子状の手摺りと数箇所の踊り場が設けられていた。平地にこぶの様に一箇所ある丘は、時々物珍しさに観光に訪れる人を除けば人の気配はほとんど無かった。
その公園には、藤丘公園という名があった。中心にある直径三〇メートル程度の空間に馬蹄形に松の木が植えられ、藤の蔓が松を抱くように伸びていた。南西側は視界が開けた見晴らし台になっていた。いくつかの花序が、南から吹く柔らかで暖かい風を受けて一早く垂れ下がっていた。
その日の昼下がり、転寝するように静かな藤丘公園はふと一人の来客をみとめた。南側の階段を一定の調子で上がる足音。現れたのは薄灰色のジャケットを着た青年であった。やや筋肉質に整った背筋ながら、彼の目は沈み切っていた。青年は見晴らし台の一歩手前にある万成石の碑に目をやった。
「藤丘公園」
その碑は、成人男性と比較したとき横が丁度その身長分、縦が足先から肩くらいまである大きな碑であった。彼はそれに両手を突いて背伸びをしてから、見晴らし台のフェンスに両腕をまかせた。
「どうしてこんな所に来てしまったのだろう」
青年のぼやけた視界には、新しい灰色の街並みが映った。彼の名は、高山慶多と言った。
その丘は、過去に彼を二回見たことがあった。一度目は、やや北風が冷たい三月下旬の事で、彼は母親と不動産仲介業者の三人で丘の下のアパートの内見に訪れていた。二度目はつい数時間前の事で、藤の花が暖かい日差しを受けて揺れていた時、彼は母親と共にそのアパートに新生活の荷物を搬入していた。その丘の下にある二階建てのアパートは、この春新たに大学生となった高山慶多の下宿となったのである。
東京湾を隔てた羽田空港から、耳をすませば聞こえるほどのエネルギーを放出して離陸する旅客機を青年は幾つか目で追った。最後の旅客機がとうとう目で追いかけられなくなってから、彼はズボンのポケットに手を入れて八つ折りに畳まれたA4紙の感覚を確認したあと、それを徐に取り出して開いた。文書の題名には、「二〇一九年度 千葉大学商学部 新入生スケジュール表」と記してある。それは他の誰かにとっては華々しい新生活の始まりを思わせる文言であった。しかし仮にその公園に誰か居合わせたならば、彼がその運命に微塵も高揚していない事は明らかに察せられたであろう。その時分の藤丘公園は、夕凪というには余りにも静かなほど風が吹かなかった。ただ一粒の涙を落して階段を下って行く青年の背中を、早々に花開いてしまった藤はしんみりと見送った。
千葉公園
いやに晴れた休日の朝、下宿に落ち着いていられなかった私は玄関を押して外に出た。習慣的に折り畳みの財布と小銭入れ、携帯電話の三点をズボンのポケットに入れ、少しばかり風が冷えたからグレーのコートを身に付けて出た。行き先は分からない。しかしどことなく遠くに歩いて行きたい気持だった。
下宿の階段を降りて静かな路地を東に歩いた。左右に閑静な住宅地があって、それを抜けると専門学校、小学校、大学、高校と校舎が多い通りを抜けた。幾らか歩いているうちに静かな細道は国道とぶつかった。路上にはやや停滞した車列のエンジン音、その直上には千葉都市モノレールのどろどろとしたタイヤの通過音。あまり交通量の多い道を進みたくなかった私は、早足でその地点を通り過ぎた。道をさらに進むとボートが浮かぶ一つの池を見付けた。周囲には桜が満開に咲いており、すでにひらひらと散り始めているものもあった。案内看板を見れば、どうやら私は千葉公園という場所に来たようであった。
公園のベンチに腰掛けて、私は船を浮かべて動かない池と行き過ぎるモノレールを眺めた。この日は土曜日だったから、やや家族連れが多く公園には幼子の高い声が時折響いていた。新しく誰かの母となった人の押すベビーカーにソメイヨシノの花弁がぴたりと付く。今ここにある私の外の世界は、ただ私の内側を除いて春を愉しんでいるようだった。
私が初めて千葉を訪れた理由に、何も明るいものは無かった。遠く信濃の下諏訪から東京を抜けてこの地に降り立った理由は、言わば敗戦処理をするようなものだった。三月の初旬に大阪大学文学部に落選した事を受けて、私はお門違いの千葉大学商学部の後期試験を受験した。望まぬ学問を望まぬ地で始める、その為の試験に臨む私の精神はもはや崩れ切っていた。落選するはずがなく、しかし同時に憧憬もない校舎で向こう四年の人生を歩む事になった私は、それから急流を下る様に過去の身辺を整理してこの地に至った。
私が生まれた家庭は、アカデミックの風が強い家庭であった。父は東京大学大学院で物理学を専攻し、現在は名古屋大学理学研究科長である。母は早稲田大学文学部を出、私の卒業と共に松本高校の国語科教諭に転任した。学生時代の交流こそ無かったというものの、父母共に長野高校の同期である。また私の兄は松本高校を出て京都大学工学部に所属している。父方の祖父では更に顕著で、太平洋戦争時代に東京府立第一中学に入学し、戦後は一高、さらに東京大学工学部に進学して卒業後は長野で産業技術研究所を創業した。研究所時代に事務員を務めていた祖母と結婚したが、その祖母も戦後に上田の高等学校を出ている。周囲を錚々たる面々に囲まれる中、やや学業に後れを取り一人だけ劣位にあった私は、常に暗い影の中で人生を歩いてきた。それは何も学問だけに尽きなかった。私は物心付いた頃から剣道をやっていたが、父や兄の実績に並ぶ日は終ぞ無かった。父は長野高校時代、剣道部でただ一人だけ屈指の実力を持っていたという。私が幼い頃、母の強い説得で父が収納の奥深くから年季の入った木刀と幾つもの全国大会の賞状を出した事がある。兄もまた松本高校時代に数回、個人戦で全国大会に出場した経験がある。その一方で私は、かれこれ高校卒業までの十数年を剣道に費やしたものの、それに打ち込む気概も十分になく、県大会より上の景色を見たことは無かった。学問だけでなく武道でも劣位に立つ事実は、私をより残念な心境にしていた。
私は作家というものに憧れていた。それは険しい連山に囲まれてくらい谷底を生きる私に、穏やかな光を分けてくれた。私は移り行く景色に、自然にいたく癒されていた。それは私の暗い世界を殺し、代わりに静かな世界を見せてくれた。殺伐、喧噪の溢れる世界と距離を置いて、静かな境地で私という存在を見つめる、蠢くような人間の本能から脱して風に揺れる草木の様に生き、死にゆく儚くも厳かな存在に、私は心を囚われていた。私が文学を志した理由は、だいたいそんなものだったと思う。何かにつけて上手に行かなかった私に、正統に人間界を歩もうとする気持ちは生まれなかった。むしろそれから距離が置ける場所に私はこの上なく感動していた。
一方で商学は私自身と縁遠いものではなかった。幼い頃、父母にかわって世話を焼いてくれた祖父は、私が生まれる以前に研究所を後任に譲ったものの、依然として一経営者の風格があった。また、私にとって祖父は喧噪から離れた静かな境地に生きる存在であり、拠り所でもあった。しかしながら、大学受験期にようやく剣道から離れ、私なりの世界を生き始めようとした矢先に起きた脱線は、易々と受け止められるものではなかった。
蓮の葉が浮かんだ池に、また新たに桜の花びらが落ちる。いったいこの春に何枚の花弁がこうして落ちてゆくのだろう。その儚い景色を、人々は去年も今年も同じ景色として眺めている。その一枚一枚の変化に気付くよりもむしろ、それを見ている自分自身の変化に物悲しさを覚えてしまう。
普段ほとんど干渉しない父が、私の大学受験の志望校決定に際しては頑なだったことを思い出す。当初文学部以外の受験を考えておらず、本命の大阪大学を二度受験するつもりだった私を父は許さなかった。父は私の心積もりを窘め、前期の大阪大学以外、ほかに文学部を受験する事を許さなかった。その代わりに父は私に商学をやれと言った。元来父に背く実績も習慣も持ち合わせていない私はそれに抗わなかった。またその時分の私には落選後の未来も見えていなかった。そうして父の命に従った私は、今ここに辿り着く運命となった。しかしその決定打が自身である事は、何よりも不甲斐なく思われた。またしても私は父という果てしない存在に先を見透かされ、そして墜落を免れるよう不時着させられたのだろう。生まれてこの方、父という存在に生かされてきた私は、父が下した決断で自身が致命傷に至る可能性を疑う事は無かった。しかしその屋根に守られた家畜の様な自身の有様に虚しさを覚えない日も無かった。私はこうして、私なりに生きる道を失った。
n 二〇一九年四月十八日 千葉大学
大学に通い始めて思う事は、講義室の机と椅子の綺麗さである。一つ一つの机は清掃スタッフによって拭き上げられ、破損や深い傷が入ったものは見た事がない。一方で、これが本命の大学と異なる材質やデザインである事が未だに私の胸を痛くする。鉄筋コンクリート造りの新式の建築は明るく不便が無いものの、その明るさが私の傷を照らしている様な気がする。
一年次の講義では、商学の基礎的な部分と教養科目を包括的に学習する。基本的に殆どは必修科目であり、部分的に教養科目を選択する形式である。私は教養科目で文学や言語学、心理学、宗教などを選択した。
講義時間の十分前になると、学生らは皆入口の壁にあるカードリーダーに学生証を登録する。この時間帯は教室外廊下と教室内が非常に混雑するもので、人気の講義では席数以上に学生で溢れる事もあった。しかし一方で、授業開始時間にもなると実際に着席している学生は三分の二程度であった。講義終了時間帯になると出席名簿が回される講義もあり、当初の私はこれらの意味についてよく理解出来なかった。講義を受けに大学を訪れる大半の学生が必要としているのが知識そのものではなく単位であるという事実は、私には想像もつかなかった。また、わざわざ出席の条件を定義し、遅刻何分までは出席扱い、それ以降は欠席扱いといった制度がシラバスに厳密化されている事についても、当初はその必要性が分からなかった。しかし恥ずかしげも無く教授の講義中に侵入する学生を何度も目の当たりにすると、その制度が「生きている」事が良く分かった。数日間の講義で多くの学生の行動を目にした私は、それらの意味を認識すると同時に、過去に私が犯した努力不足の帰結をこの上なく悔やんだ。試験を超えて集結した同門とは、以前の成績に関して似たり寄ったりの連中の事である。その学問に対する態度は、そのまま過去の自身の態度を表していると言っても差し支えない。そう思うと、講義に現れる無秩序の雑踏に対する憎悪は日に日に増していった。
商学部では少人数で行うディスカッションやグループワークを基本とした講義が多くあった。私はそこで幾つかの知人が出来た。高宮君とは月曜日、金曜日の放課後に会話する機会があり、山本君とは木曜日の昼に食堂に行くことがあった。高宮君は千葉県の外房地域から通学する学生であった。当初から千葉大学を志願し、前期日程で合格した非常に順調な大学受験であり、入学を誇りに思っているようだった。一方で英語については未だに四苦八苦しているようで、最下部のクラス分けになっていた。彼は私に専ら純真に将来の目標を語った。どうやら彼は人材派遣で起業するようであった。他方、山本君は穏やかで物静かな学生であった。埼玉県の草加から通学する彼は、これといって趣味は無く、やるべき時にやるべき事を全うする学生であった。彼らからは時折、講義内容や課題についての協力依頼が来ることがあった。
入学以来、学問に不誠実な学生が多く目に留まる中、こうして真摯な学生に出会えた事は心の救いであった。一方で、そのどれもが私の思い描く学友の持つ刺激に満たない事は再び私に物寂しさを感じさせた。そこには、鷹揚な雰囲気で若くして教養に満ちた者も、血気盛んに、一方で真の純粋さを持って社会を議論する者も、書斎で生涯を終える様な本の虫も見る事がない。むしろ多くあるのは、ある階層のある年齢に相応の典型的な学生であり、それぞれが小さな個性を持っている事はあるものの、学問の極致に見る類いまれなる才覚の気配は見受けられない。むしろそういう気配は、以前私が居た松本高校の方があったような気がしてしまう。こうした経験は、少しずつ大学生活が私のものとして浸透していく中で、拒絶や抵抗といった熱のある心情よりもむしろ、未練や諦念といった冷え込んだ心情を強くさせた。私はただ静かに、こうした寂しさを受け入れていかなければならなかった。
本郷
私の松本高校時代からの友人である石井君から、本郷に下宿する広瀬君の家を訪ねる誘いが来たのは春の大型連休前であった。私と広瀬君は松本高校剣道部の同期であり、中学時代にも何度か剣道の大会で顔を見たことがある。一方の石井君は高校二年目の級友であり、また広瀬君とは同郷の岡谷市出身で幼稚園時代から交友があったために非常に仲が良く、度々三人で娯楽に興じる事があった。
季節は初夏の様相を見せ始め、湿って生暖かい風が吹く日が増える様になった頃、各々は着々と新たな進路をアイデンティティとして身に付け始めた。石井君は上智大学文学部に、広瀬君は東京大学文科一類に、それぞれの学問を求めて通っていた。一方でそのアイデンティティを披露する場所は過去の付き合いに求めるようだった。当の私は未だに燻ったまま、共に故郷を離れて首都圏に身を置く友人と会う事は、少しばかり懐かしい風に癒される一方でその実績と精神の差異に痛みを感じるものであった。
本郷へは西千葉駅から総武線に乗って出掛ける事にした。やや行楽客の多い午前八時の車内で、ロングシートの隅にリュックサックを抱えて座った。列車は小刻みに停車駅をやり過ごし、三十分と経たない内に江戸川を越えて東京都に入った。両国駅を過ぎたあたりで私は立ち上がった。石井君と広瀬君は既に御茶ノ水駅に到着している時刻のため、一刻も早く駅舎に向かおうと思った。
二人は神田川と明大通りの交差する御茶ノ水橋の手前で待っていた。二人とも半袖に長ズボンの格好で、大学に入って以降も剣道を続けている広瀬君はより逞しくなった腕の筋肉を見せていた。
「慶多君、久しぶり」
広瀬君は穏やかに右手を挙げて言った。石井君もまた静かに右手を挙げた。卒業して以来二カ月ぶりの再会で、我々は制服を脱いで以降未だ見慣れない私服姿の各々を新たに認識し、確かに一つの「箱」から我々が旅立った事実と、新たな「箱」がもはや個々を包み込んでいない事を理解した。
我々は順天堂横の通りを抜け、本郷三丁目駅付近で右手の小さな路地に入った。両脇には二階から三階建て位の古いビルや家屋が並び、建物の隙間を埋める様に階段や物置があった。狭い玄関やガレージが設けられた家が多く、コンクリートの洞穴のようにも見えた。道路には主婦や配達業者の自転車が行き交っていた。広瀬君は時折、通り掛かるコンビニや惣菜店を指差して普段そこで何を買っているのか説明した。この一ヵ月の間で生活資源の調達に慣れた彼は、時折辺りの店の陳列を観察して回っているらしかった。
下宿は本郷菊坂にあった。二年間は教養課程のため講義は駒場だが、家賃相場と本郷で行われる剣道部の活動を鑑みた結果最初から本郷に住むことにしたらしい。四階建て八部屋のうち、二階の一室が広瀬君の下宿であった。ワンルームの下宿はドアを開けると一人ずつ靴を脱げる広さの玄関があって、真っ直ぐ進んで左手にトイレ、バスルームがあって、右手には台所、炊飯器、レンジ等があった。広瀬君は親戚から安曇野産の米を送ってもらい、毎日自炊しているという事だった。
若干の休息をした後、我々は昼食を兼ねて近隣の散歩に出掛ける事にした。リビングにリュックサックを置いて軽装になった後、玄関の扉を開ける広瀬君に私と石井君が続いて出た。
外は依然として湿った暖かい風が吹いていた。再び建物、電柱、室外機と様々な構造物が凝集する細道を歩いた。やがて隘路は本郷通りとぶつかり、横断歩道を挟んだ向かい側に東京大学の正門が見えた。信号待ちをする人の中には、幾つか学生らしき人の姿があって、それぞれが同じ門に目を向けているものの、誰一人として群れを成している者は見当たらなかった。普段、男女共に幾人かの群れを成す学生を多く見る私にとってこの光景には目を見張るものがあった。正門をくぐると銀杏並木の通りがあって、青葉を付け始めた銀杏が陽光を受け止めて通りに穏やかな日陰を落としていた。両脇には工学部列品館、法学部三号館、一、二号館とあって、縦長の窓、連続アーチのポーチ、柱の装飾など、その堅固なカレッジ・ゴシックの見た目は建築に疎い自身にも意匠性を感じさせた。
「おお、安田講堂だ」
石井君が正面を見て言った。銀杏並木の先には、確かに安田講堂があった。この場所には、幼い頃一度兄と共に祖父に連れられて訪れた事がある。講堂の入り口には警備員がサーベルに両手を突いて立っている。大学が休講のために我々三人以外に学生の姿も無い中、警備員だけが講堂の入り口中央に立っている風景にはやや物々しい感じがした。我々は安田講堂を後ろに据えて記念写真を撮った。それから広瀬君が毎日剣道の稽古をしている七徳堂を訪れた。瓦屋根に鉄筋コンクリート造の建物で、内部は板の間と畳で半分ずつ分かれていた。
ひととおり大学構内を散策した我々は、大学を出て不忍池方面に向かった。丁度時間は正午前になったから、我々は道路沿いにある喫茶店に入ってパスタを注文した。それから私と広瀬君はアイスコーヒーを、石井君は紅茶を注文した。店内とガラスで隔てられた路地には、時々スーツ姿の会社員や行楽客が通り過ぎる。
数分待って飲み物とパスタがそれぞれの目の前に届けられた。各々がフォークを片手にそれを食べ始めた。皆、黙々と食事をしていた。私はパスタをフォークに絡めては口に運びながら、高校時代の広瀬君の事を考えていた。入学当初、彼と私は先ず同じクラスで顔を合わせた。中学時代に幾度か見た彼の事を、私は覚えていた。彼もまた、私を記憶していた。「箱」に入ったほとんどの生徒が各々を知らない中で、彼と私は互いの過去を見知っていた。私が剣道を選ばない道は無かった。松本高校剣道部の主将であり、全国大会に出場している兄の垂れ幕が高校に掛かっている以上、その弟が入学するという情報は当然部内でも話題になっていたため、無理に入部を逃れるよりもむしろ所属していた方が無難であった。中学から剣道を初めて、大学でもなお熱心に取り組む広瀬君にとって、大した熱意も無くただぼうっとしているような私が先輩方から熱烈な歓迎を受ける姿は到底心地よいものでは無かっただろう。高校一年目の彼は、私に対して暗に敵意を持っていたと思う。高校三年になるまでに、彼と私の剣技は私の方がやや上かあるいは互角となった。一度は共に県大会上位まで進み相対して戦う事もあった。私は熱心な彼を尊敬していた。私と異なり、身内に模範となる競技者が居るわけでもなく、経験年数も長くない中で実績を積み、着実に技量を上げていく彼を少しばかり恐れてもいた。高校二年の終わり頃、結局主将になったのは兄の存在の大きさや戦績から私であったが、正直に言えば彼がなるべきだと私は思っていた。
一方の学業においては、彼の方が私よりも常に上であった。生まれ付き要領が悪い私に対して、彼は教員の説明を表情一つ変えずに聞き取り、その説明が終わるまでに内容を体系化していた。あるいは、今思えば教員の説明以前に既に体系化された知識があった。学業、剣技ともに優秀な兄の評判が度々流れる校内で、少なくとも同じ部員に学業で後れを取る事は体面上芳しくない話であったが、私が成績で一位を独走する彼を上回る日はついに無かった。
皆食事は一通り終わって、飲み物で喉を潤していた。平然と紅茶を口元に運ぶ石井君は、広瀬君の事をどう思うのだろうか。どこか個性的で、他人に同調することも少なく羨望や嫉妬の感情をほとんど見せない彼は、大学の進路選択で私と広瀬君が国公立を志望する中、特段不得意な科目があるわけでもないのに私立を志望した。彼の成績からして早慶を受験するかと思えば、本命を上智大学一本に絞って涼しい顔をして合格していた。彼の合格の知らせを聞いた時は、その余りの緊張感の無さに驚愕したのを覚えている。
彼は内心で広瀬君をどう思っているのだろうか。幼少期から現在と同じように隣同士で過ごしてきた彼にとっての広瀬君は、未だに隣同士束の間も離れない存在として映っているのだろうか。そうであるならば、歴史ある建築を見る度、そこを通る人々を見る度、自身に対する無念な感情が萌芽する私の内側をどう解釈したら良いのだろうか。
食事の支払いを終えて我々は店を後にした。旧岩崎邸の石塀を右手に無縁坂を下って不忍池に出た。昨年枯れた黄色の蓮が池の水面から突き出ている。その奥には八角形の弁天堂が見える。左手の土手には葉桜が並んでいる。やはり実際に散歩するにも丁度いい場所だ、と広瀬君は言った。度々文豪が題材にした不忍池は、その新たな学生を迎え入れて一つの拠り所となっていくのだろう。私が現実に目指す事さえしなかった場所で、私と共にあったはずの友人が日々を過している。全く見えていなかった訳ではないその景色を、どうして私は目指す事さえしなかったのだろう。今日こういった景色をはじめて見たわけでもないのに、なぜ私は今になってその景色を愛おしく思ってしまうのだろう。祖父も父も、確かにそこを歩いてきた筈なのに、なぜ私にはその景色が見えていなかったのだろう。今、彼の姿は、清々しく美しい。その姿が私に無いのが残念に思えてならなかった。
夕食は自宅で摂る事にした。本郷四丁目のスーパーに立ち寄り、麻婆豆腐の素と豆腐、ねぎ、それにつまみといくつかの酒を買った。下宿に帰るとさっそく米を炊き、フライパンで麻婆豆腐を調理した。辣油と山椒の鼻を突く香りが部屋を覆った。それが彼の下宿生活の刺激の大きさを表している様な気がした。一人用のテーブルに三人分の食事が埋め尽くすように並んだ。酒のプルタブを開け、グラスに注いだ。少しばかり早く作り始めた夕飯であったが、食卓を囲む頃には戸外は日が暮れていた。話題は専ら高校時代の同期についての話であった。誰がどの大学に合格し、結果としてどの大学に進んだか、誰は浪人し、誰は予備校に通い、そんな人それぞれの「箱」の去り方を我々は共有した。ときおり他愛ない冗談を交わしながら、我々は少しずつ酔っていった。私が初めて飲んだ麦酒の味は、ほろ苦い余韻を残して喉元を過ぎていった。一日中街を歩いた疲労とアルコールの作用で身体の力が抜けていく中で、私はこの味を生涯忘れる事は無いだろうと思った。
翌朝、我々は午前中に御茶ノ水駅で別れた。広瀬君は天皇陛下御即位の一般参賀に訪れるため、皇居まで向かうらしかった。私と石井君はそれぞれ千葉方面、新宿方面のホームに別れていった。
凡才
大学から下宿に向かう住宅街の路地を、書籍数冊分重くなったリュックを背負って歩いた。空一面を灰色の雲が覆い、アスファルトから湿った香りが立ち昇る。宅地の庭と路面との境界には紫陽花が赤、紫、青と様々に咲く。晴れ間が多かった五月と打って変わって、六月の初旬は明らかな梅雨入りの空模様であった。格子状の生活道路を抜けると、長い右カーブに差し掛かる。下宿が右奥側に見えてくる。玄関まで残り百歩も歩かない距離に近づいて、私はリュックサックから今日購入した小説の一つを取り出した。「凡人」、ミリオンセラーの小説を何作品と手掛けてきた西片俊幸の新作である。発売当日で既に三十万部が発行されており、百万部を優に超える売上が予測されている。六月初めに大学構内の書店で予約の取り扱いをしていたため、私は講義の空き時間に書店で事前予約を入れていた。
小説は既に大方読み終えている。自宅に着いて学習机に落ち着くと、私は終盤まで読み進めた小説の続きを開いた。
中流家庭の一人息子として生まれた三宅は、学習塾のお陰でやや良好な学習成績以外に特段目立つ所の無い少年時代を過ごし、高校、大学と進んで東京の一般企業に就職した。異性との交際も多くなく、かといって仕事に熱心でもない彼は徒然なるままに会社と自宅とを往復する人生を送り、三十代に突入していた。実家の両親は近所の結婚の話、職場の同僚の中でも同じく結婚を意識した会話が増える中、今までも無難な生き方を選んできた三宅は自身に結婚の必要性を感じるようになる。後日、職場の同僚と合コンに参加した三宅は、そこで社内人事部の石渡と出会う。地方から東京に越して一人暮らしをしている二人は互いに意気投合し、それから一年の付き合いを経て入籍する。三宅は石渡に新しい世界を見付け、仕事にも精力的に打ち込むようになった。一方の石渡は第一子を身ごもり、全てが順調に運ぶかに見えた矢先、三宅の前に小学校時代の親友伊佐山が現れる。伊佐山はメディア事業でメガベンチャーの株式会社サイバリズムの代表取締役になっていた。共に同じ学習塾に通い、六年間学舎の内外を問わず三宅と共に過ごしてきた伊佐山は、世間一般のライフイベントに外れないよう就職、結婚をする余りにもありきたりな生き方を選んだ三宅に対し、中高一貫校に進学する自身との別れ際に「お互いに世間に埋もれない普通でない生き方をしよう」と約束した事を思い出すよう三宅を諭す。突如現れて忠言を置いて行った伊佐山に当惑すると同時に、遠い過去の自分自身が死以上に恐れていた「普通」という呪縛を鮮明に思い出した三宅は自己喪失に陥り、自身を取り囲む社会や石渡との関係、将来生まれ落ちる事の間に構築される量産品のレッテルに絶望感を覚え荷物も持たずに失踪する。一ヵ月もの間世間を彷徨い続け、今までの人生で有り得なかった「普通」でない世界で自身の体の汚れと激しい飢え、世間からの冷酷な視線を当てられ続けた三宅は、それでもなお死に辿り着けなかった自身の運命を諦観すると同時に、自身が「普通」の遺伝子を持って生まれ、「普通」の生き場所に飢えている事実を思い知る。溢れる激しい孤独感のままに三宅は石渡と同居するマンションを訪れたが、三宅の失踪によって社内の混乱を一身に受け、過大な精神的不安に苛まれた石渡は流産して入院していた。自身が犯した罪の大きさを思い知った三宅は、現職を退職後に再就職して石渡の下へ懺悔に訪れる。再び石渡と夜を共にした三宅は、ベランダ側の窓から差し込む月明かりで白く艶やかに光る石渡の頬を眺めながら、なぜ「普通」の名の下に生まれた者が「普通」の人生を恐れ、それから外れようとしたのかを考えていた。三宅は、今なお隣で眠り続ける石渡の可憐に生え揃った睫毛を見て、それを恐れて抵抗する事もその理由も、「普通」に生まれ落ちて死んでゆく自身には有り得ない事を悟った。
「僕にはもう二度と、あなただけの為にあれない時が有ってはならない」
静かな寝室に聞こえる小さな寝息を感じながら、三宅は自身の生を再定義した。そうして一つ生まれた「普通」が、また世間を「普通」たらしめた。
住宅街を叩く重く低い雨音の手前に、ベランダの鉄柵で跳ね返る高音域の雨音が聞こえる。窓の外では既に日没で薄暗い曇り空がさらに濃い灰色に変わっていた。どうしてか私はその雨に打たれたいと思った。玄関に差してあるビニル傘を手に、玄関のドアレバーを捻った。雨の跳ね返りで大学に履いていく靴が濡れるだろう事も、今はむしろそうあれば良いと思った。
藤丘公園に続く石段の途中では、青紫色の紫陽花が群生して雨を受けている。石の階段で跳ね返る雨の音を感じながら、手摺りを頼りにして徐に昇ってゆく。靴は既に水滴を受けて濡れている。爪先に雨水の冷たさを感じる。手前のマンションの奥に西千葉の街並みが見えてくる。
藤丘公園は、一斉に散ってゆく藤の花で妖しい紫色に染まっていた。街並みと一定の距離が置かれたこの場所には、誰の声も届かない。上空から打ち付ける雨粒の音は、人々の営為によって生まれる多様な雑音を奪い去って、ただその雨音だけを土に、木に、フェンスに轟かせている。私は安心して差していたビニル傘を畳んだ。濡れたフェンスに両手を突いて、ただ空から降る雨に身を任せた。短髪がシャワーを浴びた様に、ジャケットが水に浸かったように濡れていった。
藤丘公園には、紫色の絨毯が敷かれている。私を除いてそこには人の気配が無い。小高い丘からは多くの景色が見える。しかし目下鈍色の団地群ばかり見詰めている私には、孤独な公園ばかりが儚く美しく見え、それが立っている場所を嘆いてしまう。「凡才」とは、正しく私自身の事ではないかと思った。私には決して無難な人生を歩もうとする意志は無い。むしろ生まれながらにして、無難が許されない人生であったと思う。しかしながら、私の抱く理想を見た時、その対岸にいる真実の私を「凡才」という言葉を使わずに何と言おう。自身の進路も正確に辿れなかったにも拘わらず、未だ心中には作家という憧憬が映り続けている。外側に反映されないその景色を、私はどうすればよいだろう。私は生き方について前向きに考える事は少ない。一方で死に方について拘泥することは大いにある。「世間に埋もれない生き方」がしたいと願った事は無い。しかし世間に埋もれて死んでゆきたくはない。私はただ無意味を恐れている。一方でニヒリズムの思想を受け入れ、原点から積極的に意義を生み出そうとするほど活力に満ちた存在ではない。世間に埋もれない存在に包囲され、その中で私だけが埋もれていく寂しい現実を目の当たりにして、それでも妥協点や諦観する理由を一つも得られずに私は彷徨っている。
雨足は一向に弱まる気配がない。しかしその雨が私の傷を癒していた。しとど降る雨に身を任せ、ただ私という存在を冷たくして、情けないものをより情けなく描写することで私は私を美しく保とうとしている。しかし今の私自身に、その雨をどうにかしようという気概は見受けられない。ただ私をどうしたいのか、どうすればよいのか問うているようで、本質は見せかけに問う自身に酔っていた。十八という若さが、あるいは大学一年目という相対的な時間の猶予が、その時分の私を雨の下に誘っていた。
帰郷
下諏訪駅を降りたのは、大学に通い始めてから初めての事であった。朝方西千葉を出た時、既に肌に差していた強い陽光も高湿の空気も、諏訪に降り立てばそれほど強烈ではなかった。私は二泊分の私服が入って膨らんだリュックを背に、山側にある自宅へと向かった。
自宅は下諏訪駅から八十メートル程標高の高い桜ヶ城跡付近にあった。諏訪大社下社秋宮に接続する大社通りの上り坂を上がると、旧中山道下諏訪宿を示す提灯が下がった通りを抜けて細い急坂に差し掛かる。それを数十メートルほど登った頂上に自宅がある。久々の帰省にあたり、登山するように急な自宅前の坂で息が上がった。
自宅の庭からは諏訪湖とその北岸の下諏訪町、祖父母の住居に近い諏訪湖畔の赤砂崎公園、その先に岡谷市街が見える。一方、諏訪湖を挟んで南岸側には中央自動車道が、東岸側には上諏訪駅のある諏訪市が見える。山では自宅裏側の斜面を上がって霧ヶ峰、表側では西側に飛騨山脈の御嶽山、南西側に木曽山脈、南東側に赤石山脈の仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳が見られる。関東平野でも群を抜いて平地の千葉県で数カ月生活した後に下諏訪を訪れると、その山脈に囲まれた地形の複雑さや突如として現れる諏訪湖の妖しさをやや新鮮に感じた。しかし一方で、山のある場所に帰ってきてしまった実感が徐々に自身を暗くし始めているのも事実であった。
自宅のリビングには既に京都から帰宅した兄がいた。兄は二人掛けのソファの一方に腰掛け、もう片方に数冊の書籍を積んでいた。察するに帰宅してもする事が無いので父親の書斎から適当に数冊持ち出したのだろう。今は無表情で素粒子物理学の本を読んでいた。
私は春先に片付けた自室に布団を敷きに行った。クローゼットの中には、荷物整理の時に仕舞いこんだ段ボールが入っている。長らく使用していない机の面や空の書棚にはちらちらと埃が落ちている。誰も居ない空間に滞留し続けた過去の空気を感じて、心が揺らぐ感覚があった。しかし取り敢えず寝場所を用意するため私は掃除機をかけ始めた。床の上に落ち切った埃を取り除くと、ぼやけた床が元の色に戻った。一通り掃除を終えて布団を敷いた私は、空いた時間に先ほどの心の揺らぎを確かめるべく段ボールを開けた。勿論、中に入れたものは知っている。問題はそれを現在の私がどう思うかであった。梱包が解かれて先ず目に入ったのは大阪大学文学部の「赤本」であった。それから付箋だらけの英単語帳をはじめ各教科の汚れた参考書。中身は全て大学受験期のものであった。私は、過去の自分が捨てられなかったそれを一つずつ開き始めた。
机上の蛍光灯の光を受けて浮かび上がる文字を、ひたすら私は右から左に、あるいは左から右に追っていた。漠然と大学という巨大な機関を目指して、自分なりの学問を修得する権利を得るために私は書籍を追いかけた。痺れる肌寒さが続く冬の朝に夕に、通学する車両の中で付箋を貼っては剥し学習した。そうして以前にも増して必死に取り組もうとする自身に私は満足していた。
あの時、私は確かに劣等感という概念を忘れて生きていた。懸命に取り組むという意味を、無心に行うという意味を知ったつもりで日々を過ごしていた。しかし今となっては、その必死さがただ空転しているだけであったと分かる。私は兄のように静かに本を読んでいた訳ではなかった。ただ私に積み重なる劣等感から逃げたいがために、あるいは成功以外の結果を恐れていたために、胸騒ぎしながら本を走り読んでいた。そうしてさえいれば運命が何とかしてくれると、あの頃の自分自身は暗に思っていたかも知れない。
結果として分かった事は、私が何も分かっていなかった事実である。詰め込んだ幾つもの学問は、自身の生活と遠いものから揮発してしまった。それは自身が真に必要としていなかったがために儚くも消え去ってしまった。そうして落選と同時にアカデミックの道が私から遠ざかり、代わりに交通量の多いバイパスに私は足を踏み入れている。それは量産型の道であり、一般人の物流路である。
純粋な学問を社会に要求される父や兄とは異なり、私は学業と並行してスーパーの品出しをしている。大学一年の前期日程が終わり、カリキュラムの進行に慣れた一方で生活費が心許なくなった私は、八月初めに夏季休暇に入ると同時に普段通っていた下宿近くの地域スーパーに平日の夕方から夜の間でアルバイトを申し込んだ。それから盆休みまでの間、平日は毎日スーパーに通っていたが、通い始めこそ多少の新鮮さがあったものの毎日となれば一体自身が何者であったか分からなくなってくる。
私の身分は学生である。学生の本分は学問研究にある。勿論、世間でその原則が通用していない事は私も既に知っている。しかし身近に本分を全うし続ける者がある中で、率先して自身がそれから外れていく事について抵抗があった。
パンを保管庫の段ボールから陳列棚まで運んでいる時、私は職務として無心にそれを続けている。雇用契約を守る義務を感じて、私はそれを躊躇せず行う。しかし一方で、私がパンを運び終え、店の営業が終わり、制服を脱いだ途端に私は私自身に矛盾を感じてしまう。制服から私服に変わった自身の姿に、私は何の意味を見出せば良いのか分からなくなってしまう。
恐らく父や兄は、学問研究に自身の価値を見出し、また社会から研究を強く要請されている。だからこそ、彼らは私と異なって他の制服を着る事に違和感を覚え、一方のスーツや私服に確固たる個性を発揮出来る。一方の私は、私自身の学問研究に対して未だに自負心も存在価値も見出せていない。それが制服を脱いだ私を苦しめてしまうのだろう。
最近になって私は、時給千円の職務と、その時間に受けられる講義の価値とを秤にかけて考えてしまう。いったい講義を受けずに大学を去っていく学生と、原理原則に囚われて講義を受けている私と、どちらがより賢明な選択をしているだろうか。こうして私の時間が金額化されてみると、その判断は案外にも答えにくいものだと思う。いま私は迷っている。迷う事の無い、あるいは世間にそれを許されない父や兄と違って、私は私が半端な進路を歩んでしまったがために迷っている。それは不名誉な事だと思う。しかし私の前には、未だ確固たる答えが無い。
夕日が御嶽山のある飛騨山脈側に向けて沈んで行く。窓の外には一羽の鳶が凧揚げの様に風に浮いている。鳶は右に左に円を描いて旋回しながら、諏訪大社の杉林に向かって降りて行った。祖父母の自宅に向かうため、私は自室をあとにした。
自宅を出ると、来迎寺の鐘の音が聞こえた。高山家代々の墓は、両親が下諏訪に自宅を設け、その数年後に祖父母が諏訪湖畔に越してきた時、長野市内の共同墓地から改葬した。毎年盆休みには夕方頃に祖父母の家を訪れてから、来迎寺に迎え盆に向かっている。兄と私が小さい頃はそのまま祖父母の家で寝泊まりしていたが、最近では盆の支度と夕食のみ同席して夜は帰宅している。兄と私は自宅に置いてあるSUVに乗って祖父母の家がある赤砂崎公園の方へ向かった。
祖父母の家に着くと、祖父が玄関先まで迎えに出てきた。祖母は仏壇のある和室で一早く盆飾りの準備をしていた。祖父母共に季節を跨いだ久し振りの再会を喜んでいた。両親も間もなく到着するらしく、それまでの間私は赤砂崎公園を散歩する事にした。
赤砂崎公園は、私が小学校時代に砥川を挟んで左岸側から着工し、私の松本高校時代にジョギングコース、防災ヘリポート、多目的グラウンド等の施設が完成した。その後右岸側が着工し、広場や展望丘、遊具等を含む施設が現在も建設されている。諏訪湖が一望でき、甲府盆地方面が晴れた日には正面に富士山が見られるこの場所は、祖父母の実家が拠り所であった私にとって公園の着工以前から馴染みのある場所であった。その中でも、午後四時三十分に鳴る「夕焼け小焼け」のオルゴールのチャイムは寂しい気分の多い私を素直に感傷に浸らせてくれた。
しかし一方で、公園が綺麗に整備されていくほど感傷に浸れない時間は増えていった。赤砂崎公園を訪れる観光客が増え、地元の人々もまたそこを利用するようになると、景色に一人閉じ込められたようにその場所に居る事は出来なくなった。公園一帯は夏場に毎夜打ち上がる花火だけでなく、八月十五日の四万発の諏訪湖花火大会を前にして徐々に観光客の数が増えつつある。浮付いた人混みの空気を受け付けない私は、催事の熱が上がり始める前にこの湖を離れたいと思った。明後日には、ここから見える景色は全て人々のものに変えられてしまう。それは専らそこに居る各々の営為にかなう道具でしかなく、人々が包囲した景色にはもはや幽玄の美は無い。湖畔の遊歩道には、然るべき時に、それが当然の帰結である様に若い男女が集い、風景は彼らに不十分に切り取られていく。そうして躊躇いなく浅はかになれる同世代の世間が私には受け入れられなかった。とにもかくにもこの場所を離れるために歩を進めた。しかし同時にそれが人という「あるべき姿」から離れているようで、胸が締め付けられる様でもあった。
祖父母の自宅に戻ると両親は既に帰宅していた。迎え盆の支度が整って一家揃って来迎寺を訪れた。山肌に区画された墓地の階段を上がり、高山家の墓石の前に到着すると線香の火を焚いた。墓は既に掃除されていて新しい菊の花が供えてある。幼い頃、祖父からよくこの墓に納骨された先祖について聞かされていた。ここには私の曾祖父と曾祖母、そして曾祖父の弟が眠るという。曾祖父は長野の商家に生まれ、太平洋戦争時代に長野市長を務めた役人であったと聞いている。祖父はその曾祖父について、戦時下の混乱にあって家庭を顧みる時間も無い中で、東京の中学に進学する自身にとことん学問をやれと言って送り出してくれたと言っていた。また戦後は代々の商家ではなく技術開発で開業する自身に好きなようにやれと言って商家の資産を一部売却してまで出資してくれたと身に染みて感謝の意を述べていた。幼い頃の私は、ただそれを感心して聞くだけであった。しかし今となって思い出せば、いかに私が生まれた家系が末代に落ちぶれる事を許さないかが分かる。私はそういった因縁に引き寄せられて、落ちていく現実に抗っている。いかに落ちぶれようとも、私の中に流れる血が生涯私の精神に異を唱え続ける。それが私の葛藤であり、劣等感の源流であり、今なお私を孤独にする原因の一つであると思う。
灯火は祖父母の家に還った。夕食を済ませると時を経ずに私は自宅に帰った。兄もまた同じ予定であったのが良かった。私は祖父と長く顔を合わせる状況に居たたまれなかった。兄が運転する車の中で、私はいかに今夏の下諏訪の滞在をやり過ごそうか考えていた。
翌朝、私は目覚ましを鳴らすまでもなく早朝に起床した。木曽山脈側には積乱雲がかかっており、昼前に強い雨が降りそうな予感がした。両親はいずれも出掛けており、リビングのソファに兄が居た。素粒子物理学の本は読み終えたのか、今日は一般気象学の本を読んでいた。私は白米と一つの卵、それにコップの水を用意して食卓に着いた。窓から見える下諏訪市街は諏訪湖を訪れる観光客でやや混雑しているような雰囲気があった。簡素な食事をしていると、本を読んでいた兄はそれを閉じてコップに牛乳を注いだ。
「美ヶ原に行かないか?」
兄は共に手持ち無沙汰な私に声を掛けた。二日目にして既に盆休みに鬱屈としていた私はその丁度良い誘いを受けた。私は手早く朝食を片付けて出掛ける支度をした。
八月の観光シーズンにしては、美ヶ原までの道程は空いていた。町営駐車場に車を停めると、我々は王ヶ鼻を目指して歩き始めた。標高二千メートル付近に位置する高原は夏場でも長袖を着ていられる気温で、ハイキングに訪れる客の中にはTシャツの下に長袖のインナーシャツを身に付けた人も居る。高原には各所を繋ぐ歩道が整備されており、草原を二つに分けるように幅五メートル程の砂利道が設けられ、その両端には木柵がかけられている。地平線が青空と接続する草原には、夏場は牛が放牧されている。
我々が幼い頃、美ヶ原へは季節を問わず毎年の様に訪れていた。草原の牧草の陰影を見れば、その頃の面影がおぼろげに思い出される。一方でその頃の我々に見えなかった数々の山脈が、いま同じ場所を歩いている我々には見えている。南東側には雲の上に突き出た八ヶ岳、さらに奥手に南アルプスの甲斐駒ヶ岳が見える。湧き起こっては消える雲の躍動と対照的に、山はその形を堅固に保っている。
陽光は次第に角度を上げてゆく。一面の草原が豊かな緑色に変わる。正面に見える美しの塔や王ヶ頭の電波塔は、草原の色と対照的に灰色を帯びており、地面から孤立した様に立っている。鐘の音が高原に伝播する。やや重く身体に反響が残る。美しの塔の手前に設置されたベンチには数人の観光客の姿があった。我々は普段通り休憩を入れずに王ヶ鼻へ向かった。
王ヶ頭から王ヶ鼻への道は途中から不揃いな石で固められた隘路に続く。道中には山野草が多く咲き、黄色い小さな花を集めたアキノキリンソウ、紫色の線香花火のようなタカネナデシコ、道脇に群生するマルバダケブキ等数多くの草花が見られた。駐車場から一時間程度歩いて我々は目的地の王ヶ鼻に到着した。目上の岩肌には御嶽山を望む石仏がある。その石仏の位置に着けば、捕捉し切れない景色が脳裏を突く。西側正面の最奥には飛騨山脈の穂高岳や槍ヶ岳などの剣山が立ちはだかる。南西側には鉢盛山、その奥左右に御嶽山と乗鞍岳、北西側には立山、鹿島槍ヶ岳、白馬岳の稜線が天空を切り裂くようにそびえる。私が生まれて間もない頃の写真に、これら連山を背景に父の腕に抱かれている家族写真があった。教授をしている父は純粋な真理の追究以外に殆ど我を見せない性質であり、巷に流行る個別の信仰もありそうには無かった。よって父にアミニズムを前提に置く山岳信仰があったかといえば、そういう訳では無かったと思う。一方で、振り返れば父親は剣山に対して何某かの特別な念を抱いていた。それは一体何に近いと言えば良いか、修験道の精神と武士道の精神を併せた様な、明らかにならない幽玄の何かが父の背には感じられた。あるいは、そういった深山の性質を精神の向かうべき所として見定めていたのかも知れない。
眼下に広がる松本盆地には横一線にやや薄く白雲がかかっている。我々は強い日差しを反射して白く光る松本市街を見止めた。私は春にそこを発って以来、未だそこに帰った事は無かった。兄もまた、二年前にそこを発って以降再訪した事は無いという。遠巻きに見る限り、市街に変化は無い。しかし一方で、季節の変化と共に移ってゆく我々の内面はその景色の意味を変えていく。兄も私も、今や松本にゆかりは無い。今我々の目線の先にある松本市街の景色は、単に松本市街というだけで我々の居所ではない。しかし一方で、こうして遠巻きに過去を鳥瞰出来るほど、いまの私自身に成長は無い。この景色は兄の精神の内にある景色であって、私の内なる景色ではない。
兄は現在、京都大学工学部地球工学科で資源工学を学んでいる。私自身の認識では、それは世界に存在する具現化した課題に決着を付けるという、確固たる需要に裏付けられた学問に思われる。兄はエリートの一人としてその学問に動員されている。そこには過去の所属からの明らかな進歩がある。一方の私は、商学という個別具体的事象を抽象化した知識を、それがどこでどのように需要されるか分からないまま、その道の経験の無さゆえ想像する事もままならず漠然と学んでいる。それはいずれ私自身の成長の糧にはなると思う。一方で、何かをマネジメントするという課題について、マネジメントの最適解さえ事前に定義されていない状態から思考するという難解な学問は、現在の私にとって何かを掴んだという感覚が起きず、ただ以前と同じ轍を踏む様に暗号を入力して出力するだけの無機的なものになっている。未だに望ましい進路を取れなかった過去から抜け出せないまま、新たな成長の実感を掴めないでいる今の私にとって、高みの王ヶ鼻から松本を望む事は矛盾でしかなかった。私の内なる景色は、それほど高くも晴れ渡ってもいなかった。
美ヶ原をあとにした我々は、自宅までの帰路に扉峠を抜けて霧ヶ峰を目指した。ビーナスラインはやや車両やバイクが増えており、美ヶ原を歩いていた時に晴れていた天気は霧ヶ峰に近づくにつれて見通しの利かない灰色の濃霧に変わった。道路の両脇に生い茂っているはずのオカメザサも先端が薄っすらと見える程度で、道路にひかれた破線のセンターラインは一本先までしか見えなかった。和田峠の茶屋を抜けた所では既に前方に徐行する車両のテールライトが連なっていた。
我々は霧ヶ峰農場直売所に車両を置いて試みに霧鐘塔までの道を歩いてみる事にした。景色は白一色であり、十歩も離れれば人影さえ曖昧になる景色である。グライダー用の滑走路も、スキー場のリフトも確認する事は出来なかった。平然と遊歩道を歩く兄は、その霧の先に何かを見据えた様に進んでいく。私はこの景色こそ真に私が見てきた景色だと思った。私は何も見えない中で生きてきた。ただ、父や兄に追従する事が最低限の責務であり、それが達成される事が私の最低限の価値を保証すると思っていた。少なくとも、家庭にある私を保つにはそれが必要に思われた。しかし当たり前の様に霧を掻き分けていく兄の胆力は私には無く、私は兄に後れをとる事が何度もあった。雲を越えて雲上へ至る父や兄は、美ヶ原から見えていた北アルプスの剣山に相応しい。一方でそれを成し得ない私には、その孤高の美しさが、掴みようのない壮大さが、ただ私をいっそう孤独で暗くする存在であった。私は常にその高みに昇りあぐねて霧の中に居た。
今、兄は私の二、三歩前を歩いている。今、実際に後れをとって兄の姿がぼやけて見えなくなったなら、それが現在の私を象徴する景色ではないだろうか。霧鐘塔の鐘は鳴らない。観光客の車両は確かに多くあったにも拘わらず、試みにその鐘を鳴らす者は居ない。皆、低くも無いが雲の上にも至らない霧中の景色の中に迷妄としている。地獄でもなく天国でもない場所には、火を見る事も無ければ桃源郷を見る事も無い。それは宙吊りの状態であり、常人にはどちらに進むべきか見当も付かない霧の中である。私はその一人であり、暗に何か大きな存在が私に導きの鐘を鳴らしてくれる事を希っている。私はこの霧の世界で、本当は何を見据えるでもなく、何かを手掛かりにするでもなく、ただ足を止めて孤独な境遇だと胸の内で騒いでいるだけである。雨が降ればその雨に打たれ、風が吹けばその風に圧され、その現実をどうするでもなく私は動かないままでいる。ただ私の居る場所が晴れ渡って愚かな自身が浮き彫りになる事を恐れて、立ち止まったままでいる。
次第に濃さを増していく霧の中で、鐘は未だ鳴らない。ふと遊歩道に立ち止まっていた私は、霧鐘塔の方向から折り返してくる兄を見止めた。
「風が急に冷えてきた。早く帰った方が良い」
確かに急に冷えた風が肌をなぞる様に吹いてきた。私は暗にその変化に我が心象を重ね合わせて何か淡い期待を抱いてしまったが、兄の言う通りに駐車場へ折り返した。
予想通り、霧ヶ峰を降りる蓼の海公園の手前で我々はゲリラ豪雨に見舞われた。路面を叩く雨は一瞬にして道路を川に変えた。先ほど退路を取らなかった観光客は今頃この雨にやられているだろう。兄と行動を共にしていなければ、私もわざわざそこに居合わせただろう。その雨が降る事を私が知らなかった訳ではない。打たれるべき雨に、こうして今の私は打たれずに済んでいる。ただ霧の中に留まっているだけの私を粛正する慈雨を、私は欲していたのである。何も見ようとしない私自身を激しく打撃する雨に今は打たれていたかった。皮肉にも景色は私の現実を忠実に描いていたようであった。
第二章
月の子
日没前の時間であっても、半袖に汗が滲む蒸し暑い日が続いていた。初めて過ごす関東平野の残暑はなかなか厄介なものだと思った。下宿からアルバイト先のスーパーへと向かう道には夕日に伸びた建物の陰が黒く焼き付いている。大学の夏季休暇も終盤に差し掛かるが、盆休みの帰省以降目にする景色はこの道の景色以外に無かった。
黒色の仕事鞄を手に下げた会社員がどこからともなく現れては、私が向かうスーパーと同じ方向へ進んでいく。ハンカチで額の汗を拭い、職場と自宅の間に涼める場所を求めて歩いて行く。恐らく彼は酒を二、三本と値引きされた惣菜を買っていくだろう。誰が店に入り、何を買い、どれくらいの時間で出ていきそうか、そういった予測が自然と生まれてしまうほど、私の夏季休暇の記憶はスーパーのものになっていた。連絡を取り合う友人は無く、大学の知人と学外で会う事も無い。自然と人間関係はスーパーの中だけのものとなり、そのうえ出勤から退勤までの四時間は、挨拶に始まり作業指示があり、作業を終えたら報告し、再び作業指示があり、退勤前に挨拶をして帰宅するといった機械的な内容になった。食品、日用品、生活雑貨、ペット用品など実に多様に並ぶ品物を裏口でスキャンしては店棚に出す。この作業を、八月初めから数え切れない品数行ってきた。そして今日もまた同じ事を繰り返し、今日のうちの四時間を終える予定である。その道中の足取りは暑さのせいなのかやや重い。
スーパーの従業員出入口から事務室に入った。店内の強めの冷房が急激に肌を冷やしていく。ロッカールームで制服に着替えて出勤登録をする。本日の業務は惣菜の割引シールの貼付から始まり、後に食品の陳列、店舗に入荷した在庫の登録であった。
割引シールを何十枚も手に持ち、売れ残りの弁当に貼り付けていく。時が過ぎるにつれて二割、三割、五割と段階的にディスカウントされていく残り物。私はそれに何を思う事もなく、黙々とシールを貼り続けた。
仕出しは菓子棚であった。窒素ばかりが充填されて膨れた菓子袋を段ボールから掴み取っては、その商品の売れ行きに応じて棚に配置する。どれは売れるから中央に、どれは売れないから隅の方に、といった具合で定期的に序列が変化してゆく。時々仕入在庫から姿を消して行く商品もある。私はそれに何を思う事もなく、黙々と商品を並べ続けた。
バックヤードに戻れば、夕方にトラックから下ろされたパレットに積まれた定型の段ボールを点検する。バーコードを読み取り、何がいつどれだけ届いたか記録する。限りなく同一の、規格化された品物が何百、何千と押し寄せては消えていく。生産と消費は、人間の縮図の様に毎日、同じものになるよう変形され、包まれ、並べられ、そして消えるために買われていく。私はそれに何を思う事もなく、黙々とバーコードを読み取っていた。
そうこうしている内に時刻は午後十時前になる。深夜前の明るい店内には若干の人影と閉店前の放送が鳴る。今日もまた、こうして制服の時間が終わろうとしている。それは私にとってアイデンティティの復活の時刻であり、またそれを嘆き始める時間でもある。
閉店を告げる放送がかかった。社員が店内に残った客の誘導と施錠に取り掛かった。アルバイトの私は定時にタイムカードを切った。今日買うべきものは特に無い。私は私服に着替えるべくロッカールームに向かった。
こうして、またしても私の一日の大部分が終わりに向かっていく。四千円弱の給与と引き換えに、私はスーパーの従業員出入口のドアを何度も開く。今日もまた、そのドアを開け、職務を全うしてドアを開け暗くなった天台の街を見る。どろどろと千葉駅に向かうモノレールが頭上を通過してゆく。国道の信号を渡って、薄暗い穴川の住宅街に向かっていく。
「一体何をしているのだろう」
「一体どうしてこうなったのだろう」
無心に労働する事の反動で、ぼそぼそと思考が声に出てしまう。疲労感が増々自身を暗くする。八月の給与が九月の下旬に振り込まれる。研修期間で一割程度引かれた七万円ほどが私の手元に残る。私の他の誰かなら、それを友人と過ごす時間の為に使うかも知れない。あるいは、家族に何かを買うかも知れない。一方の私が、その額に虚しさを覚えるのは何故であろうか。
パンを店棚に並べる職務が、真に今の私がするべき職務であろうか。私は、私の十八年目は、その為に消されてゆくべきであろうか。その一方で、それ以外に為す術の無い私が、それ以外に何を生産するわけでもない私が、そう問いかけるのは如何なものだろうか。それでも私は、この仕事に自身の時間を費やし続ける事が、何か自身に与えられた資源を無益にし続けている様で仕方がない。
私は未だに過去を悔やんでいる。私の不甲斐ない個性を嘆いている。私は今、千葉という土地で、私の不出来を思い知らされている。所詮私は純粋な学徒にはなれない。私にはそれが見えていながら、その為の技量が無い。世間でいうほど前向きに想像できる夢は無い。しかし私の中にはかつてより見る憧憬がある。しかしその憧憬は憧憬のままである。私は一体何をしているのだろう。
穴川の路地には一定の間隔で街灯が置かれている。しかし私の目前の街灯はもはや光っていないも同然に、時々フラッシュのように点滅するだけである。間もなくそれは消えるのだろう。
「風前の灯か」
汗と埃で黒く汚れたぼろ布の様な私が、一人暗い夜道を歩いている。そこに誰の気配もしない事が幸いなのか不幸なのか分からない。私はその消えかかった街灯を見上げた。私は何をしているのだろうか。下宿へと続くこの道を過ぎる度、私は問い続けていた。誰も私を叱咤する者は無い。激励する者も無い。かといって私の内面に私を盛り立てる精力もありはしない。どうしてこうなったのだろう、私は一体、本当に、何をやっているのだろう。問いかけるだけで一向に答えの返らない問いを私は何度も繰り返している。先ほどよりもフラッシュが少なくなった街灯に、最期の飛行と思わしき蝉が何度もぶつかる。それは固い音を数回立てた後で、私の足元に仰向けに倒れた。いよいよフラッシュも無くなった街灯を見上げて、目頭が熱くなる感覚がした。その目をじっと瞑って、私は下宿への帰路を急いだ。
下宿のある通りに入ると、向かいに立つマンションの明かりで少しばかり道は明るくなった。ああ、暗い事はもう良い、とりあえず今日を終わらせよう。ここまで来れば自然とそう思えてくる。どうでも良いんだ、何もかも無意味だと思えば、暗く考える事さえ無意味だ、そういったように私は私を納得させては玄関の扉を開けていた。細道を暫し直線に歩けば辿り着く下宿の壁に吊り下げられたランプの静かな灯り。その壁を基準に一回角を曲がれば下宿の二階へと続く階段がある。後はそれを数段昇れば、いつも通り何もかも捨てた様に忘れられる玄関の扉が開く。しかし、今夜はその道程に見知らぬ光明があった。下宿の角を曲がった時、私は藤丘公園に続く石段の手前に一つの静かなる光を見た。それは静かながら確かな光で、どこか浮世離れした様な光であった。思わず私はぼやけた目を両手で拭いそれを見ようとした。
それはエメラルド色の二つの光に見えた。それから、その周囲に茶染めの絹織物が着せられているように見えた。幻覚かと周囲を見渡せば満月。先程まで目に入っていなかったのが恐ろしく思える程、欠けている所の無い満月が夜空を独占している。再び先の光の場所に目をやれば、確かにエメラルド色の光二つと茶染めの絹。
「猫?」
恐る恐る近寄れば、それは三角形の二つの耳を持っていた。茶染めの絹は毛色であると分かった。残り五歩位の距離に近づくと、それはそこに留まったまま短く高い声を発した。私はそこで立ち止まって、目の前の現実を確かめようとした。エメラルドの目は、ランプの近くまでくれば黒く澄んだ目に変わった。丸々として、世界の全てを吸い込んでしまうようにありのままを見るような目。そのつぶらな目と比較して、片手の平に乗れるように小さな体。それでいて確かに見逃す事はあり得ない程の光明を放つ何処か神秘的な存在。私はそれから目を離せずに、時が止まったようにそこに固まった。その光もまた、そこに立ち止まったままでいた。その夜、一寸たりとも欠けた所の無い満月は、確かに世界の時を止めた様に二人を照らしていた。
ララ
満月が西空に落ちた土曜日の早朝、私は千葉大学前のコンビニエンスストアに急いだ。あれほどにも蒸し暑かった残暑の空気はどこへ行ったのか、しんと涼しい穴川の住宅地を私は快走していた。
高校受験を控えた十五の夏に、故郷の友人と早朝に自転車で霧ヶ峰を目指した日があった。最近は燃えるように暑くて仕方が無いからと目指した霧ヶ峰だったが、夜空があまりにも晴れ渡っていたのかその日の朝は集合場所の下諏訪町役場ですでに冷涼な風が肌に触れていた。少し冷えた風に胸を躍らせ、その風が去ってしまわぬうちにとひたすら自転車を押して登った霧ヶ峰農場までの峠道。その日の記憶をどうして今日思い出すのだろうか。
私は早朝のコンビニで数点の缶詰を買った。仔猫のラベルが巻かれた缶詰を置いてある種類全て店棚からもぎ取る様に掴んでレジを済ませた。小型サイズの膨れたビニル袋を持ってコンビニのドアを開け、一目散に下宿へと走った。脳裏に過る仔猫の姿。その接点を生むために手に持った缶詰の入ったビニル袋を強く握り締めて、下宿に続く緩い右カーブを曲がった。下宿が見える。走っていた足を休めながら、ゆっくりと階段に近づく。石段の前に仔猫の姿は無いようだった。どこへ行ったのかと思いながら一度二階の下宿に荷物を置きに行った。それから台所から食事用の小皿を取った。先程買った缶詰を小皿に空け、石段の隅に置いておこう。そう考えると私は缶詰を一つ開け、スプーンでそれを小皿に盛り付けた。昨日の仔猫は今どこに居るのだろうかと思いを巡らせながら、恐る恐る玄関の扉を開いた。太陽が差し始めて白く光る階段をゆっくりと降り始めた。自然と鋭くなる五感を頼りにしてその存在を探した。すると階段を降り切る手前、踏面の間に空いた隙間から何か姿が止まったのを感じた。彼はそこに居た。仔猫は下宿の階段の裏側に静かに座っていた。薄緑色の澄みきった目、アイラインを描いた様に美麗な目尻の模様、焦げ茶色基調のウサギの様に柔らかな毛並、縞模様の太い尻尾。尻尾を立てた彼は、興味を示した様子でこちらへと近づいてきた。私の足で三歩くらいの幅を開け、仔猫は泰然と座った。私は徐に地面に片膝をつき、缶詰の中身が盛られた小皿をその場に置いた。それから後ろに三歩ほど下がって仔猫の様子を伺った。仔猫は私の所作ばかり始終見ていたようだった。次に私が仔猫の動きに注目し始めた事を察してか、彼は視線を私の目から小皿に移した。ゆっくりと立ち上がり、まるで赤い絨毯の上を歩くように華やかに歩を進める。彼は小皿に鼻を近づけ、数秒ほど中身を確かめた後でそれを口にし始めた。私はそれに総身が震えるような感覚を覚えた。彼と私の間に繋がりが始まった一瞬に私は深く感動していた。その日きれいに小皿を空にした彼は、しばらくの間私と共に下宿の階下で日光浴をしていた。それが時を共にするよき親友のようで、私はその新たな出会いに感慨を覚えた。
明くる朝、彼は階段前に通りを見るように座っていた。彼は振り返って私を見止めると徐に立ち上がった。私は再び小皿に缶詰を用意して、彼の前に届けた。焦げ茶色の太い尻尾が揺れている。乾いた風が吹く清々しい陽気の日であった。彼は食事を終えると、下宿のコンクリート地面に寝転んで毛繕いを始めた。到底野良猫には見えない彼の毛並が、彼の手で整えられていった。
私は朝、昼、夕方と彼の様子を見に行っては彼の下に小皿を運んだ。次第に近づいてゆく歩幅が、どこか喜ばしく感じられた。彼は私の足元まで近づくようになっていた。私は彼の背を撫でる事が出来るようになった。羽毛の様に柔らかい毛並は、一体何が彼を世界に産み落としたのかと不思議に思われるほど手触りが良かった。彼は真っ直ぐに私の目を見詰め、時々首を傾ける動作をした。私にとっての新しい世界の始まりは、同じように彼にとっても新しい世界の始まりのようであった。
私は彼をララと名付けた。満月の夜に出会ってから数日、仔猫は毎朝の様に下宿の階段前に居て、私と目が合うと鈴の音色の様な声で鳴くようになった。その「ララ」と音符を奏でるような声に、子猫にも拘わらずゆっくりとした所作で尻尾を立てて優雅に歩く姿を思い、私はその仔をララと呼んだ。
ララは日がたつに連れて目に見えて成長していた。片手に乗れるほどの大きさだったものが、数日と経たないうちに明らかに片手からはみ出す大きさに変わっているのが不思議に思われた。出会ってから一週間ほどでララは下宿の階段を上る様になり、餌を置く場所は玄関前に変わった。
九月も終わりに差し掛かった頃、私はスーパーのアルバイトのついでにペット用品を模索していた。貴人を迎え入れる様な心持で、私は彼に相応しい寝具や爪とぎ、猫用のトイレを吟味した。
穴川の静かな夜、段ボールを抱えて歩く普段の道には、以前の寂しい気配は無かった。両手に落とさない様に段ボールを抱えた私を、一定の間隔で置かれた街灯が好奇の目で照らしている様だった。
私が大きな荷物を抱えて下宿の階段を上がった時、すでに彼は玄関前に居た。私の姿に彼は驚いたのか、彼は身体を真横に向けて毛を逆立てた。一先ず私は段ボールをその場に置くと、玄関の鍵を開けた。彼は不審な段ボールに近づくと、注意深くその匂いを確かめた。私は下宿からカッターを持ち出して段ボールを開けた。それから中に入った新品の猫用寝具と爪とぎ、そして猫用トイレをそれぞれリビングと玄関に配置した。その私の姿を、彼は左右に顔を動かして注意深く見ていた。
段ボールから荷物を取り終えると、私は彼のために玄関の靴を全て仕舞い、扉を開放した。彼は新しい匂いを確かめながら、下宿の玄関に上がった。さきほど置いたばかりの猫用トイレに前足を突いて、敷き詰められた砂を掘ってみたり、その上に座ってみたり、用意されたものが自身の為にあると察しているのか、彼はそれを興味深く観察していた。それから廊下に置かれた米袋に両手を伸ばし、その匂いを確かめて頬ずりをした。彼はベッドの下に落ち着き、そこで一先ず毛繕いを始めた。
同じ屋根の下、確かに二つの命が息をしている事に、私の胸は躍った。私は学習机の椅子に腰かけて、ベッドの下から聞こえてくる彼の呼吸の音を聞いていた。予想もしていなかった、喜ばしい下宿の日々が始まった様な気がして、珍しく私の精神は浮き立っていた。季節は残暑を過ぎ、大学一年目の夏季休暇が終わる頃。戸外の茂みで鳴くコオロギや鈴虫の声だけが街に響く静かな夜に、ララと私の下宿生活が始まった。
楓の葉が黄色く色付き始めた十月の初旬、大学の後期日程が始まった。ララが下宿に落ち着いて以来、私の日課は以前と比べて大きく変化していた。
一年次の後期日程では、前期日程と同様に一限目から講義が開始する日が週に四日ほどあった。朝の八時五十分から講義が開始するため、水曜日を除いて平日は八時半前に下宿を出ていた。以前の私はその時刻に合わせて八時より少し前に起床し、朝食を摂ってから大学に向かっていた。いっぽう、ララと共に暮らすようになってからは七時前に起床してララの水と食糧を取り換え、猫砂の様子を見るのが日課になった。
ララは大抵午前六時前には起き上がって銀皿のエサを食べ始め、隣に置かれたガラス瓶の水を飲んでから爪とぎをしていた。七時に私がベッドから起き上がると、ララは尻尾を立てて震わせる。じっと目を見詰めてこちらに近づいてくる姿が愛らしく、一日の始めはララの背中を撫でて触れ合う。ララは私が水と食糧を取り換えているとき、いつも私と反対側に回ってその様子を見届ける。そして手持ちのコップで新しい水を注ぐと、それに片手を浸してから器用に舌を使って飲み始めた。ララの水飲みが終わると、次に私は猫砂の取り換えをした。ララは夜中にトイレを使う事が何回かあるため、それを毎朝一度取り換えていた。ララは猫砂を取り換える時は私の斜め前に座ってその様子を見ていた。機嫌が良い時は猫砂を掘るシャベルにじゃれたり、手入れ中の猫砂の端に手をかけて進捗を見たりする事もあった。ララは猫砂の手入れが終わった途端に用を足す事が多かった。
起床後の日課が一段落すると、私は朝食の準備に取り掛かった。ララが自宅を訪れて以来起床が早まった私は、朝食の時間をゆっくりと過ごすことが出来るようになった。主菜に卵やソーセージを調理し、予め炊けた白米を盛り、ポットの湯でコーヒーを淹れる。以前スーパーのサンドイッチと牛乳などで済ませていた食事が温かいものに変わり、気が向いた日に味噌汁を調理するだけの時間も出来た。私が調理場にいる時、ララはリビングで毛繕いをしているか、外に出たい時には玄関前に座って私の方をじっと見ていた。数日間の生活のうちに、ララが何かを求める時はこうして要求する対象の前で止まってこちらを見る習慣がある事が分かっていた。ララの朝の外出では、基本的に下宿の階段下のアスファルトで毛繕いをしてから下宿の外周を見回る事が多かった。ララは丁度私が食事を終えた頃に玄関を開けて様子を見に行くと戻ってくる事が多く、私が大学に向かう頃にはリビングの猫用ベッドで昼寝をしていた。私は大学に向かう前にララを柔らかく撫で、寝付き始めるのを見守ってから下宿をあとにしていた。
大学に到着した後の日課もまた、以前とは大きく異なった。前期日程では、講義の空き時間に下宿に帰宅する事はほとんど無く、キャンパス内で過ごす事が基本であったが、ララが下宿に住む様になってからは空き時間帯があれば必ず一度様子を見に帰宅していた。気温が暑くなる日には部屋の冷房はつけたまま出掛け、部屋が適温を外れないように注意を払っていた。電気料金は以前と比べて高くなったが、その分を補填するだけの収入が毎月ある事が今になって救いとなった。
大学の講義が終わった後はララの様子を見てからスーパーに向かい、アルバイトが終わると夜にララの遊びの面倒を見た。四限で講義が終わる月、水、金曜日の日課では四時過ぎから六時の間にララの面倒を見る事も出来た。
ララが下宿を訪れて以来、私がスーパーのアルバイトに抱く感情も変わっていった。私のスーパーの品出しにおけるペットコーナーの確認は日課になっていた。私は大学を終えてスーパーに行くと、毎日の様に入荷している商品を吟味するようになった。次にスーパーに行くときは何を買おうか、どんな玩具を買ってこようか、そう考えながら歩くアルバイトへの道程は自然と軽快になった。
アルバイトの帰りには足りなくなったウェットフードをカゴに入れ、ペット用品の棚に並んだ新しい玩具を見る。ララの表情が浮かぶ。ネズミの玩具が良いか、猫じゃらしが良いか、それとも少し待って値段が高いタワーを買うべきか。そんな調子で、次はララにこれを買ってあげようと思う瞬間が楽しかった。そこに充実した自分がいる事が新鮮に思えた。初めて誰かに打ち解けられたような、本当に大切な存在に出会えたような気がして、私は私が心から喜んでいる事に気付いた。
ララとの共同生活が時を重ねるにつれて、ララの生活に使われる小物には大きな愛着が生まれていった。ララが食事をする容器は今は銀皿のものに変わっている。ララが下宿生活を始めた時に使っていた緑色の小皿は回収され、代わりにララ専用の銀皿が用意された。水飲み用の容器はララの下宿生活が始まってから配置され、当初は新たに購入したプラスチック製の皿を使っていたものの、ある朝たまたま使い終えた海苔のガラス瓶が学習机に置かれていたのをララが気に入ったらしく、今はそれを水飲み容器として使っている。猫用ベッドは最初全く使わないように思われたが、同居から三日後の夕方に大学から帰った時、ララはその中で静かに眠っていた。爪とぎや猫砂は予想以上に早く消耗するもので、同居して一ヵ月と経たないもののすでに買い足す時期が来ている。
私が私の為に何かを買うとき、そこにどれほどの満足があるかと聞かれれば答えにくい。一方で、ララの為に買った様々な小物は、それがララと共にある記憶の分だけ私を満たしてくれる。ララと出会った時に使っていた緑色の小皿も、その後に買った銀色の皿も、今は使わなくなったプラスチックの水飲み皿も、そして使うと予想しなかった海苔のガラス瓶も、ベッドもトイレもぼろぼろの爪とぎも。それを何時みてもそこにララの姿が見える事が、私をどこまでも満たしてくれた。元あったものに記憶が刻まれ始め、それがララをきっかけに呼吸をし始めるのが不思議に思えた。新たな物に新たな記憶が刻まれ、それがララと共に生きていくのがどこか頼もしく思われた。
ララと共に改めて始まった下宿生活は、私が今までにしてきた意義の分かりにくい生活に予想もしなかった視点から意味を与えていった。
信濃路
風が動かない大晦日の朝六時頃、手回り品切符を持った私はララと共に人気の少ない千葉駅のホームに居た。ララはすでに両手に乗るほどの大きさまで成長していた。成長を見越して大きめで購入したペットキャリーに入ったララは、先ほどから腰がやや引けた様な姿勢で固まって座っておりやや緊張しているように思われた。
ララと下宿生活をするようになった私は、今回の正月の帰省を見送ろうと考えていた。母親から連絡が入り、その旨伝えたものの正月は顔を出した方が良いのではないかと返答があったため、私はララに負担が生じる事を諦めてペットキャリーを用意した。
私は千葉駅で松本行の特急列車を待っていた。早朝六時に千葉駅を出る特急あずさは、千葉駅から下諏訪駅まで乗り換えを経ずに向かう事が出来るため非常に都合が良かった。出来るだけララを刺激しない様に人混みを避けて通りたい私にとって、東京駅での乗り換えを避けられる事は大いに救われた。千葉駅の乗降客も混み合うほどは居なかったため、一度列車に乗車すればあとは静かなまま下諏訪駅まで辿り着ける。後はララがケージの中で落ち着くことを願うのみであった。
六時半を過ぎた頃、東京方面から列車が入線してきた。列車が停車してドアが開き、私とララは車内に入った。千葉駅からの乗客は一人だけで、車内のほとんどは空席のランプが点灯していた。初めてのララを連れた帰省には丁度良い穏やかな状況であった。
指定席に座って間もなく、列車は千葉駅を発車した。ペットキャリーは足の前に安置し、上側の網目からララの様子を伺った。ララは静かな車内にやや落ち着いたのか、寝そべって毛繕いを始めた。私はペットキャリーの中に下宿から持参した水飲み用のガラス瓶を入れ、こぼれない様にペットボトルの水を注いだ。ララは上から降りてきたそのボトルに反応してその先を両手で掴もうとした。
特急は千葉駅を発車してから三十分ほどで江戸川に差し掛かった。西側には笠のように雪を被った富士山とスカイツリーが見えた。ララはすっかり静かに眠ってしまった。それに安心した私は、リクライニングシートをやや倒して流れる景色をしばし見ていた。
列車は首都高速小松川線の下を抜けて荒川の河川敷を通り過ぎた。東側には湧き出る雲の隙間から陽光が差していた。群青の空が少しずつ白んでいく。手前に林立するビルやマンションが忙しなく右から左へと流れていく。列車は徐行しながら総武線区間を走っている。秋葉原駅を通過して加速し、中央線の線路に入る。五月に本郷を訪れた時に降りた御茶ノ水駅を特急列車は過ぎ去っていく。左手には外堀、右手には神田川。その間に敷かれた線路を特急は信濃を目指して過ぎていく。快晴の大晦日、列車は私とララを乗せて軽快に走る。新宿を過ぎ、建物の背が低くなる。南西方面に高尾山と丹沢山の稜線が覗く。動きが穏やかになった風景にやや眠気を感じた私は、軽く目を閉じて意識を遠くしていった。
幾度か寝たり覚めたりを繰り返すうち、特急は高尾駅を通過して山岳路線に入った。小仏峠の付近で大小いくつかのトンネルを抜けた後に相模湖を左手に走った。桂川に沿った谷合を縫って列車は右に左に緩やかな曲線を描いて進んだ。
大月駅を越え、さらに長い急勾配を列車は登ってゆく。桂川に沿って左手に離れていく富士河口湖行きの路線を見送って、いよいよ特急は信濃を見据える。車内は大月駅以前で既に多くの乗客が降車したために私とララを含めた数人しか乗車していない。至って穏やかな車内から見える変化に富んだ車窓が、これまで眠り続けていた私を呼び覚ましていく。列車は長い笹子トンネルで轟音を立てるように加速し、積雪のある身延山地を右手に、次に甲州市の街並みを左手に山梨県を通過してゆく。特急の停車する駅間は次第に短くなり、停車駅では専ら降車扱いが多くなる。
次第に稜線は遠くなり、ぶどう畑、富士川、石和温泉と過ぎ甲府駅に至る。北側には金峰山の斜面があり、南側に見える市街地には果樹園のネットが目立つ。竜王を過ぎて釜無川を左手に、韮崎を過ぎて南アルプスと八ヶ岳の山麓を登り、列車は定刻通り十時手前に茅野駅に停車した。車窓から見える田の畦道の日陰側に雪が付いているのが見えた。私はララの背中をゆっくりと撫でてから降車の準備を始めた。茅野駅を過ぎて単線を快速で走り抜ける特急の右手には、すでに蓼科山と霧ヶ峰が見えていた。特急は諏訪湖の輪郭をなぞるようにして、降車駅の下諏訪駅に向け速度を落として行った。
下諏訪駅には兄が車で迎えに来ていた。兄は駅を降りてきた私の隣にペットキャリーを見付けて興味の目を向けた。
「本当に猫を飼い始めたんだねえ」
上側のネットを少し開けると、ララは両手と顔を突き出して兄の差し出した手を嗅いだ。大社通りの道脇を雪がなぞる冬の日、私とララは遠路を抜けて下諏訪に降り立った。
ララは実家に着くとすぐに家中をぐるぐると探索して回った。買い物から帰った母の足元に寄り付いたり、父の書棚に両手をかけて本の匂いを嗅いだり、父親が腰掛けている椅子の背後に回って父親の様子を観察したりと忙しくしていた。どうやら人に怖じ気づかないララは、一早く私の家族との接点を作り上げてしまった様子であった。兄は新しいものを見るような目のララに同じように興味の目を向け、母はさっそく触れ合おうとするララにすぐに愛着を感じ、父は純真な丸い目で様子を見続けるララをやや冷徹な目で見届けた。当初私が気掛かりにしていた大きな環境の変化は、どうやらララには不要な心配のようであった。
実家の探索が一段落すると、ララはリビングに置いてあるソファを一つ借りて毛繕いを始めた。その内にララは旅の疲れを癒すように寝息を立て始めた。私は下宿から持参した銀皿とガラス瓶を自室の端に置き、そこをララの食事場所にした。猫用のベッドとトイレは、帰省に先立って同じものを母が用意していた。ララの旅先の支度が終わると、私は椅子に腰かけてゆっくりと背伸びをした。窓の外から聞こえてくる鳶の鳴き声に懐かしさを感じながら、私もまたガラス越しに差す陽光の心地よい熱を受けて眠りに就いた。
正月の朝、高山家は一家揃って赤砂崎の祖父母の家に居た。洋式の長テーブルと椅子に座って祖父が取り揃えた節料理を囲んだ。祖父は早速日本酒を注いでいた。ララは未だ仔猫にもかかわらず、私の隣に設けた座椅子に座って人の食卓を興味深く眺めていた。
「まあ美しい猫だことねえ」
祖母は向かい側に座るララの表情を具に眺めて言った。ララはここでも祖父母への挨拶回りを欠かさず、一家に溶け込むように振舞った。
「何だか目出度い正月だね」
祖父は冗談めいた笑みを浮かべ日本酒をあおった。毎年どこか格式ばった心地で過ごす元旦は、今年はララを囲んで和やかなものとなった。ひとえに天恵が降りて来たと言ってしまえるような、不思議な気分が私を包んでいた。
食事を終えた後、私はララと共に仏壇のある和室に居た。下宿から持参したネズミの付いた猫じゃらしを揺らし、それを追いかけるララはぐるぐると回ったり飛んだりしていた。そこに祖母が一枚の写真を持って来た。
「昔住んでいた長野の家でも猫を飼っていたのよ」
箪笥を探して持ち出したと思わしきやや色褪せた写真には、笑う祖父母と父の姉、そして丸刈りに学生服を着て成猫を抱く父親の姿があった。凛とした目付きに今と変わらない冷徹さが確かにありながら、その腕に抱かれた一匹の猫は意外であった。
「義賢はよく面倒をみていたわ」
祖母は写真に写る父親を呆然と見る私を察してそう付け加えた。さりげなくララが正座する祖母の膝上に登り、私が持っている写真をつついた。それでようやく私は猫じゃらしの手が止まっていた事に気付いた。再び獲物を追って舞うララの姿に祖母は微笑んだ。静かな湖畔の屋根の下、舞い踊るララの足音は神楽のように、一家の新年を祝福していた。
藤丘公園
あらゆる向きに吹く強い春風が、桜の香りを運んで下宿の窓から入ってくる。私は学習机に置かれた取得予定単位にマーカーが塗られた学習簿をぼんやりと眺めていた。
今年の春から世界中を騒がせている伝染病のお陰で、新学期の開始は四月の終わりにずれ込んでしまった。世間は急遽マスクで顔を覆うようになり、それを発端に商流は乱れ、やや慌ただしい空気が街を覆っていた。私は下宿から歩いて間もない場所にある大学が中々始まらない事に違和感を覚えつつも、来たる空白の四月を積もった本を読んで過ごそうかと思案していた。
ララは今や成猫と言って良いほど成長しており、かつて両手に乗れた身体は今や両腕に丁度良く収まるほどになっていた。私は段々と成長していくに連れ外出する機会が多くなったララに首輪を買った。正月に実家を訪れた際、祖母は首輪が無いのを気にしていた。首輪がララを「ペット」という言葉で縛るもののような気がした私はやや逡巡したが、結果として外出するララが飼い猫として見られていた方が安全だろうと判断して付ける事にした。案外にもララは首輪を気に入った様子だった。高らかに口角を上げ、その首元に廻るマリンブルーの布製の首輪を一層際立たせていた。
ララの成長は外見だけに止まらず、特に跳躍力は飛躍的に上がった。以前まで玄関から出入りしていたララは現在ではベランダの窓から出入りする様になっていた。二月のある夜にベランダからララの声がして、私は飛ぶように椅子を立って戸を開けた。翌朝下宿のベランダ付近を見回ると、一階の室外機の上にララのものと思わしき足跡が見つかった。ララはどうやら一階に置かれた室外機から器用に二階のベランダの鉄柵の間を飛び抜けて来るらしかった。
ララが成猫に近づくにつれて、その移動範囲は少しずつ広がっていった。三月の始め、藤丘公園の石段の中腹に座っているララの姿を見てから、私は毎日のようにララと共にその石段を上がってみる事にした。人の足に合わせて設けられた二百五十段余りの石段を、ララは前足と後ろ足を器用に使って上った。仔猫の時代には登る事すら考えなかったであろうその石段を、ララは日に日に頂上へ向かって上っていった。四月に入る頃には、一緒に藤丘公園を歩く事が出来るだろうと、ひそかに私は楽しみにしていた。
私は下宿の玄関をあけて外に出た。陽光が差して少しずつ暖かくなる四月初めの午前中。私がこの下宿を訪れた時、素直に受け入れられなかった春の風が鼻腔をくすぐって抜ける。私は下宿の白い階段を降り、裏手の藤丘公園に続く石段の手前にララを見付けた。
ララは尻尾を青空に立て、私に近づいて来た。今日もまた石段を上るつもりでララは私の二、三歩前を公園に向かって真っすぐ歩いた。私がこの公園を初めて訪れた日に、ララもまた初めてこの石段を上り終えるのではないかと、調子よく階段を上るララの後ろ姿をゆっくりと追いながら期待していた。いや、あるいは既に上り切った道を案内しているのかも知れないと、度々私が付いてきているか後ろを振り返って確認する姿を見て思った。いずれにしても私は、その石段を上るララのいつにも増して丸く輝いた目が共に丘を上る私の姿を見続けている事が喜ばしかった。ララもまた同じであってくれたら良いと思いながら、次第に遠くまで見えてくる市街地の景色に目をやった。藤丘公園までの階段はあと数十段であった。
「あともう少しだ、がんばれ」
頂上に近づくにつれて私と距離が狭まっていくララの背中に手をやる。一段、二段と上る階段の一つ一つに、今までの大きな時間が集まっているような気がする。兎が跳ねる様に残りの階段を上がるララの懸命な姿が目に焼き付く。藤丘公園はすぐ目の前にあった。
無事階段を上り切るやいなや、ララは公園の地面にどっかりと横たわった。
「よく頑張った!」
そう声を掛けて私は健闘したララの毛並を両手で撫で回した。ただその瞬間の喜びを、ララと私は分かち合う事が出来た。
私はララを右肩に抱き、背の高い石碑の上にララを誘った。石碑に乗り移ったララはそこに落ち着いて満足そうに景色に目をやった。南に登る太陽の光を受け、稲毛海岸がちらちらと輝いている。青空と東京湾の境界線にはタンカーの影が映る。その西側には真っ白に雪を被った富士山が見える。その手前に広がる千葉の街並みを、かつて私は灰色だと思っていた。そこに桜の桃や海の青、緑色の大地を見たのは、今日私の隣にララが居るからであろうか。振り返れば、沢山の蕾を付けた藤の木がララと私を囲むように立っている。去年の藤が散った頃、確かにその紫色の花弁の上に立ち尽くしていた私は、ララとの新たな出会いを経て、間もなく咲き始める藤の花の前に立っている。ララはどこまでも晴れた景色を見ていた。風に靡くララの毛並が、確かに触れ合う世界を晴れた景色に変えていった。その透き通った目が見つめる藤丘公園からの景色が、確かに私の目にも見えつつあった。
一人でに咲いた桜が一人でに散ってゆくような春が終わり、季節は風薫る初夏になった。結局五月の上旬まで延期された前期日程がようやく始まったが、私が大学に足を踏み入れる機会はほとんど無かった。確かに移り変わっていく季節の香りがベランダの網戸から感じられるものの、私は家に籠ったままパソコンの画面ばかり見ていた。今年始まった「コロナ禍」という災禍は、当初世間が抱いた予想以上に厄介なものとして受け止められていた。膨れた人々の世界を内側から侵食する様に突如として拡がっていくそれは、確かに私の生活にも大きな変化を及ぼしていた。「メディア授業」と題して、私と大学を隔絶する下宿の学校が始まった。
生活は専ら下宿と藤丘公園とスーパーの往復に収束した。朝起きるとララの散歩から始まり、ララは藤丘公園に登って花の匂いを嗅いだり虫を眺めたりしていた。ララは紫に染まる藤の木の下にアヤメやサツキ、スズランの花を見付けた。新たに咲いた花を、器用に片手を使って引き寄せてはその香りを嗅いでいた。気に入ったものには頬ずりをして、ララは藤丘公園を愉しんでいた。
講義は二限以降に始まる日がほとんどで、私とララは以前よりも朝に触れ合う時間が増えた。散歩を終え下宿に戻り、私が学習机に着くとララはその左側に置かれたサイドチェストの隙間に丸まって講義の音を聞きながら寝ていた。グループディスカッションの授業になると決まってキーボードの上に乗ろうとするため、ビデオ通話の画面上にララの姿が良く映り込んだ。その映像に和やかになる学生達に私は気恥ずかしさを覚えつつも、大学に通学していた時彼らに抱いていたものとは異なる前向きな感情が増えていくのが確かに感じられた。一つ一つの講義が、私にとって卒なくこなすべきものから前向きに受けたいものに変わりつつあった。大学から離れて初めて、私は各地の学友の表情を具に見る様になり、それを受け入れるようになっていった。いつも隣に居たララは、その私の変わりゆく表情を見ていたのかも知れなかった。
その日の講義が全て終わると、私は午後六時に始まるアルバイトに向かうためその一時間前に早めの夕食を摂った。時間が空いた時はララの遊びの面倒をみてから、下宿を出てアルバイトに向かった。時を同じくしてララが下宿の外に出ていく事も多くあった。
スーパーでは、毎回のように猫用品を買って帰る私は全ての従業員から猫を飼う学生として認知されていた。最近の写真が見たいという主婦の従業員のためにララの写真を撮るのはやや億劫でもあったが、それも含めてララとの生活が生んだ出来事と考えれば悪くは無かった。
アルバイトから帰ると、ララはいつも下宿の階段下で私を待っていた。それが私との出会いをなぞるようで、毎日のように私はララとの再会を喜んだ。ララを下宿に迎え入れ、スーパーで余った惣菜で軽食を摂ってから、私はララと共に夜の藤丘公園に登った。在宅授業で運動不足がちになった私は、下宿の押し入れに仕舞い込んであった木刀を取り出してそれをひたすらに振った。街灯だけが光る夜闇に包まれた日も、三日月が艶やかに照らす日も、満月が地面を照らし続ける夜も、私は藤丘公園に登って木刀を振り続けた。藤の花が満開に咲いた夜も、それが散って紫の絨毯が現れた夜も、ララは藤丘公園の碑の上でただ私の姿を目に留めていてくれた。たとえ雨が降ろうとも、ララは下宿の玄関前で私が木刀を片手に丘に登るのを待っていた。
何の為にあったのか分からない木刀に刻まれた傷跡を、ララが私にあった時間として受け止めてくれたように思えた。それが振り下ろされる軌跡を、ララが私の航跡として見届けてくれたように思えた。理由が分からなかった私の人生は、ララが近くで見届けていると知っただけで理由あるものに変わっていった。下宿の学校は、そうして私とララが共に生きていく時間を作り上げて、いつの間にか私の世界にあった霧を取り去って行った。
霧の舞
盆休みの帰省を前にして、私はララの為にリードを用意した。猛暑日が続く今夏に、私はララと共に訪れたい場所があった。
ララを連れて二度目の帰省をした翌朝、私は実家のSUVを借りて霧ヶ峰に向かった。私の中に浮かぶ情景を予めララに伝える手段は無いため、我ながら強引な計画に思えたが、ペットキャリーをララの前に差し出すと、ララはいつも通り少し仕方なさそうな表情をしてそれに入った。
生憎霧ヶ峰までの道程は濃い霧がかかっていた。以前一時間半もかけて自転車で上った霧ヶ峰までの道は、自動車を走らせれば三十分もかからない。以前十五キロほどの道程の中継地点にしていた蓼の海公園を、自動車は易々と過ぎて行く。助手席のペットキャリーに入ったララは、半開きにした車窓から入ってくる高原の草木の匂いを感じたのか鼻を活発に動かしていた。
霧ヶ峰スキー場の下に車を停め、ララと共に緑色のゲレンデに足を踏み入れた。五メートルの長さのリードが伸び切らない様に、ララの歩調に合わせて草原を歩いた。ニッコウキスゲの時期が終わった八月の朝、観光客が上ってくる前の霧ヶ峰には、駐車している車はほとんど無かった。
リフト横の斜面を歩くララは、ノアザミに鼻を近づけて驚いてくしゃみをしたり、唐松草の白綿のような花糸を手繰り寄せたりと草原に咲く多くの山野草と触れ合っていた。ゲレンデの斜面にはシャンデリアの様なツリガネソウ、手を振る様に揺れるヤナギラン、深い藍色のマツムシソウなど、知っている限りでも数多くの山野草が咲いていた。霧を受けて濡れた葉がララの毛並に触れて、その存在を主張していた。
青々とした草原を、ララと私はゲレンデの頂上に向かって歩いた。深い霧は草原とララ以外の景色をすっかり隠していた。一年前、私はこの霧の中で彷徨っていた。どこまでも灰色の世界で、私は孤独を嘆いていた。その深い霧の最中、ララは私の下に現れた。
突然、霧鐘塔の鐘が鳴った。ララが飛び上がった。立ち止まって花を楽しむララを見て考え事をしていた私の手首から青いリードが抜け落ちてしまった。白い霧の一粒一粒が鐘の音を反響させて震え上がった。一瞬でススキの草原の方へ逃れていったララは霧の中で私と離れ離れになった。大地に反響する鐘の音が心臓の鼓動を高くした。私は深い霧の中で必死にララを探した。目の前を弧を描いて舞う霧が焦燥感を駆り立てた。頂上で再び鐘が鳴った。再び振動する地面でススキを掻き分ける音がした。丸い目をさらに丸くしたララがススキの草原から私を目掛けて飛び掛かってきた。私はララを咄嗟に受け止めた。ララは両耳を伏せ、右肩によじ登るようにして私に身体を預けた。ララを繋ぐリードを巻き直して霧鐘塔の方に目を上げると、その鐘の余韻と共に白い霧が消えていくのが見えた。霧鐘塔が確かな色を見せた時、一体誰がそれを鳴らしたのか、そこには誰の姿も無くなっていた。
霧が晴れ渡った空の下、深緑に染まる薄野に居たのは、焦げ茶色の毛色に太い尻尾を揺らすララを抱く慶多の姿であった。彼はララを抱いたまま霧鐘塔の下に立つと、ララを座らせて霧が無くなった草原を見渡した。群青の空、深緑の大地、遠くに見える富士の輪郭。深い霧に包まれていた彼の景色が、鐘の音と共に現れた幻を見る様に美麗な一匹の猫によって綺麗に晴らされていく。その鐘の余韻がふたりに流れる間、どこまでもその景色は晴れ渡っていた。
第三章
展望
大学二年目の正月、ララと二度目に訪れる冬の下諏訪は深々と冷えていた。ララの毛並は冬用に生え変わり、更に深い焦げ茶の毛色になっていた。赤砂崎の祖父母の家では去年と同じように節料理を囲んだ。違うのは成猫になって凛々しい顔立ちになったララの姿と、新たな進路が決定した兄の状況であった。
兄は京都大学工学部を今年度で卒業し、来年度からは同大学の大学院工学研究科に所属する事が決定していた。増々勉学に集中してゆく兄の姿を祖父は微笑んで受け止めた。
その兄の進路選択を受け、祖父は私に卒業後の進路について問いかけた。
「慶多君は大学を卒業したらどうするのかな」
私はその問い掛けに対する答えを持ち合わせていなかった。私はその問いに対して適当に身近な例を挙げ、小売業界に就職するのではないか、と他人事の様に答えた。
確かな展望を描かなければならないと強く感じるようになったのは、その正月の出来事からであったと思う。
大学二年目の春休みから、私は徐々に企業のインターンシップに参加する様になった。正月の祖父の問いに逡巡して未だに答えが出せないでいる私の本心を咎めるように、私の身体が進路選択に積極的な態度を作り上げていた。大学が掲示するセミナーへの参加からオンライン企業説明会への応募、早期から募集している短期間の企業インターンシップ等々、私は時間が空いている限りイベントに応募していった。
企業のインターンシップはオンライン形式が基本で対面して行うものはほとんど無かった。私はパソコン画面の前に座って企業側の話を聞いた。誰が顧客で何を売り、それをどれだけの規模でどれだけの期間行っているか、そこにどのような仕事が発生するかといった情報を、私は何社も聞いた。
説明が終わると大抵はグループディスカッションのスケジュールがあって、模擬的な課題解決プロセスを実行する。より大きな売り上げを達成するために、どの顧客に何をどれだけ売ればよいか。あるいは、特定の品物をより多く売り上げるために、どの顧客層を選択してどのような戦略をとるか。文面だけでもどこかで血が流れていそうな事を学生同士で議論する。その様子を傍から企業の担当者が冷徹に見ている。
数多くの応募者の中から、次回のインターン日程に進んでゆく人員が切り取られる。途中に面談や相談会を挟んで、次のディスカッションが始まる。それは商学部での学習の一部分をなぞる形で、売り上げをあげろという命令の為にああでもないこうでもないと議論する場に思われた。
次の企業も、その次の企業も、説明担当者が言う言葉に大差は無いように思われた。オンラインで接続する画面に映る人さえ、システム化されているような気がした。私が何度もインターンシップに参加して思った事は、企業に就職できるか否かの不安ではなく、私がそこに居る未来があったら果たしてどうなってしまうだろうかという進路が決定した後の不安でしかなかった。その企業システムに折り合いを付ける事が果たして私に出来るのかどうか、そこで曲がりなりにもやっていけるのかが私にとって一番の懸念であった。それに一々悩んでいる位であれば、純粋により難度の高い夢を追った方が賢明ではないかと私は思った。私はやはり作家の道を目指した方が良いのではないかと、私は真剣に考えるようになった。
二年の春休みが終わり大学三年目が始まった四月一日に、私はいつものようにララと共に藤丘公園に登った。石碑の上に座るララの茶色の毛並が春風を流して揺れ、私の褐色のジャケットがそれを真似したようにはためいた。ララも私も見晴らし台から見える景色を正面にして、どこか遠くを眺めていた。
作家の道を目指すとはいっても、作家に憧れる私には一つの作品も無かった。過去に具体的に作品にしたいと思った出来事も、新たに思い浮かぶ出来事も無かった。彼方の景色に居る文豪が見て来た景色を見ていない私にそれが目指せるのか、そう考えれば何も書けなくなるのが自然であった。
丘の下方を見やれば、今年も同じように桜の花が舞っている。関東の桜は、下諏訪のそれよりも遥かに早く咲き誇って散る。初めて千葉大学を訪れた頃、それを私は見ていた。美しく咲くソメイヨシノを皮肉に思う私が居た。それから二年の月日が経った今日、その花弁が風に舞うのを見る私は、素直にそれを尊い春の景色として受け止めている。私がこの丘に初めて登った時、そこから見える景色を美しいと思える日が来るとは夢にも思わなかった。きっと私はこの景色を嘆きながら堕ちてゆくのだろうと思った。しかしそこに有ったのは決してその予想通りの日々ではなかった。
万成石の碑の上には、腰を落ち着けたララの姿がある。彼との出会いが訪れる事を、下宿に越してきた頃の私は知る由も無かった。彼との生活が私に四季を与える事を、その頃の私が期待するはずが無かった。彼こそが私を囲んでいた深い霧を晴らして行く事を、一体どうして予見する事が出来ただろうか。
我が心情を小説に吐露するにしても、今まで私の人生には一定の結末が無かった。しかし彼との出会いが、私が歩んできた人生を清算するための契機となった。そうして結末が付いた私の精神を、習作として世に出せば良いのではないか。
濃霧に行き場を失い、孤独に苛まれて動かなくなった私を鐘の音が正しき場所に導いてゆく。その正しき場所に立つと同時に、自身を覆っていた深い霧が晴れる。その鐘が鳴る限り私は私を見失わずに居れる。晴天の鐘。それは霧に包まれた大地の道標となるだけでなく、霧そのものを打ち消してゆく幻の鐘。その音がする限り、私は私らしく在れば良いと思える。ララと出会い共に生きる今日を、私の小説にすれば良いのだ。
「晴天の鐘」
私の大学三年目は、終盤に差し掛かったカリキュラムの消化と試行錯誤の執筆作業に充てられていった。相変わらず大学の講義は自宅で受講していたものの、一年目の遠隔講義の動向を踏まえて一つの講義が重量化する傾向にあり、私は方々の提出課題を処理しながら執筆活動を行う必要があった。
ララは屋外で生活する時間が長くなり、日中はたまに休憩しに帰宅する時以外に触れ合う機会が無かった。しかし一方で朝と夜の散歩の時間は以前よりも長くなり、毎朝ララと私は新たに生えた植物や変わったものを探して藤丘公園を歩き、毎晩月明かりの丘で木刀を振った。今や私の両掌は以前剣道をしていた時とは比較にならない程、何度も出来上がった蛸で固められていた。
四月から執筆を初めた小説は、書き始めて以降度々技量の稚拙さに悩まされるものだった。小説に何が重要で何が不要かという議論は、題材とする事実を見てきた私にとっても難解なものであった。自身を傍目から観察する必要性を感じながらも、未熟な私がそれを実際に行うのは容易ではなかった。
しかし結果として習作という文字に甘んじた私は、幾度かの紆余曲折を経て素直に私小説として執筆しようという事でようやくまとまった文章を書き上げた。当初の予定通り、私はそれに「晴天の鐘」という名をあてる事にした。
私は一人藤丘公園に登った。花が終わった藤の木には手首から指先くらいの長さの豆果が幾つも下がり、見晴らし台のフェンスの下には野菊の花が一面を穏やかな白で覆うように咲いていた。ララと共に過ごしてきたこの公園で、私は今までになく鮮やかに四季の記憶を刻んできた。ララが世界に触れる度、その世界は水彩画が塗られていくように色付いて行った。丘の階段に舞い落ちる春嵐の桜に、深海に落ちた様な藤の絨毯に、石段を埋め尽くす紫陽花に、風に踊る黄色の落葉に、土を持ち上げる霜柱に、茶染めの絹を思わせるララの毛色は溶け込んでいった。四季に対する純粋な感動を持ち合わせたララに、私は感化されていった。
それから数日を経て、私は「晴天の鐘」を審査会に寄稿した。寄稿先は私がよく購読する西片俊幸が審査員を務める大和屋新小説審査会を選択し、私はその結果を来春に待つ事となった。大仕事を成し遂げた様な心地で、私は下宿の玄関を開け放った。
晩夏の強い日差しが午前九時過ぎの穴川を照り付ける。一方で時折流れる乾いた風が熱の滞留を和らげている。下宿の階段を降りて裏手の藤丘公園に回ると、先程ベランダから出て行ったララの姿が丘の中腹辺りに見えた。太陽の熱を孕んだ石段の手摺りに触れながら、私はゆっくりとその階段を上がった。既に百段ほど上に居るララの毛並が時折下から覗いた。ララはすでに私の足音に気付いている。あるいは、玄関を開けた音の反響を聞いている。完全に姿が見えなくとも、ララは音のする方へ耳や顔を向けて追跡している。確かな音と触れ合う時まで、ララは近づく音を待っている。
藤丘公園の中腹辺り、石段が中断して平坦になる肩幅ほどの白いコンクリートの上、からからと音のする落ち葉を手前にしてララは座っていた。こちらを確かに振り返って、尻尾を立ててゆっくりと近づいてくる。それが普段通りの姿。
後半の階段を調子良く上がっていくララは、その途中で以前のように私を振り返る事は無い。その歩調は普段と変わらない。私もまたその歩調に後れを取る事は無い。ふたつの足音を、丘は確かに繋げている。
次第に遠くまで広がっていく景色を何度でも見ている。最後の石段の折り返しを上る前に、一度それを確かめるララの眼差しを何度でも見ている。その眼差しが、その純な光が、目に入る全てに熱を与えていく。石碑の上、永遠を見詰める様なララの目。今にも首を傾げそうなほど丸々としていたララの目は、二年の月日の内に凛々しく据えられた目に変わっていた。一通り世間を見詰め続けた穏やかな眼差しに、それでも変わらずに優美を捉える眼光がある。この丘は、そのララの為にあるのだろう。頂上で藤の花が舞う、ひとりでに立つ静かな丘。人と異なる盛衰を持ち、ひとりでに時を刻む丘。住宅街の最中にあって、忘れ物の様に立った丘。碑の上に立つララはその丘と共に呼吸をしている。私は人の時を刻みながら、隣り合う彼の波を感じている。
見晴らし台から真っ先に見える千葉大学の陸上トラックを見えないものの様に扱っていた私はすでに居ない。ララの光る眼差しの中にそれは確かに映っている。私の目は、その眼差しを受け継ぐ様にして素直に景色を捉えようとしている。彼と同じ目で居られるなら、恐れずに生きて行ける気がする。彼の眼差しが続く限り、私らしくあれる気がする。人生の分岐器に差し掛かったような振動を総身に感じながら、私はララに似た眼差しで水平線の向こうを見詰めていた。
第四章
ララの丘
大学からの帰路、下宿近くの公園に咲いた河津桜を見ると四年目の春が目の前にある事を自覚する。大学三年目で卒業研究以外の課程を全て終えた私は、この春休みに大学図書館の書籍を片端から漁る生活をしていた。既に就職活動は本選考が始まっている時期ではあったが、背水の陣を敷くために少なくとも小説の当落が判明するまでは就職活動を打ち切る選択を取った。言い訳が出来る状況では動く事すらしない凡人の私にとって、そうでもしなければ夢は夢のまま、何時までもかなえようと走る日は無いように思われた。
「晴天の鐘」は自身にとって特別感情の籠った作品であった。それが書き上がった時、私の心中に不満は無かった。後はそれがどう評価されるのか、私にはそれだけが気にかかっていた。三月初旬に送られる一通の封書を私は待っていた。
下宿に帰ると、私はリュックサックに敷き詰められた十冊余りの本を学習机の端に並べた。私は文学史の始まりからなぞる様にして自身に新たな感覚を得ようと必死になっていた。生業として文学の道を選ぶ事が何を意味するのか、私には漠然とそれが至難の道であるとしか分からなかった。よって現在の私には、大学で拾えたはずの知識を拾わずに終わる事の無いように、身近なそれを活用して文学というものを再認識していた。
私はひとり藤丘公園に登った。下宿に不在のララは、今日はどこか別の場所に出掛けたらしく石段にも頂上にもその姿は無かった。大学から下宿への帰路に雨に打たれないか心配していたが、それから三十分ほどが経過した今も依然として空模様は鈍色に曇っていた。この空を一足早い花曇りと捉えて良いのか、私にはどうも分からなかった。稲毛海岸は空模様を受けてやや暗く、時折冷えた風が肌を過ぎていった。ララが居ない時の天気はいやに正直になるものだと思った。
ポケットに入れたスマートフォンの通知が鳴った。大学やスーパーからの連絡以外のほとんどの通知を切っている私は、何か重要な連絡が入ったと思いそれをポケットから取り出した。どうやらその通知は一件のEメールであった。送信元は「大和屋新小説審査会」とあった。
私はそのEメールから、小説が落選した事を知った。受け取った自動送信メールの本文には、丁重に「選考を見送らせて頂く」と記されていた。
私の瓦解する音が確かにあった。呆然と文面を眺めているのが空しくなった私はスマートフォンをポケットに仕舞った。皮肉にも時を同じくして空から雨が降ってきた。
この公園にあった私の記憶が千切れて行くような気がした。下宿にあったララとの生活が消されていく様な気がした。霧鐘塔の鐘が潰され、その余韻の全てを奪われたような気がした。その事実を受け入れるのは、私の中で鮮やかに生きていた記憶を殺す事に他ならなかった。
私は石段を降り始めた。降り始めの雨に臭気をあげる石段を降りた。私はまけたのか、ああ、まけたのだと俯き、間抜けにも一度上がった石段を降りた。これほどにも長い下り坂があっただろうかと、私は間抜けにも一度上がった石段を降りた。
下宿の玄関にはララが帰って来ていた。普段ベランダから出入りするララが、今日は玄関前で私を待っていた。私はとうとう涙を抑えられなくなった。ララの前で力なく膝を突いた。抑えていた感情が堰を切ったように溢れ出した。
「ごめんなあ、不甲斐ない人間で」
健気に私を待つララを、私は勝手に私の手で汚した。彼とのかけがえのない記憶も、私の修辞では何も響かなかった。それがたとえ天恵であれ、私にはそれを溢さずに受け止めるだけの器が無かった。私自身が素晴らしい何かになれると期待した訳では無かった。ただ彼との出会いの僥倖を、私は何としてでも無為にせずに有りたかった。その結果として選んだ生き方が、かつての夢を純粋に追う事であった。しかし私には、やはりその器は無かった。
ララは真っ直ぐに私を見詰め、足元に頬を摺り寄せた。その尻尾はいつもの様に心から再会を喜んでいた。その尊い姿に、私の不甲斐なさを一層強く感じた。
私の涙の理由をきっと彼は知らない。彼にとって因果は本質ではない。それよりも手に取る様に伝わる愛情を、彼は真に必要なものとして敏感に受け取っている。その潔さに、きちんと私なりの因果を添えられない私が悔やまれてならなかった。その尊さに報いれない私が無念でならなかった。降り頻る雨の最中、やはり私は彼の目になれなかったのだと思い知らされた事が、ただ、ただ、無念でならなかった。
小説の落選を受けてから、私の行動は単純化されていった。人が変わった様にエントリーシートを書き、卓上の書籍を取り去ってウェブ試験を受けるようになった。収納からリクルートスーツを引き出して、オンラインや対面で実施される面接に臨んだ。あるいはそれこそが私の行為として自然かも知れなかった。
小説の落選が確実になった日、もはや何のために木刀を振っていたのか分からなくなった私をララは何度も玄関先に連れ出そうとした。読みかけの小説の栞を全て取り去ってリュックサックに仕舞い込む私に寄り付いて、普段殆ど鳴かないにも拘わらずララは頻りに鳴き声を上げた。玄関を出れば下宿の階段さえ私を振り返り、あとを付いてきているか確かめていた。
本音を言えば、何の為に木刀を振るのか分からなかった。何の為に刀を持つのか、誰のためにそれを振るのか、一体私には分からなかった。運動不足が理由で始めたならば、たった一日振らない日があっても構わない。それを雨の日も風の日も頑なに続ける理由は何か。満月の明るい夜も星だけが頼りの暗い夜も、私はララと共に藤丘公園に登って木刀を振ってきた。しかしそれをララが頑なに私に求めたのは何故だろうか。それを今もなお、この私に求めるのは何故だろうか。
アルバイトから帰宅する私を、ララは今日も下宿の階段前で待っている。ベランダから帰宅出来るようになってから変わっていた日常が、最近は戻りつつある。スーパーで惣菜を買わなくなり、帰宅後に軽食を挟まなくなった私を気に掛けて、いつ素振りに行くのかとララは催促する。
過ぎた事と分かってはいるものの、ララに落胆を隠せないでいる自身が情けなく思えてならなかった。しかし一方で、複雑な事柄が全て分からなくなってしまっても、今ある単純な答えを見なければならないとも思った。健気なララを想うならば、前を向く事が当然の使命であった。
大学四年目の四月一日、金曜日の夕方に私はララとふたりで藤丘公園の石段を登った。雨上がりの濡れた草と石段がどこか冷たいように思われた。
石段を頂上まで登り終えたとき、ララと私は珍しく公園に来客を見止めた。白、黒、茶色が混ざった毛色のララと同じくらいの大きさの犬を連れ、ストレートの黒髪を肩まで伸ばし、白いTシャツの上にベージュのニットベスト、薄茶色のワイドパンツを着た同世代くらいの女性が広場の中央に立っていた。犬は真っ先にララと目を合わせると、ララに興味を示して女性の持つリードを引っ張った。ララはそのふたりにゆっくりと近づいて行った。私は女性に軽く会釈をしてその犬とララの動向を見守った。ララは女性の足元に寄って挨拶を交わした後、犬と顔を合わせた。ふたりはしばらく互いの匂いを確かめていた。
「可愛い猫ちゃんですね、飼われているんですか?」
「はい、二年以上前から」
「名前は?」
「ララと言います」
「ララちゃんですか、とっても可愛い名前ですね」
ララは女性が向ける好意の視線をとうに感じ取っていて、それに応じる様に彼女の足元をゆっくりと回った。そのあとをリードに繋がれた犬は戸惑った様に首を伸ばしてつけていた。
「その子の名前は?」
「このワンちゃんですか、マルコっていいます」
「犬種は何かわかりますか?」
「はい、ビーグルっていう犬種ですよ」
そのマルコという犬は、つぶらな目に白く小さな光を宿した、目の上の模様が困り顔の様に八の字に曲がったやや頼りない印象の犬であった。
「ここにはよく散歩にいらっしゃるのですか?」
「いえ、実はきのう引っ越してきたばかりで…」
新たに公園を訪れた彼女は、遠山千春という私より一歳年上の女性であった。彼女は三月に地元岡山の大学を卒業して職場のある千葉県に越して来たようだった。マルコは三年前から実家で飼っていたペットで、自身の引っ越しと共に連れて来たらしかった。
「きれいな景色ですね」
彼女はマルコを抱いて藤丘公園の見晴らし台に立つとそう言って微笑んだ。私はいつも通りララを碑の上に乗せ、同じように景色の前に立った。雨上がりの湿気と桜の香りを乗せた風が頬を撫でた。
「僕は毎朝この公園に登っています」
それを聞いたのかどうか定かではないが、彼女は目に景色を宿らせたまま微笑んだ。
その三日後の朝、私は再び藤丘公園で彼女を見た。
「今日もララちゃんとお散歩ですか?」
白い半袖のTシャツに薄灰色のロングスカートを履いた彼女と、徐に歩み寄るララに目を輝かせたマルコ。三歩ほど離れた彼女と私の間で、ふたりは互いに顔を合わせた。
「ええ、毎朝こうしています」
回り込んでララの耳を舐めようとするマルコの顔をララが両手で抑えた。驚いたマルコの目が見下したように白黒した。それを見て彼女は失笑した。
「あははっ、おもしろい顔!」
興奮したマルコがララを追いかけ、ララが巧みに身をかわしてマルコの額を叩く。マルコが負けじとララの背中に姿勢を崩しながら伸し掛かろうとする。
「いいお友達が出来てよかったね」
彼女は白い歯を見せて笑った。
「千春さんはお仕事前にも散歩するんですね」
「うん、毎朝ね」
「仕事が始まったばかりで大変ではないですか?」
「それは大変だけど、マルコには関係ないからね」
リードが巻かれた手首を反して、彼女はララと戯れるマルコを指し示した。毎朝スーツに身を包む前に日常的な格好をして出掛ける彼女の生活は、私には想像が付きにくいものであった。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
彼女はマルコを胸に抱いて言った。
「ララちゃんまたね」
彼女はララの額を親指でなぞる様に撫で、踵を返した。ララは地面に座ってその後ろ姿を見届けた。ブラウンのスニーカーの足取りが、北側の階段に遠のいていった。
それから毎朝、彼女と私はそれぞれマルコとララを隣にして藤丘公園を訪れた。私とララは南側の石段を、千春さんとマルコは北側の丸太の階段を上ってきた。私とララが先に訪れた日は見晴らし台の後ろからマルコの鈴の音と階段を上る千春さんの足音が聞こえ、千春さんとマルコが先に訪れた日は、マルコを胸に抱く千春さんが見晴らし台からララと私に手を振った。彼女が頬の傍で控えめに手を振る姿に、私の胸が一瞬轟くのを感じた。
四月の中旬に入ると、藤は一斉にその花を咲かせた。紫に染まる公園は艶やかで、花の香りはどの春にも増して華やかに感じられた。藤の紫で覆われた公園の中心で、ララとマルコは円舞のように戯れた。
藤丘公園の見晴らし台には、マルコを抱く千春さんと石碑の上に座るララ、その隣に私の姿があった。真っ直ぐに景色を見通すララの目に、勿論陰りは無かった。その景色を眺めるマルコの目には、純粋な光が宿っていた。同じ場所を共有する彼女の目にも、決して暗さを感じなかった。
賑やかな朝が毎日のようにあって、それが終わるとリクルートスーツを纏う私の四月は、決して悪いものでは無いように思えた。朝の藤丘公園で手を振って別れる彼女が同じようにスーツを着ているのを想えば、白いワイシャツのボタンを留める時に少しばかり胸が鳴った。
まっとうに就職活動をする凡庸な私を、ララは隣で照らし続けてくれた。藤丘公園にマルコを連れた千春さんがやってくるのを、ララは私に先回りして出迎えていた。ララはマルコと戯れる間、私の目を何度か見遣った。ふたりの姿に微笑む私を、ララは見届けていた。見晴らし台で隣り合う私と千春さんの姿を、静かにララは見届けていた。そうして私の心を救い続けるララを、私は守りたいと思った。
紫の絨毯が覆う藤丘公園に四つの影。藤の花が散り始めた五月初旬。
「じつはね、マルコは病弱なの」
柄にも無く暗い話題を振った彼女を、思わず慶多は凝視した。
「生まれ付き、ですか」
慶多は右手をフェンスから離し、身体を千春に向けて言った。
「マルコは知り合いの家で生まれたビーグルの兄弟の一匹なんだけど、血が濃いせいで兄弟がみな早死にでね、三歳でもう一匹だけなんだ」
千春は胸に抱いたマルコに目を落として言った。
「小さい頃はよく体調を崩してばっかりで、心配ばかりかけられてね。まだ兄弟が残っていた頃だったけど、次はマルコかも知れないって思うと怖くてね」
千春は景色を目に浮かべてつらつらと言った。
「今こうしていつも元気に遊んでいると分からないでしょう?でも実はマルコはね、ララちゃんと会うためにいつも一生懸命階段を上っているの」
千春は慶多とララを見て言った。その胸に抱かれるマルコが陶酔したように瞬いた。微風に、碑に座るララの茶色の毛並が揺れる。
「だから私にとってこの景色はね、」
再び景色を目に浮かべた千春の黒髪が靡く。その髪が揺れるのを、じっと慶多は追い掛けて。
「わりと良いながめなんですよ、高山くん」
千春ははにかんで笑った。その胸の中、マルコはうっとりした顔のまま。慶多はその揺れる髪に釘付けられていた。碑の上、ただ静かに、ララはその景色を見届けた。
五月中旬、暖かな風に吹き上がる藤の花と共に、定位置を占める四つの影。
「この丘は、ララの丘だと思います」
見晴らし台のフェンスに軽く両手を突いた、ベージュ色のジャケットを揺らした慶多の姿。その隣でベージュ色のニットベストを着た千春。マルコを胸に抱いた千春が息をこぼした様に笑う。
「ねえ高山くん、私とマルコは?」
いたずらそうに慶多に目線を投げて千春が言う。
「はい、もちろんふたりも」
慶多は千春を向いて言った。千春はゆっくりと瞬きして慶多を覗いた。
「四月に千春さんと会うまで、私はララと共に二年間、毎日この丘に登ってきました。三年前の秋にこの丘の下でララと出会って、初めて頂上に登れるようになってから、毎日。」
慶多は両手でフェンスに身を寄せて言った。千春はマルコを胸に抱いたまま、じっと動かずに聞いていた。
「千春さんから見て、僕は格好付かない生き方をしていると思います。ララと一緒に過ごしているのを見ても、どこか弱弱しい雰囲気が滲み出ているのではないかなと。ララの方が飄々としていて、それに面倒を見られるのが私の方で、どうにも男らしくないと」
身体を景色に向け、千春を横目に入れ、慶多は続けた。
「私の夢は作家でした。ララと共に生活するようになってはじめて、その夢に真摯に向き合おうとしました。それをきっぱりと諦めたのがつい四月はじめの事です」
やや伏し目がちに慶多は言った。千春はやや目を見開いてそれを聞き留めた。
「今まで散々救われてきたララをも見失いそうで、恐怖で仕方がありませんでした。諦めた自分を情けなく思う日が多くて、そんな中で就職活動をしている自分に自信が持てませんでした」
フェンスに伸ばされた慶多の両手が、それを締め付ける様に掴んだ。暫くの沈黙。フェンスに吹き付ける風が流れを変えた。
「きのうの朝千春さんと別れたあと、一社から内定通知が届きました。少し背伸びかなと思っていた、水道橋本社の企業からでした」
じっと景色に目を置いて慶多が言う。その横顔を千春は見守った。
「東京で就職が決まれば、僕はララと共にここで暮らします。そこにこの景色が続いている事を想像した時、それが心から楽しみに思えたんです」
慶多は石碑の上のララを見てはにかんだ。
「過去も今も、どうにも私一人では暗くなってしまう事ばかりです。それでもこうして肩を落とさずに居れるのは、」
千春と正対して深く息を吸う慶多と、見届ける覚悟をしたように微笑む千春。
「この丘でララと巡り会った日からたった今までの、かけがえのない記憶のおかげだと思います。千春さんもマルコも含めて、僕が守りたい景色です」
千春の目を真っ直ぐに見詰めて、慶多はそう言った。千春は眉尻を下げて微笑んだ。
「慶多くん、内定おめでとう」
はにかんだ慶多と千春の足元で、風の渦に藤の花びらが舞い上がった。マルコは陶酔の目をしたまま千春の表情を見詰めていた。石碑の上、ララはゆっくりと目を瞑り、その薫風の匂いに触れていた。夏がゆっくりと近づいていた。
五月の下旬に入った土曜日の午前に、慶多は千春に誘われて彼女の家を訪問した。慶多の下宿と同じワンルームの左側に小型のテレビとベッドが配置され、残りの右半分には白い絨毯と円卓が置かれていた。
「綺麗にしているんですね」
「犬が居ると毛がよく落ちるからねー、毎日掃除してる」
部屋の壁には黒のスーツとアイロンがけされた白いレディースのワイシャツがハンガーに掛けられていた。ほのかに香る甘い匂いに、慶多は胸がざわつくのを抑えようとした。
その日の夕方頃に慶多は下宿に帰った。ララは手際よく猫砂をいじる慶多の私服の匂いを終始嗅いでいた。
翌朝、藤丘公園の見晴らし台に慶多と千春は隣り合って立っていた。暖かな風が吹く公園のフェンスを前に、白いTシャツの上に薄灰色の半袖シャツを着た慶多と深緑色のワンピースを身に纏った千春は肩を寄せ合って立っていた。マルコを抱く千春と同じように、慶多はララを腕の中に抱いてみた。ララは大人しく慶多に抱かれていた。千春もマルコも、同じように夏に向かっていた。慶多もまた、ララをその夏に連れて行きたいと思った。
毎年訪れる春風を、ララは心待ちにしていた。丘の石碑の上、あらゆる花に命が宿った事を知らせるその季節の香りを、ララは一つ一つ慈しむように感じ取っていた。新しい春が来ることを、ララは知っていた。そしてその春が去る事を、ララは知っていた。一方で去りゆかない春風があるのを、ララはひとり石碑の上で感じていた。藤の花が散って丘を紫色に染める頃、どうしてその春風が未だに頬の毛をくすぐるのか、それはララにさえ分からなかった。ただその春風が季節に似つかわしくないものだと、夕日を受けて一層つやめく茶色の毛並を揺らす風にララは感じていた。
その朝、ララは初めて藤丘公園に登らなかった。ララが藤丘公園に登り始めてから、毎朝欠かさず慶多と共に登ってきた石段の入り口を前にして、ララはぱたりと止まって折り返した。仕方なく一人で登頂した慶多は、すぐに千春にララの異常を打ち明けた。昼になってもララは帰らなかった。慶多が就職先に提出する資料を入力する傍ら下宿付近を見回っても、そこにララの気配は無かった。
ララが帰らないまま夕方になった。アルバイトに向かう途中、慶多は千春のアパートを訪ねた。職場から帰宅したばかりの千春は、不安に駆られる慶多のためにスーツ姿のままスーパーの道を並んで歩いた。慶多が事務所に続く裏口から入って出て来なくなるまで、千春はじっと見届けた。
私が最後にララを見てから、半日以上が経過していた。これまで私と共に過ごして来た成猫のララが突如として習慣を変えたのが、尋常ではない事ははっきりしていた。初夏の風が吹いた日から、ララの様子が変わりつつある事を私は知っていた。千春さんとマルコを初めて見た頃とはララの表情が明らかに変わっていた。しかし私の胸中に起きた大きな変化を追う事で手一杯だった私は、その微妙なララの変化に手を触れていななかった。
アルバイトが終わって裏口から出てくる私を、千春さんは深緑のワンピース姿で待ち受けてくれた。時間の経過と共に深刻になる私の表情を思いやって、千春さんは私を励ましてくれた。
「ララちゃん、きっと寂しいんだと思うよ」
私の背中にそっと千春さんの手が触れた。
「これ、ララちゃんに新しい首輪。きっと似合うと思うから、仲直りに、ね」
千春さんはそう言って、私の手に深紅色の革製の首輪を握らせた。
「千春さん、ありがとう」
私はそう言って彼女の手を包み返した。やや涙ぐんだ私に彼女は笑顔で、私はいいから早く帰って、と言ってその場に残ろうとする私を追い立てた。
千春さんと別れてからの下宿への帰路は、どこか闇夜を思わせる様な不気味な暗さがあった。黒雲が空一面を覆っていた。これほどにも心細くなる日に、私の為を思って居てくれた千春さんに胸が疼いた。しかしその思いさえ、不穏な気分に覆われた中の一部分に過ぎなかった。その薄情な私の心に嫌気がさしていた。長年付き添ってきたララの下へ挺身して飛んで行かない何時になく動きの鈍い私にも嫌気がさしていた。深紅の首輪を握る右手には、巡り巡る交錯した感情を反映したように自然と力が籠っていた。
どちらにも順当に動けない私は、何の為に木刀を握ってきたのか。動かなければならない時に動けないなら、その木刀で傷付いた両手に意味は無い。暗闇に伸びる何時になく長い帰路を、何時になく怯える自身の心臓を鼓舞して歩を進めた。下宿のベランダ側を照らす外灯は、その長い道のりを抜けて角を曲がった先にあるはずだった。
慶多が下宿の見える細道に入った時、彼は下宿と三軒の一軒家を挟んだ先にララの茶色い毛並を見た。街灯の光が当たった道路の脇に、ララの茶色の毛並と太い尻尾が横たわっているのを彼は見た。
「ああ、そこに居たのか」
慶多は足早に寝ているララの下へと歩いた。
「ララ、帰ったよ」
近づく慶多の呼び声と足音に、ララは立ち上がる事はおろか振り返りもしなかった。やはり自分を非難しているのだ、その事実を慶多は受け止め、ララの下へ歩み寄った。
「ララ?」
しかしその姿には、何かそれだけでない異常があった。
「ララ!」
「おいララ!しっかりしてくれ!」
「ララ!どうしたんだ、どうしてこんな所で!」
歩み寄った慶多の下に転がっていたのは、額の半分を失ったララであった。無惨にもその右目は潰れ、口は半開きになったままララは横たわっていた。
「ララ、ララ、おれが悪かった、もっとそばにいれば、おまえをちゃんとみていれば…」
吐血に赤く染まった嘗ての美しい鼻筋を、慶多は白いハンカチで拭った。軽くなったララの頭を持ち上げた左頬には、反射で頭を横に振った際に付いた歪んだ表情がそのまま残っていた。ララはその左目を固く瞑ったまま、どこか無念そうな表情で慶多の下に還った。
黒雲の間に顔を出した満月が地球の影に姿を隠す皆既月食の最中であった。その影が次第に切れて再び月が照らした時もなお、動かなくなったララの身体を前に慶多は蹲っていた。いつしか月の下に生まれ落ちた茶染めの絹の様な身体は、歳月を経てその姿をより華やかに煌めかせて月の下に舞っていた。それが月蝕の夜に出歩けば月の子として囚われてゆく道理を、世で遥かに幼けない慶多は知る由も無かった。月はララの美貌とその御霊を取り去って影に隠れた。そこに残ったのは、今もなお美しさを保った兎の様に柔らかなララの身体と、それから伸びる気品と妖艶さに満ちた縞模様の太い尻尾の姿であった。死してなお、それは絢爛であった。
その夜の私を、ララは離さなかった。ララの呼吸が、ララの寝息が、ララの鳴き声が、ララが食事をする音が、私の耳に何度も響いていた。その度に私はベッドから起き上がり、玄関前で眠るララの姿を確かめに行った。時間が過ぎていく感覚が無かった。私の中に私を確かめようとしても、それが私かどうかさえ分からなかった。部屋の明かりを消せないまま、私はベッドに転がっていた。
ララの死は確かな事だった。私が下宿の表側に辿り着いた時、十字路の傍らでララは息絶えていた。それを一度寝ているものと信じた私は正気ではなかった。ララの痛々しい右目に私がした罪の大きさを知った。私がしなかった事への後悔が、彼の苦渋に満ちた顔を白い布で覆った時に溢れた。生前の彼に詫びる気持ちで買った猫用の寝具は、新しいまま彼の亡骸を包む事になった。青い布地に白の水玉模様の寝具を、彼はきっと気に入るはずであった。その寝具と同じように青い彼の名が刻まれた首輪が、私の胸を押し潰す様だった。その首輪を回せば、油性ペンで何度も上書きした私の携帯番号があった。それはとうとう使われる事が無く、ララは私の下宿へ還ってきた。
ララがベランダに飛び乗る音がした。ララが寝ている私の耳元で鼻を鳴らす音がした。喉を鳴らしてララが帰ってくる気配がした。ぴんと立った尻尾を震わせて、その丸い目で私を見詰めている気がした。ララの呼吸が、鳴き声が、私を気に掛けて呼んでいた。
「ララ、ララ…」
ベッドの壁際を伝うようにララの呼吸が近付いて来た。
「ララ…ごめんなあ」
その呼吸は、確かに私に寄り添うように顔の近くで聞こえた。私は心配するララを両腕に抱いた。その確かな空間には、私を気掛かりにして彷徨うララの影があった。
その夜、恐怖で寝付けない私は微睡みに幾度も走馬灯を見た。夜闇の中、下宿の外でララが私を見ていた。私がララを読んでも、ララは目をやや伏せて立ち止まっていた。真っ白な大地で、荒々しいララの呼吸が聞こえた。私の胸に飛び込むとララはようやく落ち着いたように穏やかな呼吸に戻った。嬉しそうに目を細めるララの目を、私はいつまでも見ていた。
下宿の外に新聞を運ぶバイクの音が聞こえた。黒雲で覆われた夜闇が過ぎ去って、代わりに灰色の雲があった。夜が明けた事が、全身の拍動を一度休ませた。しかし時が過ぎた事が、そこに起きた事実を伝えた。私は玄関の青いベッドに包まれたララの毛並を掌でなぞった。少しずつ、その身体は硬化していた。それと共に膨張してゆくララの身体を不吉に思った。その羽毛のような毛並と別れる事が惜しくとも、ララを美しいままに葬る事が私に残された宿命に思われた。
玄関の外で待ち受ける雨の中を、黒い雨傘を首と肩で固定してララの遺骸を運んだ。どこまでも長く足取りの重い石段を、傘の向きを正すために幾度も立ち止まっては上った。ララの毛並が雨に濡れぬよう、その寝床が濡れて寝心地を害さぬよう、何度も私は傘を直して藤丘公園に上った。
いつか公園で立ち枯れる直前の花を見てララが立ち止まった日に、ホームセンターまで出向いて買ったシャベルで地面に穴を掘った。見晴らし台の石碑の左端、丁度ララの隣に立つ私の足元があった場所に私はララの穴を掘った。黒い傘の下、雨を避けて眠るララの姿が私の世話を待っているようで、頬を伝う雨と共に止め処なく涙が流れた。
この丘でララが眠り続けられるよう、私は広く深い穴に新しいベッドに包まれたララの亡骸を置いた。それからララが使っていた銀皿に一番長い間食べ続けたお気に入りの餌を乗せ、それをララの口がある場所の近くに添えた。ララが大切にしていた黄色の糸で編まれた鈴入りのボールをララの手元に置き、その茶色の毛並にいつまでも触れていたい気持を抑え、私はララと最後の握手をした。
「またね」
大きく逞しくなったララの手を優しく握ってから、私はララをタオルで覆った。ララが重くないように慎重に、そのタオルの上に土を掛けていった。
盛り上がった土に、私に課された最後の役目が過ぎ去った気がした。その場所が荒らされてしまわぬ様に、私はララの水飲み用の瓶を置いた。普段ララが飲んでいた下宿の水をボトルに入れ、瓶に水を注いだ。それから藤丘公園に咲いた紫のカンパニュラを摘み、それを白布にのせて土の山に手向けた。その花もまた、ララが慈しんだものの一つであった。藤丘公園の風が通る日向に移し替えてから、それは枯れる事なく初夏に可憐な花を咲かせていた。ベルフラワーという別名が、生前のララによく似合っていた。
ララを丁重に埋葬しているとき、私の心は穏やかだった。しかしそれが終わってから、次第に私を途方もない寂しさが覆った。私はその寂しさのままに、何度も下宿にララの名を呼んだ。ベランダの戸を開けて一階の室外機に目をやっても、そこには消えかかった数日前のララの足跡があるだけであった。
手元に残った深紅の革の首輪は、ララと共に埋めるのが憚られた。ララはその深紅の首輪よりもむしろ、マリンブルーの首輪と共に眠り続けたいだろうと思った。学習机の引き出しに、私はその深紅の首輪を仕舞い込んだ。
ララの死を迎えた日から、私はとうとう素振りに出る事が出来なくなっていた。しとど降る雨を構わず、それを見届けようとするララが居ない事に私は慄いた。変わりなく無表情を貫くように、そうして固くなった頬を張れば溢れそうになる涙をかっと目を開いて溢さない様に、ララを埋めた日も続くスーパーのアルバイトを耐えた。そうして放り出された下宿へ続く奈落の様な道を、何度も眩暈しながらぼろぼろになった私は足をぼとぼと落とすように歩いた。通り過ぎる車の光とクラクションの響きが、私をララに連れて行ってくれる様な気がした。終わらない闇夜を、一人だけの闇夜を、下宿という深い闇に向けて歩いた。その終端の街灯下が一番、私の精神を恐れ慄かせた。誰の姿もない十字路の端に膝を落として、フラッシュバックのようにその場に蹲った。それにどこかの家の窓ガラスが慌てて開くのも、擦り切れた私の気には留まらなかった。
ララが居ない下宿の押し入れを開け、その中身を片端からひっくり返した。米袋を叩き、レンジを傾けてその裏を見、机の引き出しをばかばかと開けた。時折思い出したように残された猫砂をいじり、ベッドの下を覗き、無くなった銀皿とガラス瓶を探して配置しようとした。押し入れの中から引っ張り出されたペットキャリーを見て何か思い出したように、そのネットを開けた。仕舞われたままの冬用毛布にララの羽毛の様に柔らかい毛が付いていた。
「ああ、ララが、生きている、ララが帰ってくる」
ベランダの扉を開け、雨音の中に隠れたララの足音を探した。玄関に置かれた木刀を手に、その雨音の中を歩いてゆくララを迎えに行った。
「ララが帰ってくる、かえってくるんだ」
ざあざあと雨を跳ね返す石段を、狂人の如く青年が駆け上がってゆく。夜闇の石段を木刀を左逆手に、右手は一早く頂上を目指すよう盛んに振られ、月蝕に呪われて凄烈な空気を纏った人影が長い石段を蹴り上がってゆく。
「早く、迎えにいかないと」
最後の石段に接続する踊り場、黒くぐらついた稲毛海岸を奥に、千葉市街の街灯りをその手前に、雨音よりも忙しない足音が疾駆する。
「ララ、いま迎えに来たぞ」
息を切らした慶多が、藤丘公園の石碑の上に座ったララを見て言った。右純手に木剣を持ち直して、慶多はその剣先を天井に突き上げた。しかし彼は空間に斬撃を落とさぬまま、そこで止まった。
「あれ、ララ?」
その石碑の上にララの姿がない事を、慶多は訝しんだ。
「どこに」
彼が落とした目線を襲うように、雨に濡れた紫色のカンパニュラがぼんやりと映り込んだ。
「あああ、ララ、ララ…」
土砂降りの地面に、慶多は再び蹲った。それから狂人が寝覚めた様に、彼は憤怒の雄叫びを上げ木刀を放り投げた。闇夜に放物線を描いた木刀が、藤の蔓が巻く松の木の根元に突き刺さった。
「ララ…ララ!」
慶多は泥の流れる地面に構わず額づいた。その泥の匂いと冷たい感覚が、僅かながら彼の精神をその場に留めていた。しかし行き倒れた様に力を失ったその両腕は、傍からそれを見る者にとっては余りにも残酷であった。
「高山くん!」
最早泥さながらの彼に、北側の階段から駆け寄る女性があった。それは千春であった。咄嗟に赤い雨傘を闇夜の公園に投げ、彼女は泥に蹲った慶多を振り向かせてその肩を揺すった。
「高山くん、ねえ高山くん、しっかりして!」
虚ろな慶多の目は、闇の中に差し出された白い両腕を見た。雨に濡れた白い腕。その腕に付いてしまった汚れを、降り頻る雨粒で拭おうとして。
「千春さん…」
ぼんやり、遠退いて行く意識の中に、愛おしいララの姿を見付けて。ララだ。ララがいる。ララが私を抱いている。いや、ララを抱くのは私…、あれ、私は、どこにいるのだろう、私は?ララは?どこに…
「慶多くんしっかりして!起きて!」
深緑のワンピースを泥だらけにして、精一杯、後ろから私を抱き起そうとしている千春さんに気付いた。
立て続けに降る雨の中、北側の階段に傘を差す千春さんの姿が無かったのがせめてもの救いだった。彼女の献身が無為になった事を、彼女に知って欲しくなかった。彼女が託した深紅の首輪に縁の無いままララが旅立った事を、彼女に知って欲しくなかった。マリンブルーの首輪を掛けたまま眠っているララの事を、知って欲しくはなかった。ララを埋葬した後の仰々しく盛り上がった土を呆然と眺めながら、願わくは彼女が二度とこの丘を訪れないで欲しいと思った。彼女の幸せさえ守れない私を、いっそこの丘と共に忘れ去って欲しいと思った。
千春は、会社の女性同期に急遽マルコの寝相を見守るよう依頼して一刻を争う慶多の下に駆け付けた。
「いいからゆっくりして、慶多くん」
あわや石段から転落しそうな私を、千春さんは私の下宿に運びこんだ。千春さんは泥だらけの私を手取り足取り介抱した。泥水に染みた私のワイシャツとズボンを脱がし、後は自分でやるよう言って彼女は洗濯機を回した。ララを探し回った時に整頓が乱れた衣服や書籍を元の箱に戻し、そこから身の丈に合わないシャツとズボンを取り出して私に「借りるよ」と言った。バスルームを出た私に、千春さんは大人しくベッドで座っている様に言った。狂乱した私のためにワンピースを汚した千春さんは下着姿だった。
「いいからゆっくりしてて、外になんか出ないでよ」
立ち尽くす私の背中に回った千春さんは、私をベッドに押し退けた。
私の居ないバスルームからシャワーの音が聞こえた。深夜に回る洗濯機の音がごろごろと響いた。バスルームの電気を消す音がして、千春さんがドライヤーを使う音がした。薄桃色の千春さんの下着姿が、ベッドの上に釘打たれたように座る私の脳裏を掠めた。洗濯機の脱水が終わる音の後に、脱衣所から千春さんが出て来た。私のTシャツをぶかぶかに着て、下はズボンの紐を臍の辺りで大きな蝶結びに巻いていた。
「どう、少しは落ち着いた?」
彼女は私と肩をぴたりと合わせて座った。シャワーを浴びたばかりの華奢で白い千春さんの腕が、私の左肩に温もりを与えた。
その肩の温もりを確かめ合う間、しばし二人は口を噤んでいた。
「まだね、私も受け止め切れていないの」
鼻声になった千春が、言葉を溢すように口を開いた。収拾した焼け跡を前にして、千春の鋼の心もまた役目を終えて溶け出した。
「慶多くんを見送った夜に、ララちゃんは…轢かれてしまったんでしょう?」
慶多はゆっくりと頷いた。慶多を深く切り刻み今もなお流血するその傷を、千春は仮初にも抉ってしまわないようにと言葉を紡いだ。しかしその事実に胸を裂かれるのは、むしろ千春の方であった。
「私ね…、慶多くんがララを埋めているのを見たの。いつもと同じようにマルコを連れて、きっと今日は赤い首輪を付けたララちゃんに会えるかもって…」
千春の目から、抑えようのない涙が零れ落ちた。
「普段吠えたがらないマルコがね、今にも吠えようとしてて、私、咄嗟にマルコを抱いて必死にその口を抑えて帰って…」
流れ出す涙を、千春は両手で拭った。
「それからね、マルコは止まらなくなってしまったの。散歩に出たら真っ先に丘に上って、盛り上がった土の山に向かって吠え続けるの。その声がほんとうに寂しそうで…」
千春の声は震え、それ以上言葉を紡げなくなった。
「千春さん」
千春から届く温もりが、自身の胸に開いた深刻な傷を僅かに癒して行くのを慶多は感じた。一方でその傷が埋まってゆく感覚に、確かに時が経過している恐怖を覚えて、慶多は徐に千春の身体をベッドに倒して、強く抱き締めた。
彼女を今にも抱いてしまおうとする身勝手な私をきらう私があった。彼女を欲する私の心にあるのが、彼女の涙を拭おうとする積極的な愛情ではなく、愛するララを失った喪失感でしかない事実が、私の胸の深い傷を抉ってさらに深くした。しかし余りの痛みに麻痺した私の精神は機能を失い、ただ私の肉体が欲するままに彼女の温もりにせまった。
千春さんをベッドに横たえ、彼女の全身を羽毛布団の中に隠した。千春さんの身体に覆い被さり、千春さんが着る私のTシャツの内側に肌をなぞるように両手を差し込んだ。生暖かく柔らかな千春さんの腹部の感触が電流のように手首を過った。Tシャツの内側で下着だけの胸に手の平が触れ、その温もりが伝わった。千春さんの腫れた目元に残る涙を親指で拭い取り、微かな音さえ立てない様に背中の留め具を外した。
「千春さん、今夜は僕に抱かせてください」
悲哀に歪んだ千春さんの表情が穏やかになるまで、私はその柔らかな唇を吸い続けた。互いの将来を引き裂いてしまった悲劇を、全て忘れて前に進んで欲しい彼女のため、全て忘れずに居なければならない私のため、その柔らかな唇に舌を添わせた。羽毛布団に潜り込み、千春さんが履く私のズボンの蝶結びを解いて下ろした。千春さんの下着の香りが鼻をくすぐった。足元の付け根を、下着のかたちをなぞる様に両手の親指でなぞった。ぴくりと動く千春さんの両足を揃えて、千春さんを覆う全てを取り払った。
一連の愛撫の内に、彼女の何が消えていってくれるのかは分からなかった。その行為の内に、私の何が戻ってくるのかも分からなかった。ただ私だけでは余りにも静かな夜を、その恐ろしい夜を、千春さんの喘ぎ声に掻き消して欲しかった。ベッドが揺れる音が私と彼女を無音の苦痛から遠ざけていた。交わる体液が二人の深い傷を潤していた。千春さんもまた、彼女一人だけでは終わりが来ない長い夜を、私と繋がった温もりの中で終わらせようとしていた。
私は千春さんを抱いたまま朝を迎えた。彼女が深い寝息を立てるのを、私は抱き締めたまま聞き届けなければならないと思った。涙で赤く晴れた瞳が人前に出てしまうのが不憫で、彼女がこのまま出社を取り止めるならばどれだけ良いかと思った。
その夜も、明くる日の夜も、私は千春さんの中にいた。どこか重要な歯止めが効かなくなっている様で、あるいはそれが私の当然の役目の様で、スーパーのアルバイト帰りに毎晩のように千春さんの家に泊まる私は、それが彼女の痛みに寄り添いたい気持ちの現れなのか、はたまた私の下宿に無くなった音から逃れたいだけなのか、全く分からなくなっていた。ついに堕落してゆく自身の行為を、止めようとする理性は最早無かった。千春さんに溶けていく私に、千春さんは複雑な感情を抱いていた。それでも千春さんは、私の愛撫を受け容れてくれた。私と繋がるたびに、千春さんは複雑な感情を重ねて言った。
「慶多くん、私、ちょっとこわいかも」
そう漏らした千春さんの気持ちは、決して千春さんだけのものでは無かった。自身の負の連鎖を都合よく断ち切ってくれる存在など、もはや自分以外に無かった。彼女の柔らかな肌に溺れる私の首を、直ちに私は切り落とさなければならなかった。
千春さんに感謝の気持ちを伝えて私は下宿に戻った。私の言葉に、やはり彼女は安堵とも不安とも取れない微妙な表情をした。
「慶多くんに助けられたのは私だって同じだよ、何だか急に礼儀正しくなるのは不安かな」
そう言った彼女に、私は唇を交わす事も無く下宿に戻った。一度唇を交わす事を覚えれば、唇を交わしていた方が気楽だった。一度抱き合う事を覚えれば、抱き合っていた方が傷は痛まなかった。しかしそうして短絡的に回り始めた歯車は、私をどこまでも奈落に向けて堕として行くように思われた。
依然として不器用にしかやれない自身が腹立たしくとも、私はそれを堪えて彼女と離れようと思った。一度知った甘い身体に触れたくとも、私はそれを懸命に遮るよう努めた。幸いにも、次第に離れてゆくララの呼吸の跡を追うようにして私は千春さんから離れていった。どれほど身が千切れる思いであれ、それを幸いと思う以外に私と彼女を呪縛から解き放つ手段が無かった。
ララの墓を、次第に沈んで行く土を、私は確かな目で見られるようになって来てはいた。それが離れてしまった事を自覚し、追悼する気持ちが私の中に芽生えてきていた。しかし一方で、かつて私がララの目に見ていた景色を、堕落した私は上手く思い出せずに居た。私はその景色を追うように、何百回、何千回と、一度は放り投げた木刀で藤丘公園の空を斬った。
ララが居た。満月の夜に、石段の下でその丸い目を輝かせていた。未だ私がララと呼んでいなかった頃の、片手に乗れるほどの仔猫のララ。
ララが居た。冷たい風が半袖の肌をくすぐる秋の朝、下宿の階段の下で初めて餌を食べるララの姿。緑色の小鉢に盛り付けた缶詰をゆっくりと、残さず綺麗に食べたララ。
ララが居た。下宿の階段を上って玄関前で餌を食べる様になったララ。怪しい段ボールの荷物と共に、下宿の中に初めて足を踏み入れたララ。猫砂をいじる私の手を、いつもじっと見ていたララ。
ララが居た。下宿生活を始めたばかりの、まだ幼い丸い目をしたララ。大学に通う私に食事から寝付きまで見守られていた屋根の下のララ。
ララが居た。初めて乗る特急に、ペットキャリーの中で固まっていたララ。初めての下諏訪で、一早く私の家族の中心になったララ。
ララが居た。遠隔講義が始まった年、身も心もすっかり成長したララ。マリンブルーの新しい首輪を高らかに覗かせたララ。二階のベランダの柵を飛び抜けて、私を驚かせたララ。初めて藤丘公園の石段を上り切って、息を弾ませ私に身体を預けたララ。その藤丘公園で、新たな花と戯れて目を細めるララ。
ララが居た。遠隔講義で、ビデオで繋がった学生の輪に押し寄せたララ。生き生きと講義に取り組む私を、満足そうにゆっくりと瞬いて見守っていたララ。夜に木刀を振り始めた私が、いつまでもそれを続けられるように支えてくれたララ。
ララが居た。深い霧に包まれた霧ヶ峰を、瞬く間に晴れ模様に変えてしまった幻想の様なララ。その鐘の音が方向を示すように、私をいつも迷わずに居させてくれたララ。ススキの草原で、私の胸に飛び込んできたララ。霧鐘塔の下で、いつまでも、時を忘れた様に隣に居てくれたララ。
ララが居た。初めて真剣に夢に向き合おうとする私を、陰ながら支えるララが居た。石段の下で私と出会えば、必ず一緒に丘に上ってくれるララが居た。成熟して据わった目の奥に、美しい景色を見続けるララが居た。
ララが居た。降り頻る雨のなか、夢破れた私を変わらず支えるララが居た。ララが居た。擦り切れた私を懸命に鼓舞するララが居た。ララが居た。曲りなりにも立ち直ろうとする私に、嬉しいような寂しいような顔をしたララが居た。
ララはそこまで、私と共に居てくれた。ララはそこまで、私を見届けてくれた。誰よりも強い光を目に宿し、誰よりも中心で輝いていたララは、共に歩む私に一番に抱いた夢を諦めないよう諭し続けた。生まれながらにしてその目に宿る輝きを、決して失わない様にと私を諭し続けた。その命を失ってなお、その身体を失ってなお、ララは私の夢に現れては、私にだけ読み取れるその生き方を教え導こうとしていた。
ララは生きている。確かに私の心の中で、彼の命と引き換えに宿り始めた「火の子」がある。私はそれを確かな炎に変えてゆかなければならない。幾星霜掛かるか、今を生きる私には分からない。しかし私はその小さな「火の子」を受け継いで、私の心を灯し続けなければならない。彼が光り続けていたように、私もまた私自身を灯し続けなければならない。
石段を紫陽花が青く埋め尽くす藤丘公園で、一人慶多は遠くに目を投じていた。空が曇ろうとも、今しがた彼の心に宿った蝋燭の様な火は彼を照らしていた。その火が消えぬ様に風を操るのは一体何の仕業か、慶多はそれをひとえにララの加護であると信じた。あるいはその信念こそが、彼の心の灯が容易に消えぬ理由かもしれなかった。
第五章
火の子
「へえー、あの恐ろしいほど堅物の義賢君の息子さんがねえ」
大学最後の後期課程で哲学を取った慶多は、そこで偶然にも東大時代の父を知る哲学科教授の大岩功と出会った。
「まさか大学時代に女の子を下宿に連れ込んでいるとは驚いた」
慶多の愚直でずばりと的を射ない話から、大岩は気になる部分だけマーカー線を引くように話した。声が大きな教授のお陰で、講義後の入れ替わりの時間帯にも拘わらず女子学生が数人固まってちらちらと慶多を見ていた。
「おやおや失礼、我々は場所を変えようか」
教授は慶多に集まる衆目をようやく察して提案した。
「俺の午前中の講義もこれで終わったことだし、君も義賢君よりは暇だろう?」
余りにも忌憚なく話す大岩に何一つ答える隙が無い慶多には、止め処ない教授の台詞に対してかくかくと頷くくらいしか芸当が無かった。
「ちょっと昼ご飯でも食べに行かないか」
それについても、慶多は「ああ、はい」としか言いようが無かった。恐ろしいほど堅物の父親も父親だが、恐ろしいほど変則的思考の大岩教授もどうだろう、と慶多は思った。全く理系も文系も、教授という肩書の付く連中はどこかしら「こう」なのかと、その「こう」にとりあえず極端という言葉を当てはめて慶多は考えた。
「高山君、ああいや、慶多君さあ、ここの景色割と悪くないよねー」
千葉大学から大岩教授の車で移動すること八分、慶多は千葉駅前のセンシティータワービルの屋上を占める高級中華料理店「廣東飯店」の白いテーブルクロスを大岩教授と囲んで座っていた。地上百メートルのビルの上、何の流れか今から哲学科の教授とフカヒレ御膳を食べる予定の慶多は、その状況に追い付くのがやっとであった。
「まあ、君もカリキュラムが終わる頃に私の講義を取りに来るぐらいだ、何か私から聞いて置ける事があると期待したんだろう。私からも君に聞きたいことがある。義賢君が元気にしているかという事と、その君の話についてね」
蓮華でフカヒレスープを口に運びながら、大岩教授は顔を頷かせて話した。
「義賢君はねえ、あれはとんでもない男だと思うよ」
教授は父親の話になると、茹でだこのようにその目をぎらつかせた。
「彼は今や名古屋大学の総長だろう。君が入学した時には理学研究科長だったのが、二年副総長をつとめてすぐに総長になった。やはり私程度の目にはとんでもない男だな」
教授は嬉々として続けた。
「慶多君もさぞ大変だろう。義賢君のような父親を持つ子は、父親に倣おうとすれば同じようにやれない自身に苦しむし、かといって真逆を行こうとすれば退廃的にしかならない。そのうえ時間が経つにつれて父親の存在は大きくなるばかり。」
大岩教授は右手に蓮華を持ったまま、左手を講義時間と同じように胸の前で開いた。
「君にはお兄さんがいるよねえ。このまえ東京で義賢君と会った時、京大の大学院で工学をやっていると聞いたよ。という事は、おそらく彼はお父さんと似たような道を選ぶたちなんだよねえ」
いち友人の家庭事情ながら随分分析するものだと思いつつ、慶多は浅く頷いた。一方で、兄はどちらかと言えば祖父と似た進路を進んでいるのではないかとも思った。
「いっぽうの慶多君は、自分の父親についてどう思うのかね。何だか聞いている限り、随分、同じようになれない自分に苦しんでいそうじゃないか。まあ、傍目には君は父親そっくりだけれども。何だか、彼を若くしたみたいだよ」
質問の後も止め処なく会話する大岩教授に、慶多は何度も瞬きしていた。
「僕の血族は、僕には容易に超えられる存在ではありません。ですが似た様に生きなければ、僕は堕落してゆくだけだと思います」
慶多は向かいに置かれた豚肉のあんかけ焼きそばの器を眺めながら淡々と言った。
「あっはっはっは、やはり慶多君は義賢君そっくりな事を言う。単語を吟味して話す癖が特にそっくりだ」
大岩はやや後ろに仰け反るようにして笑った。
「それで、似た様に生きるっていうのはどういう生き方だろうか?」
大岩は笑顔を消して獲物を狙う目をして言った。
「へえ、慶多君が?」
両脇の紅葉が黄色に色付いた靖国神社の参道を、慶多、広瀬、石井の三人が歩いた。慶多の四年間について、石井君は始終丸い目をして聞いた。
「やっぱり、なんだか意外な所があるよねえ」
石井は首を傾げながら歩いた。
「下宿で猫を飼っていたとはなあ、どおりで連絡もよこさない訳だ。その猫って体重四十キロくらい?」
相変わらず広瀬、慶多のどちらも何も返さない事に石井は静かにため息をついた。慶多は二人には千春さんについて口を噤んでいたため、余計な冗談に安易に反応しないようにしていた。
「それにしても二人とも芳しい進路を選んだよねえ、広瀬君は財務省、慶多君は英国留学。響きが良いよなあ」
相変わらず石井は他人事のように二人を評価した。当の石井は、外資系大手コンサルティング企業に内定して一早く就職活動から抜けていた。
「どうしてだろうな、よく君に嫉妬するのは」
靖国神社の境内で車輪梅の苗を選ぶ慶多に広瀬は言った。
「そうか、慶多君はイギリスに行くのか」
赤砂崎の祖父の家、祖父と慶多一人テーブルに座る。
「ぜひ、よくよく外の世界を見るのが良いよ。君にはそれが似合うだろう」
慶多の祖父、正德はその経営者としての長い目で、慶多の近況を聞き取った。
「がんばんなさい」
長年客人と応対してきた習慣の抜けない祖母が二人に茶菓子を出して言った。
「あなたの孫なんだから、上手くやれない事などありませんわ」
祖母は大きく首を振って祖父に微笑みかけた。
「慶多君、自分にとって大きな物事ならばよく悩んだ方が良い。引き出しを多く持つ事も、何度もそれを引き出すことも全て糧になる。人生は仕事じゃないんだから、是非とも楽しくやりなさい」
そう言って祖父は私の肩を二回たたいた。
「君は作家になるつもりか」
梅の花が咲く善光寺、山門をくぐる義賢と慶多。
「はい、どう進むかは分かりませんが」
香閣の白煙を見据え慶多は言った。
「それで生きて行くつもりか」
慶多を尻目に、義賢が言った。
「そう生きなければならないと思います」
檜皮葺の本堂を見上げ、慶多が言った。
「ならば意図した様になるまで帰らない事だ」
冷徹な目で本堂を見据え、義賢は言った。
「はい、そのつもりです」
本堂を見上げた目線を水平に下げ、慶多が言った。
「決して楽をするな。精進する事だ」
義賢はやや慶多の方を向いて言った。
「やっぱり高山くんってそういう子」
藤丘公園の上、レンガブロックで囲まれた車輪梅に水をやる慶多を遠目に、マルコを連れた千春がつぶやく。千春はオレンジブラウンの巻き髪に白いニットのトップス、グリーンのスカートを着ていた。
「今年ももうすぐ春だなー」
慶多が石段を降りて居なくなった後、藤丘公園の見晴らし台に立つマルコを抱いた千春が言った。桜も藤も、その春風を待ち望んでいた。
春
この丘で春の景色を見るのは、今年で五回目だった。藤の花序が降り始め、藤丘公園の丘の下を桜の花が舞う景色を、私は何か途方もなく遠い感情を抱きながら見届けた。この丘をはじめて訪れてから、今日で四年が経った。その私の四年という月日を、この丘はまとめて抱えていた。それはたとえここで生活していた理由が大学に通う事であっても、それよりも揺るぎないものだと私は思う。
ララを埋葬してから、過ぎ去ってゆく時の恐怖を千春さんに忘れようとした私は、それから千春さんとは距離を置いて再び文学に専念するようになった。
「自分の中に何かを拘り続ける声があるなら、それに向き合う事。」
私がララに見た遺訓は最終的にそういう事であった。私の中にある声は決して私に近道をくれない。多くを取れない私にとって、その声に従って失うものは多い。それでもララの火を受け継いだ私はその火が照らす道を行かなければならない。
私は故郷を離れ遥か英国に出る。それは私の胸に宿る火を守るために必要な事であった。この丘に踏みとどまる限り、私の心もまたこの丘に留まり続ける。我が故郷に身を置く限り、その故郷が育んだ過去の私を断ち切る事は出来ない。そこに身を置き続ければ、ララが私に見せた美しい景色は再び灰色の景色に変わる。この胸に宿る火が、いずれ私の消えない炎になるまで。ララのために、私はここに居てはならない。
「長い別れになるな」
下宿の水が入ったペットボトルで、慶多は車輪梅の根元に最後の水をやった。新たな生を受けて少しずつ青葉を付けてゆく車輪梅が根付いたのを見届け、慶多は藤丘公園の石段を降りて行った。彼が降りてゆく石段の音を、微風に揺れる車輪梅は聞いていた。その一段一段の音を、遠くなる彼を追っていつまでも聞いていた。