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勝手につぶやき<光る君へ(第46回)>

退職したら何をしたいかというと、大抵の人は「旅行」と答える。
私もそうだったけれど、体調的、資金的に叶わずにいる。
お金があるときは時間がないし、時間ができたらお金がない。

女房職を辞したまひろが大宰府に旅をして、都合よく再会が重なって、パズルを埋めるように人間関係が繋がっていく。
ああ、最終回が近いなぁと思う。

大宰権帥として赴任した隆家は、すっかり落ち着いて居場所を見出した模様。
かつては、院の車に向かって矢を射るような事件も起こしていたのに。
そもそも、それがもとで冷遇されて、呪いに満ちた生涯を早々に閉じた兄の伊周と対照的。
バランス感覚の差かなぁと思う。
それと、職場はやっぱり人間関係よな。

隆家だけでなく、再び薬師として働く周明、宮仕えした賢子、武者として平為賢に従った双寿丸も、それぞれ自分の居場所を定めた中で、まひろだけが自分の居場所がないと感じている。

もう私には何もない。
これ以上都にいても、道長の役に立つことはない。
何かを書く気力もない。
私はもう終わってしまった。
でも、それを認められない。
書くことがすべてだった。
違う生き方なんて考えられない。
と嘆くまひろは、定年直後の燃え尽き症候群に見える。
まあ、わからないでもない。
私もプチ定年状態だから。

だからこそ。

周明、うっとおしい(笑

「お前の物語は人を動かしたのか」はなんだか無理なこじつけっぽい。
結果的にそういう展開になったとしても、本人が「そうよ、私は物語で人を動かしたのよ」と答えたら、相当に嫌な奴だ。
質問自体がよろしくない。

さらに「お前のやってきたことを書くのはどうか」とか「書くことはどこでもできる」とか、もっともらしいことを何を偉そうに、と思ってしまった。
私は「自己啓発」っぽい文言で慰められたり励まされたりするのが苦手なのである。

道長の妻にはなれなかったけれど「私が私である意味を与えてくれた」とまひろは言う。
私が私である意味を「書くこと」以外に想像できない喪失感。
私が私である意味なんてものはないのだと、そんなものはなくても、生きているだけで、その存在だけで尊いものだと気づくには、きっとまだ若いのだろう。

本日は「刀伊の入寇」。
まだ武家の時代が来ていないので、武具も粗末で「あんなんで大丈夫かいな」と心配してしまう。
まあ襲ってくるほうも、防具もなしで太刀を持っただけ。
ちょっとやられただけで大ケガするし、死んでしまうよなぁ。

土産に紅を買う乙丸が、相変わらず可愛い。
襲撃から逃げる際に、まひろは周明が手を取って一緒に走っているけれど、乙丸はちゃんとついて来ているかなぁと気になった。
いつもまひろの傍らに寄り添う彼は、博多に戻ったら、周明がまひろに求婚するかもしれないと察していたかもしれない。
いつだってまひろの幸せを一番に思っていた乙丸。

射られて死ぬ周明を見て、乙丸は「ちやは」の死を思い出してしまったのではないか。
まひろの大切な人、まひろを大切に思っている人が、また自分の目の前で殺される。
想像すると、私がメンタルやられそう。

刀伊の入寇が能古島を拠点にしたのは知らなかった。
大河ドラマとは全然関係ないけれど、井上陽水の「能古島の片想い」という歌を思い出した。
私も、昔は日本語の歌詞の曲をよく聴いた。

つきせぬ波のざわめく声に 今夜は眠れそうにない
浜辺に降りて裸足になれば とどかぬ波のもどかしさ
僕の声が君にとどいたらステキなのに

さらに、関係ないけれど「能古島サイダー」というのはまだあるのだろうか。


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風待ち
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