不眠症の原因
昨日は、月イチの心療内科の通院日。
変わりないです(薬が効きます)ということを報告して、処方箋をもらうだけ。
先月受けた紙の睡眠テスト?の結果が出て、13ポイントということ。
15ポイント未満が「きちんとした睡眠が取れている状態」だそうで、数か月ごとに受けているが、前回は18ポイント、その前は17ポイント、その前は22だったと言われた。
最初に受診したのは去年の秋で、その前に処方してもらっていたクリニックで「もらい事故」のようなコロナ感染があって、もう行くのが嫌になってしまって転院した。
「あんなに感染対策していたのに罹ってしまった」という精神的ショックと「対策的な落ち度はないと思われる私によくもうつしてくれたな」という病院側への怒りも収まらず、心身ともに安定していなかったせいか、転院して最初に受けた検査では31ポイントだったそうだ。
しかし、貯薬?があったせいか、転院の際の空き期間に入眠剤が切れたことはない。
効く効かないは、実際の薬効成分だけの作用ではないと、先生は仰る。
この一か月はどうだったかと訊くので、変わりないとは言ったものの、例の頻発する強盗事件に関して「下見」と思われる不審者の訪問があった日から数日は怖くて眠れなかったと報告した。
窓に衝撃が加わったときに大音量で鳴るセンサーを付けてからは、すこし回復しているということも付け加えた。
「そういうときは、10倍飲んでも効きません」と先生は言った。
私もそう思ったから、決められた分量を超えて服用することはない。
退職してからは、眠れなかったら眠れないでいいという開き直りもあるので、追加して薬を飲もうとは思ってませんと言うと、先生は安心したような表情を見せた。
医師としては、減薬を進めたいのだろうし、これまでの病院でも同様の方針でいろいろ試してみた。
でも、ダメだった。
実際の合う合わないもそうだが、私の中で「これを飲めば眠れるけど、ほかのじゃダメ」という信仰みたいなものがあるのかもしれない。
今年は、正月早々の能登の地震、夏の南海トラフの地震警報、直撃されるかわからない迷走台風、能登の豪雨とあって眠れない期間が結構あった。
家族の緊急事態がなくなってから、一番睡眠が悪い年だった。
そこに強盗の話でダメ押し。
先日、中野ブロードウェイで日中に人が襲われた事件があった。
高校時代、私はあまり友人付き合いのいいほうではなかったが、3度に1度は断り切れずに学校帰りの寄り道に同行して、中野ブロードウェイでソフトクリームを食べた。
あんなところで?
白昼に?
恐ろしい世の中になったとしみじみ思う。
今日は、先日延期した歯医者の日。
初期の虫歯にかぶせものをした。
保険診療で3020円。
金属だが奥歯なので見えやしないからいいと思って。
行きは電車に乗ったが、帰りは40分ほどを歩いた。
国道を避けて住宅街を抜けたのだが、昔はそれなりの規模の農家だったと思われるつくりの家々には、外からの視線を遮る塀が巡らされており、チラ見えした座敷と外はガラス戸で隔てられている。
門のあたりには警備会社のシールもないし、防犯カメラもない。
そして、今日は天候も安定しているのに、歩いている人影はない。
駅前のタワマン群を除けば、きっと町全体が高齢化しているのだろうと思う。
こんなところで、暴漢に襲われても、誰も通りかからなそう。
晴れた昼間には、私よりもっと年配の女性がひとりでガラス戸を開けて風を入れているのだろう。
大丈夫かなと心配しながら、足を速めた。
そういえば昔、いまタワマンが建っているあたりは、一面の農地で、歩行者だけが通り抜けられる農道?みたいなのがあった。
夕刻、そこを歩いていると、いきなりひったくり?に遭った。
斜め掛けしているバッグに手をかけられたのだ。
そのとき私は、たまたま新しいアイロン台を買って持っていた。
金属の足を折りたためるようになっているやつ。
箱ではなくて、店の人が紐をかけて持ち手を付けてくれだだけ。
それを思い切り振り上げて、カバンに触れた手を打った、つもり。
声は出なかった。
そこに突然、犬の吠え声が響いた。
飼い主が持つ紐の手を振り切り、中型の日本犬(雑種?)が私のもとに駆け寄ってきた。
ひったくりは、驚いて逃走した。
ワンコは、私に飛びついてペロペロした。
別段、悪者を追い払う意図はなかったものと見える。
飼い主が慌てて追いついてきて「うちの子は女の人が好きで・・・」と詫びたが、頭を下げるのは私のほうだった。
いまならアイロン台は配達してもらうが、いざというときのために、悲鳴を上げる訓練が必要かもしれない。
昼前に帰宅して、布団を干した。
洗濯は明日にしよう。
トイレと台所を掃除したら疲れてしまった。
でも、明るいうちはもったいなくてお昼寝ができない。
そもそも、この「寝るのがもったいない」という貧乏性も不眠症の一因だと思われる。