ルパン三世と私
ルパンに惹かれた日
幼い頃から…ルパンという作品を知る前から…ルパン三世に惹かれていた。
そう、幼稚園生くらいの時分、お母さんと一緒にどっか都会(おそらく渋谷か秋葉原)に行ったとき、ふと見つけたルパン三世のパネル。こちらに銃を向けてニヤッと笑った、モンキー面のおじさん。あ、なんかテレビで見たことあるぞ…そして、その絵の横には、でっかく「ルパン三世」と書かれていた…おそらくルパンのイベントか何かが始まる直前だったのだろう。
それにどうしようもなく惹かれて、でもそのときはお母さんに手を引かれて、ルパンとはサッサとさよならした。だけど、お母さんの手を掴んで後ろを振り返りながら、どうしてもずっとルパンを見ていたかった。
そのあと何日か、それとも何年かしてから、突然ルパンのことを思い出して、私はお母さんに聞いた。
「ねえねえ。ルパン、さん、なんとかってさ、アレなんて読むの?」
「えっ、なに急に? ルパンさんせいのこと?」
ルパンさんせい…そう読むんだ(それまでは、「ルパンさんみゃく」だと思っていた)。私は、ワケが分からないという顔のお母さんに、「いやいや、なんでもないよー」みたいなことを適当に言った。
タイトルとペンネームが大好き
小学校に上がると、『怪盗〇〇』という作品を見かけるたびに、「チェッ、まーたそのパターンかよ。泥棒モノの話って全部このタイトルなんだよなー。その点ルパン三世はすごいよな。『怪盗ルパン』じゃないんだもんなあ」と思っていた。
『まじっく快斗』という作品も、『怪盗〇〇』ではないスタイルのタイトルだったが、なんだかダサいと感じて受け付けなかった(それに、結局は主人公の名前が「怪盗キッド」だしね)。青山先生とファンの方には申し訳ないのだけれど。それに、白のタキシードとシルクハットでばっちりキメたキッドよりも、モンキー面でハデな赤いジャケットを着た、スケベでヒョロヒョロのルパンの方に魅力を感じていたのだ。
ちなみに、ルパン三世にハマったのち、ルパン一世、つまりアルセーヌ・ルパンの小説にも一時期ハマったが、タイトルが『怪盗ルパン』ということだけは不満だった。
原作者の、「モンキー・パンチ」というペンネームも好きだった。モンキー・パンチ。いかにもアメリカンな、それでいて無国籍な名前である。どこから湧いてくるのだろう、このセンスは…。まあ、結局は出版社に決められたというオチだったが、私はそのオチにすら感動を覚えた。誰かに決められて、こんなオシャレな名前になるのか。すげえ。と。
ルパンはラーメン
金曜ロードショー(以下、金ロー)でルパンがやってたときも、両親と一緒に観ていた。両親はルパンのファンというわけではない。テレビでやっていたら観るかな、くらいである。その頃に、夜更かしして両親と一緒に観るルパンは最高だった。
私の記憶にあるのは、『隠された空中都市』や『ルパンVSコナン』だ(『隠された空中都市』は、ルパンファンになってから改めて視聴すると駄作だったが、あの頃はそんなのどうでもよかった。というか、今もどうでもいい。とにかくルパン三世という存在が好きなのである)。
ルパン三世という作品・キャラが、なぜかどうしようもなく好きで、その名前を聞くと、また『ルパン三世のテーマ』を聴くと、胸が踊り出した。いつもルパンの隣でタバコを吸ってるヒゲのおじさんが、すごくカッコイイと思っていた。壁を車で走るとワクワクした。エッチなシーンになるとドキドキした。戦闘シーンはいつもハラハラした。ルパンがおちゃらけると、そしてその後に真剣な表情を見せると、もういっそ画面の中に入り込んでしまって、このおじさんたちと楽しい冒険をいっぱいして、たくさん可愛がられたいと思った。実際、眠い目をこすりながら何とか金ローを見終えたときは、夢に落ちる寸前まで、ルパンたちと車に乗って大冒険する妄想をしていた。
もっと色んなルパンの作品が観たかったけれど、私という子どもは成績は悪いくせに、変なところで生真面目な性格だったので、「でも、ピストル撃ったりオッパイ出てきたりするからな…あんなの自分から観たいとか言っちゃダメな気がする…テレビなんか観ても目ぇ悪くなるだけだし…」と考えて、「ルパンが観たい」とは両親に言い出せなかった。
だからこそ、たまーに夜更かしして観るルパンが最高だったのだ。あれは、深夜にラーメンをすするような背徳感がたっぷりある。脂がこってり乗りきっていて、とにかく美味い。たいていは眠くなってラストまで起きていられなかったが、最後まで観れたときは、大きな喜びと達成感に包まれていた。
『カリオストロの城』との出会い
小学5年生のときに知ったのが、かの有名な『カリオストロの城』(以下、カリ城)だった。
金ローの宣伝か何かで、「来週は、ルパン三世 カリオストロの城を放送!」とか言っていたのだと思う。私が「なんか見たことある絵だなー」とつぶやくと、隣にいたお母さんが、「えっ、宮崎駿やろ?」と一言。
「ミヤザキハヤオ、ああ、ジブリの人か! ほんとだ!」…私の反応は遅かった。
それから、私はどうしてもカリ城を観たくなった。というのも、私は幼い頃よくジブリを観ていたのだ。「ルパンは気になるけど、銃とかオッパイが出てくるからダメだ。でもジブリに出てくるのは、豊かな自然と清楚な女の子! だから親の前で観ても大丈夫!」というようなことを、幼いながらに何か感じていたのだと思う。
(ラピュタなどには銃が出てくるが、悪役であるムスカの発砲と、主人公であるルパンの発砲は、意味が違うと感じていた。要するに、重みが違うのだ。ルパンはゲームのように何気なく銃を使用する。しかも、普通はヒーローとなるであろう、主人公という立場のルパンが。そのあたりに、「アブナさ」を感じたのだろう)。
そんなわけで、私の中ではすっかりルパン=大人もの、ジブリ=子供ものという構図が出来上がってたもんだから、そのハイブリッドっていったいなに!?という具合ですごく気になった。どうでもいいCMの間に時々ヒョイッと挟まってくる、カリ城の宣伝。それを観ながら、
「ああ、ほんとにルパンだ…ジブリの絵のルパンだ…どんな感じなんだろ、全然 想像つかない、ワクワクする!」
という具合で、始まる直前までずうっとドキドキして落ち着かなかった。
で、いざ観てみたら、面白いこと面白いこと。一発で、私の全部が虜にされてしまった。
カリ城を1日2回は観るようになり、セリフもいくらか覚えてしまった頃、2ndシリーズの再放送を見つけた(順番が逆だったかも、よく覚えていない)。
そっからはルパン道一直線。遅寝して早起きして、とにかくルパンを観るためだけに毎日があった。山田さんや栗田さんの声を聞くたびにドキドキしていた。やがて1stシリーズや複製人間などの、大人でダークな感じのルパンの方が好きになった(今は1stも2ndも同じくらい好きである…というより、どちらも成り立ってしまうほど、キャラクターとして自由なルパン三世という男が好きである)。
カリ城は、ルパンを観ることへのハードルをスーッと下げてくれた。宮崎監督には心から感謝しているが、原作の雰囲気を壊した張本人というのが複雑である笑 でも、やっぱり原作もカリ城も大好きだ。
そして、今
で、そっからはなんだかんだあり、金ローも余裕でラストまで観られるほど大きくなり、5年ほどルパン道を外れて鬱の道を彷徨っていたりもしたが、最近ひょんなことから再びルパンを観る機会に恵まれ、私は救われた。今では絶対にルパンを離さないと思っているし、離そうと思っても離せない存在であると分かっている(というより、諦めている)ので、しばらく心の安定は約束されるだろう。
今でも『ルパン三世』というタイトルを目にするたびに、「ああ、このタイトルは本当にすごいな」と思う。と同時に、自分がルパンファンであることを不思議に感じる。あの日、どこかの都会でちろっと見たルパンのパネル。うつらうつらしながら観たテレスペや映画。あの頃は、どうしようもなくルパンに惹かれながらも、あんな危険な世界に私が浸れるわけがないと思っていた。それが今、皮膚がブヨブヨになるまで浸っている。カラカラで何もない私より、こっちの私の方が好きだ。
今 考えると、私が理屈っぽい性格だから、理屈なんか考えずになんでも楽しんじゃうルパンに、潜在的に惹かれたんだと思う。
ルパンを好きになったときも、なんで好きなんだろうと一所懸命 理由を探そうとして、山田康雄さんが好きでたまらないときも、なぜこんなに好きなのか、なぜ小林さんたちじゃなく山田さんなのか考えて、ルパンで1番好きなテレスペがなぜワルサーP38なのかも考えて…
ルパンのようになんでも楽しめる人になりたくて、今 努力している。「生まれたときからそうだったら良かったのに」と悔しいけれど、最初からそうならルパンに惹かれていないだろうし、今もこんなに好きじゃない。だから、たぶんこれで良かったんだと思う。