HSPとアダルトチルドレン
今回は、HSPとアダルトチルドレンについて両方の単語を入れてヒットした記事です。
私は、自己理解プログラムを通じて、自分がhss型hspだと知ったことから、自己ケア(触れること)の大切さを学んだのですが、アダルトチルドレンについて、ちょこちょこ引っかかっておりました。自分はアダルトチルドレンだからってその問題をステータスの様にかざしてる人に違和感を感じたのかな?
私も多分そうだろうけど、なんかそれに括るのは苦しいな、みたいな。
要は、セルフケアや触れるを通じて生きやすくなったんですね。
なので、そういう括りみたいなのに縛られて被害者みたいなのは違うかな〜?って思うようになったのです。
このブログで、アダルトチルドレンの軽症がHSPによって起こる問題(HSPはあくまで、気質でそれによって起こる生きづらさ問題)である事。
それらは、3歳児にしてあげること(なでなでする、触れる)で癒されるって書いてあって、ほんとにそうだなぁ〜って感じました!
触れるケアで癒されてケアされたから、そう思うのかもしれません。
自己ケア含めて統合すると、なんだか自分の家族も🧑🧑🧒素敵な家族と思える。
そして、そんな感覚統合してくれる男性を求めてしまう女性心もなんかわかる!
感覚統合、よしよししてもらえるそんなメンズを王子様のように安心して…
でも、そんな上手い人はモテモテ?なとこもあって、離れられてズタボロ!?の構図。
以下引用です。
HSPを訴える多くの患者さんの家庭内の環境を調べたところ、人間関係に多少の問題のある家庭ではあるけれども、それほど害のないように見える普通の家庭です。
しかもそこにあるのは、むしろ子供の側が、「対立などの問題のある家庭に適応するために、あるいは家庭を守るために、自分から積極的に努力している」という構図です。
「家庭内共同体の一員として、本能的に導かれるような能動的行動で家庭を守ろう」として、家族に多大に「気を使ってきた」と感じられました。
しかもこれは生きていく生物としての、人間にある本能的な行動だと思います。ですから、みな共通の症状を呈するのだといえます。
ここから、多少厳しい家庭内で自分もお姉さんとして、積極的に能動的行動をしていたなぁ、
これは家族愛ゆえにだなぁと思いました!
なんだかまとまりなくなったけど、現代の家族問題としては、仲良く均衡を保つのが大切という社会的背景により、発達障害の顕在化(問題視化)や、気を使いすぎる子どもの出現ゆえのなんだか生きづらいが出てきているのかな〜でした。
時代はコロコロ変わっていって、その時々での生きづらさやバランス感覚ってある。
だからこそ、感覚を磨くこと、五感を磨き続けないといけないなと改めて思ったのでした。