私のことは殴っていいから。

小学生のとき、
バレーボールの試合が
テレビ中継されていて
それを見るのが大好きだった。

中学生になったら
バレー部に入ろう。
そう決めていた。

運動は得意で、
小学校のころからマラソン大会などは
常に上位だった。

兄はバスケットをしていて
バスケ部の顧問がとても厳しく
今では体罰になるレベルの暴力を
顧問から受けていた。

私が通う中学校の当時の女子バレー部は
そのバスケ部の顧問が尊敬しているという
より暴力の厳しい男の先生だった。

バレー部顧問の年齢は父より一つ上だった。

中学生になった私はとにかく
バレーボールがしたかった。

バレー部には、二つ上に、
Nさんというキャプテンがいた。

Nさんの兄は私の兄と同じバスケ部で、
母同士もとても仲が良かった。

バレー部の顧問が厳しいのは
NさんとNさんの母からよく聞いていた。

普段から父に暴力を受けていた私は
顧問からの暴力なんて
余裕で耐えれる自信があった。

父は理由なく私を殴るが、
顧問は理由があって部員を殴るから、
私は耐えれる自信があった。

仮入部に行った。
先輩たちはとても優しく、
同級生たちも優しかった。

仮入部に1週間行った最後の日、
初めまして顧問が来た。

いつもと練習の様子と
先輩の様子が違うのがわかった。

先輩たちが何かを失敗し、
顧問に殴られた。


その光景を見た瞬間、
私の脳裏には
走馬灯のように
幼い頃の父からの暴力が
甦った。

手足が震えた。

呼吸が荒くなった。

そのあとも他の先輩が殴られていく。

私は思った。

「見れない」


自分が殴られるのは慣れていたが
他人が殴られることを
見ることに慣れていなかった。

酔った父から
兄と姉が殴られるところを
何度か見ていた。
だから慣れていると思ったが、
それは違った。
よく考えてみたら、
兄と姉が殴られている時、
私は父に
「私のこと殴っていいから
お兄ちゃんお姉ちゃんを殴らないで」
そう言っていたのだ。


その日家に帰って、
私は涙が止まらなかった。


心配した母に
理由を話した。


「殴られる人を見たくない。小さい時されてきたことを思い出して涙が勝手に出る。バレーボールをしたいだけなのになんでこんなに辛いの」

泣き叫んだ。

「それならバレー部入らないでいいよ」

母が言った。


私は誰かにそう言ってもらいたかった。
自分で辞めることが
幼い私には出来なかった。
兄は厳しい顧問の元で、バスケットを
続けてきたから、
部活を辞めることは悪だと
私の中で解釈していたからだ。

次の日、顧問の元に私は
担任と向かった。
担任はあきれていた。

顧問には「ついていけないと思ったので仮入部の届出は出したが、やめたい」と言った。

顧問は私に言った。
「1日しか俺の指導を見てないくせに辞めるのか」


その喋り方、声の感じが、父とそっくりで
また手足が震えた。

顧問は母に電話すると言った。
帰宅して、母に電話がかかってきていた。
母はそのとき電話でなんと言ったのか、
ちゃんと教えてくれなかった。

私は、やりたかったバレーボールを
諦めたくなかった。

けど、見れない。
みんなが殴られるところ、
大きな声で怒鳴られるところを
見ることができない。

本当に悔しかった。
死にたかった。
青春を父の暴力に
奪われた。

私は、その日、
家に帰る前の父に
電話をした。



「されたことを思い出すから
小さいときされたことのせいで
バレー部に入れなくなった」

父に向かって泣き叫んだ。

父がなんと言ったか、
私は覚えてない。
それくらい泣いた。
バレーボールがしたかった。

その日、部活に顔を出さず
私が泣いて帰ったという噂を
同級生のバレー部の子達が知り、
Nさんの母から私の母へ電話がかかってきた。


Nさんの母の声は聞こえなかったが、
「家にね、1人いるの、傷つける人が。だからね、娘も顧問の暴力見れないって」

そう言うのが聞こえた。

母も泣いていた。

私は結局バレー部に入部できなかった。


近隣市町には
楽しそうにバレー部に入っている子が
たくさんいた。

バレーをしている女の子たちが
心から羨ましかった。

「私も他の市町に住んでいたら
楽しくバレーができたのかな。
普通のお父さんが家にいたら
今の中学校でバレーができたのかな」


毎日毎日泣いた。
みんなが部活をして
楽しんでいる中、
私は毎日泣いた。


母が一度、
家から1時間以上かかる
バレーボール教室に
連れて行ってくれた。

週2回、小学生向けの
バレーボール教室だった。

楽しかったが、
そこにいるのは主に小学生。
中学ではみんな部活をするからだ。

通いたかったが、
仕事で疲れた母に
送り迎えしてもらうことが
本当に嫌だった。
私のせいで
母に倒れてほしくなかった。

私は母に嘘をついた。
勉強が苦手だった私は、

「もうバレーしたくないや。
それより勉強するよ、家の近くの
塾に行く。近所の公立行くために」

本当はしたいよ
小学生のころからずっとしたかったよ、
バレーボール。
けど怖いよ、人が叩かれるところ
もう見たくないよ



私は、大好きな
バレーボールができなかった。

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