矢沢あいさん作の漫画 NANAが とてつもなく好き。 読んだことある人とは一生 語れるんだけど 私、幼い頃に姉と喧嘩して 姉を叩いたことがある。 その時母からかなり怒られて 家を追い出された。 たぶん小学一年生のころ。 私は何が悪いのか分からなかったが、 母は私を叩き、姉を擁護した。 私には六つ上の兄と三つ上の姉がいる。 仲が悪いと言うわけでもなかったが、 2人にはよく叩かれたり蹴られたりしていた。 力の強い2人に勝つわけはなく、 私はいつも痛い痛いと言っていた。
イヤイヤ期の息子に対して 本当に悪いことをしたときだけ 叩くことがある そのあとの罪悪感すごい、、 そして思い出す父からの暴力。 こんなに私を支配している あぁ、ほんとに忘れたい
誰にも言えない過去のことを記録して、思い出して号泣した。頭が痛い。何のための記録か。 私が子供たちに同じ思いをさせないための記録。
私は大好きなバレーボールの テレビ中継を見ることが 苦しくなった。 バレーボールのニュースが流れると 酔った父が挑発するように私に言う。 「お前バレー部なんで入らんのか」 誰のせいで 何を思い出して 身体が震え 苦しくなると思っているのか。 私が勇気を振り絞って かけた電話のことも、 酒が入れば忘れてしまう父。 私はバレーボールを失ったのに 顧問教師から嫌がらせを受けたのに 父にとって私は酒に酔った時に 適当に扱えるカスのような存在なんだ けど世間は言う。 バレー
部活を辞めたあの日から 私に対する 顧問の教師からのいじめ、 嫌がらせが始まった。 これは誰にも話したことがない。 ここに初めて記す。 顧問は体育教師だった。 廊下で、顧問とすれ違うたびに言われた 「部活やめたからロクな人間にならんぞ」と言う言葉。 体育の授業で、 下手な人の例として いつもみんなの前で自分の走り方や 泳ぎ方を晒された。 私は、震えを隠すのに精一杯で それを嫌がらせと思う余裕などなく、 三年間耐えた。 とにかく耐えた。 でも、三年間思い続けた。
小学生のとき、 バレーボールの試合が テレビ中継されていて それを見るのが大好きだった。 中学生になったら バレー部に入ろう。 そう決めていた。 運動は得意で、 小学校のころからマラソン大会などは 常に上位だった。 兄はバスケットをしていて バスケ部の顧問がとても厳しく 今では体罰になるレベルの暴力を 顧問から受けていた。 私が通う中学校の当時の女子バレー部は そのバスケ部の顧問が尊敬しているという より暴力の厳しい男の先生だった。 バレー部顧問の年齢は父より一つ上
小学校に入ると、 同級生はよく 家族の話をする。 私は兄と姉とは仲良しで その話しかしなかった。 父親の話をする同級生が不思議だった。 私の父は 朝、仕事?へ行き、 私たちが寝たら酔って帰ってくる だけの人だった。 一緒に遊んだこともない。 家族旅行もしたことがない。 それが普通だったから、 同級生が父親の話をしていることの 意味がわからなかった。 「みんなの家には叩かないお父さんがいる」 それが不思議だった。 小学四年生の頃。 私はカミソリで初めて リストカ
父が酔っ払って 私は心も体も たくさん傷つけられてきた。 小学生になって 父と母が大喧嘩するところを 何度も見た 私が止めると それに怒った父から 何度もボコボコにされた 大人になって一度父に 私にしてきたことを 思い出せと言ったことがある 父は一つも覚えていなかった 「酔って覚えてなかったとは 言わせんよ」 私はそう言い返した。 父は過呼吸のふりをし、 「もうやめてくれ」と言った 「「もうやめて」」 私が幼い頃、何度も父に言った言葉を 父から言われた。
私の実父の話。 私の人生、私の体を狂わせた人物。 実父自身、母親に捨てられて、 父親(私から見て祖父)と 祖母(私から見て曾祖母)に 育てられた。 実父の母親は男、酒、金にだらしなく、 父を産んですぐにいなくなった。 そのあと父の弟を産み、 またいなくなったと聞いている。 祖父はもちろんそんな女とは別れた。 しかしそんな女は、どこまでもしつこくて。 年老いても、未だに 父となぜかつながっているとか。 父は洗脳されている。実の母に。 そして父は、女、酒、金にだら
初めまして。 28歳、 2歳の男の子 と0歳の女の子の ママです。 私の人生なんて大したことないけど 記録したくてはじめました。 子供の泣き声を聞いてると 子供の泣き顔を見てると 過去の自分を思い出す。 そして胸が痛くなる。 涙が溢れる。 そして死にたくなる。 消えたくなる。 過去を振り返ります。 ※思い出したことを記録するので時系列は めちゃくちゃになります。