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『関心領域』を観て

『関心領域』観てきました。


私にとって世の中で一番怖いこと、悲しいことは「無関心」だと思っています。

ただ、この映画を観てからは、私はいま自分が関心領域のどこにいるのかが分からなくなりました。

話は興味ある方ならもうご存知だと思いますが、
アウシュビッツ強制収容所の所長家族の話。

現代のわたしたちと同じように、家族で出掛け、一家団欒をし、庭を愛でる。

ただ、壁を隔てたそのすぐ隣は強制収容所。

鳥の囀りと同じく聞こえる銃声や叫び声、ユダヤ人を運ぶ汽車の音、そして壁の向こうでは黒い煙…。

人は見たいもの、聞きたいこと、知りたいことしか、見えない、聞こえない。知らない。
いや、でも本当は見えている、聞こえている、知っている。

見終わった後、映画館を出る時に
「よくわからなかった…」と話している方がいらっしゃいましたが、この映画は、まさに観る前からまず私たちの「関心」がそこにあるのかないのか、そして「想像力」を試される映画だと思います。

もちろんホロコーストを知らない人はいないと思いますが、どこまで知っているのか、それによってこの映画の怖さが違ってくる気がします。

私も詳しい方とはもちろん言えませんが、鑑賞中私の頭の中には「サウルの息子」とNHKの「映像の世紀」で観たアウシュビッツの様子がずっと過ぎっていました。

『サウルの息子』は収容所でゾンダーコマンドとして働いていた男性の話です。


塀の外と塀の中。

じゃあ、今私はどこにいるのだろう?

映画を見た後、私は喫茶店でコーヒーを飲み、家に帰り、夕ご飯を作り、子供たちと談笑する。
そんな瞬間でも世の中では虐殺、迫害、貧困、飢餓などが続いている。

私は関心領域の中なのか、外なのか。
私と所長夫人の違いは?

そんなことを考え始めたら、よく分からなくなってきました。

オッペンハイマーも観たのですが、ただ、

「人間は(私たちは)こんなこともできてしまう生き物なんだ」

ということを知ること、そして考えることは大事なのではないかと思います。




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