ブックカバー増殖中 もりたからす
どこの書店でも、会計時にブックカバーのことを聞かれる。
「こちら、ブックカバーはお付けしますか?」あたりが、その際の順当かつ平均的な表現だろう。客としてはそれに対して「お願いします」あるいは「いいえ、結構です」くらいの返答をすれば、ことは済む。
極端な例として、私はかつてある書店員にこう言われたことがある。
「お客様、当店では書籍をご購入されたお客様に無料でこちらの紙製のブックカバーを差し上げておりまして、この場でご購入された書籍にカバーをお掛けすることができますが、いかがいたしましょう?購入された書籍にこのような紙製の茶色いカバーをお掛けいたしましょうか?」
ここまでくると懇切丁寧を通り越し、慇懃無礼の領域に入る。その店員から私はどう見えていたのだろう。おそらく「言語によるコミュニケーションは可能だと思われるが、一般常識や書店でのサービスに関する認識を著しく欠いた、かろうじて人間らしいサル」くらいのところだったろう。そこまで詳細にわたる説明が為されると私としても「この街の書店員様はいんてりげんちゃあでいらっしゃるのにオラのようなものにもそんな親切なことを言ってくださってありがてえだ」と拝伏するほかない。
最短表現としては「カバー?」と言われたこともある。
動物園で生まれて初めて大型の哺乳類を見た幼稚園児だってもうちょっと単語を組み合わせた日本語を喋るはずだ。初対面の相手に向かって名詞の語尾を上げるな。
そもそも人はなぜ、本にブックカバーを掛けるのか。ざっと調べたところ、「本の汚れ防止」が主要な理由としてあるらしい。オリジナルの表紙・カバー保護や本の日焼け防止もこれに含まれるだろう。
「読んでいる本のタイトルを隠したい」という理由でカバーを愛好する人もいる由だ。他人に覗き込まれたり、嬉々として話しかけられたりする煩わしさを避けたい、という気持ちは分からないでもない。
しかし私は、遺憾ながら「本を綺麗に保ちたい」や「人に書名を知られたくない」といった繊細で高潔、高度に社会的にして洗練された優美な感情を持ち合わせていないので、これまで書店で紙のブックカバーを希望したことが一度もないし、家ではついポテチを摘んだ指でページをめくってしまうし、クロワッサンの皮を信じられないくらいこぼしてしまう。
そういえば、書店でカバーを希望したことは一度もないが、
「書籍にカバーお掛けしますか?」
「いいえ、いりません」
「かしこまりました」
というやりとりの後でカバーを掛けられたことはこれまでに3回ある。ポスト構造主義の書店員により常識は脱構築され、私は帰宅後、不要なカバーを改めてデコンストルクシオンしなければならなかった。
そんなブックカバー不要派の私だが、自宅には画像の通り5種類のブックカバーがあり、私はこれらで書籍やら文庫本サイズのノートやらを包んでは悦に入っている。一体全体どういうわけのわけがらか。
「人はなぜブックカバーを掛けるのか」この疑問の答えは大きく二つに大別されるらしい旨、前述の通りだが、ここで「人はなぜちょっと良いブックカバーを購入するのか」について私なりの見解を提示したい。ずばりそれは「手触りが良いから」である。良い革や良い布は、ずっと触っていたくなる。それで人はつい、深く考察をしないまま「ちょっと良さそうな素材」を次から次へと購入してしまい、どうやらその本来の用途が本を覆うことにあるらしいと気付くと慌てて表紙をねじ込んだり、勢い余って折り曲げちゃったりするらしい。ところで、人は「本を読む」という行為を視覚に頼りすぎてはいないだろうか。世は21世紀であり、令和の御代である。触覚でも知的興奮を味わう時代が来てるのではないか。
一例として、私の手元に研究社『リーダーズ英和中辞典』の革装版がある。これなどは専門家の使用にも堪える内容であることから、私なぞが中身を見てもちんぷんかんぷんで、むしろ手触りの方が正確に読書の喜びを伝えてくれるくらいものだ。
つまり私はどうやら、汚れ防止でもタイトル隠しのためでもなく、ただただ、素材が好きだからブックカバーを愛用していることになる。
ここで画像のブックカバーを紹介していこう。左上から購入順に並んでいるので、紹介もそれに従う。
・革カバー/深緑
学生時代に購入した初めてのブックカバー。当時の私はダークグリーンに取り憑かれていて、ダークグリーンの万年筆にダークグリーンのインクを入れ、ノートに「ダークグリーン」などと書き込んだりしていた。このブックカバーには「fico prodotto di GANZO」の刻印がある。デパートの革小物売り場で割と安く入手した記憶があるので、今をときめく銀座の名店GANZO様の廉価ラインかなにかだろう。
・革カバー/生成り、黒
いわゆる「ヌメ革」のような生成りのものと、真っ黒なもの2つまとめてブランドはBIBLIOPHILIC。いつからか丸善ジュンク堂系列の書店でこのブランドの小物を扱うようになり、犬派の私は商品に刻まれた猫マークに不満がありつつも、そのシンプルさに惹かれてカバーやら栞やらたびたび購入している。生成りの方は、画像だと明るく見えるが、数年の使用を経てそれなりに色は深くなってきた。カバー内側と比較すると、経年変化が味わい深い。染めの違いか、黒の方はしっとり感がやや強め。革小物はあれこれと揃えているが、ケアにはそれほど気を遣っていない。革靴やら鞄の都合で、皮革用オイルが自宅にある時はそれを使うし、なければマッサージ用のホホバオイルをごくたまに塗り込むくらい。あとは手に取るたびに撫で回して楽しむ程度だ。
・ジーンズカバー/青
LUDDITEの、ゴワゴワした布カバー。タフだしラフだから持ち歩くのは大抵これ。それにしてもラダイトは私の好みを的確に突いてくる。思えばユナイテッドビーズの時代から帆布ペンケースを愛用していたし、最近ではシステム手帳やシャーペンもラダイトを買ってしまったぞ私は。もう一つラダイトの布製ブックカバーで、グレイのものを持っていた気もするがちょっと見当たらないので親類にでもあげてしまったかもしれない。
・ウールカバー/白黒
これまたBIBLIOPHILIC。タータンチェックに一目惚れし、最も落ち着いた色合いのものを選んだ。どう見てもオシャレさんなので、塾の生徒に最も評判が良いブックカバーとしておなじみ。私は羊にまつわるあらゆるものが大好きである。好物はラム肉だし特技は羊の鳴き真似だ。神様が気まぐれで主にユーラシア大陸東部で観察される生物を対象に上位12位までを表彰するレースを開催した場合、私は断固として羊を応援する。とりわけて猿、鶏、犬、猪には絶対に負けてほしくないし、あわよくば馬にも勝ってほしい。
冬場は衣服も羊一色。ウールの肌着上下にウールの腹巻きで体幹を保温し尽くした挙句、ウールの靴下を履いてウールのセーターまで羽織るのだからこれはもう村上春樹以来の羊男を名乗っても良いのではないか。外出時にはさらにウールのニット帽を被り、ウールのネックウォーマーを着用することもある。そして手元にはウールのブックカバー。もしかしたら実際の羊よりも毛量が多いかもしれない。
本記事作成にあたり、ついでに家中の革小物を再確認してみたところ、システム手帳はバイブルサイズばかり5冊あることが判明した。スケジュールよりも手帳の方が多いおそれがある。革の栞は2つ、ノートカバーも2種あった。ペンケースは数える気にもならない。いつの間に我が家は革まみれになってしまったのか。そういえばギター用のセーム革も何枚かあるはずだ。
牛革ばかりでモー大変だけど、ウール製品と同様にメーメーを大事にしていこう。(突然の偶蹄類ギャグ)