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MRIで見た走馬灯 乳がんに近づく 8月 「魔女になる日 さよならおっぱい」7
乳がんに近づく 8月
〈MRIで見た走馬灯〉
8月1日朝9時半、P病院の地下にある検査室に行く。MRIの予約日だった。
母乳育児のころ乳腺炎を繰り返した私の胸は、乳がん健診で「要精密検査」となることがこれまでにもあった。精密検査を受けると「異常なし、乳腺炎の痕」ということが続いた。
今回はそうではない。医師も検査技師もがんを疑っている。人が言葉で伝えることは多くない。言語化されること、意識されることが氷山の一角なら、人の認識や思考の裾野には広大な無意識が広がっている。
医師や検査技師が言語化しないが、すでに知っている確信、無意識の経験値を、すでに私は感じ取っている。乳房にがんがあることを確認するために、私は検査を受ける。
MRIの機器の上に上半身裸になりうつ伏せになる。ヘッドホンで塞がれた耳に、心地よい音楽がかけられているのは、MRIの機器が大きな音を出し続けているからだ。その音は規則的な地響きのようで、胎児が聞いている胎内の音に似ているように思えた。
病院は、彼岸でも此岸でもない生と死の中間の場所だ。病する人間は、向こう岸に行ってしまうこともあれば、こちら側に留まることもある。私の魂が肉体からあくがれ出るように、私の中心に「私」が留まらない。「私」は、無意識の広大な海を漂いはじめた。
すると、ふいに私を載せたベッドが前方にスライドした。検査が始まっている。
記憶がよみがえるのを感じていた。まだ経験していない記憶である。
それは、火葬場で炉に入れられるときに、前方にスライドされていく記憶だった。私はいつか死んでいたのかもしれない。
火がつけられた。
そのとき、息子を産んだ分娩室で、産まれたばかりの赤ちゃんの息子を胸に載せられたときの潮のような匂いが私に漂ってきた。湿っている赤ちゃんの髪の毛。鼻先にあたたかな海水のような羊水の匂いを感じながら、私は赤ちゃんのちいさな胴体を両手で包み「顔を見せて」と言って、上に持ち上げた。
「えっ、えっ」と、赤ちゃんが声を発する。
「はじめまして」と、私は言う。
私の記憶は、少し成長した赤ちゃんと目を合わせている。
「Kちゃんはすごい赤ちゃんだね」
息子が赤ちゃんのころ、いつも彼にかけていた言葉だった。赤ちゃんの息子が、うれしそうに笑った。私から涙があふれていた。
That is my life. It is OK.
傷みに沈む日の記憶は霧消し、私は世界と和解していた。
10代、20代の息子と娘を遺して逝った叔母の洋子さん。貴女がいなくなって20年、貴女の子どもたちは親がいなくてもちゃんと大人になって、働いて子育てをして、懸命に生きている。大丈夫ですよ。
だから、いつか私が去る日があっても、私の子も、日々関わり合っている学生たちも、ちゃんと大人になっていきますよね。
Life goes on.
私の肉体が不在となっても、私個人のいのちの時間を超えたlife、命脈ともいえる時の水脈は、夜明け前の朝焼けとともに、新しい朝を繰り返していく。
若い人たちは時に、生き難い、苦しい苦しい、というけれど、大丈夫だから。もう生きられないと思う日があったとしても「生きねば」ね。