フェミ夜のエッセイ「卵」「魔女になる日 さよならおっぱい」9
80年代初頭のある女子校の性教育
半世紀を生きたころから、排卵周期が早くなった。28日ではなく、3週間、2週間と、最後の卵を断捨離するかのように。終わりの時が近づいているのだと思う。痛み止めを飲みながら終わりの時を待つ。
女性は生まれたときに原始卵胞を卵巣に200万個宿している。初潮を迎える少し前、女子校の中1の保健体育の授業で、女子大を卒業した女性の体育教師、K先生が教えてくれた。80年代前半のことだ。
200万個! 毎月毎月子宮に卵を準備して精子を待つなんて、なんて大変なのだろうと、薄っぺらい背中の私たちは思った。初めてのブラジャーをどのようにして購入してよいかわからない、そんな少女のころ。
「彼に君がほしいと言われたら、梅毒かもしれませんから、血液検査に行こうっていうんですよ。結婚するまで処女でいなければなりません!」
80年代初頭の性教育。処女膜信仰。処女膜なんてどんなものかも知らない。自分のヴァギナすら見たことがない10代の女の子たちは、夏の軽井沢の学校の別荘での合宿の夜、タンポンを使ったら処女膜が破れてしまうのか、心配しあった。そして、少女たちは処女膜が破れたら結婚できなくなるのではないか、初めてのその人と結婚しなくてはならないのではないかと、思い込んだ。結婚以外に女が生きていく方法を、まだあまり知らなかった。
薄っぺらい背中のセーラー服であっても、それは満員電車でどこからか伸びてくる汗ばんだ太い汚い指の欲望の対象になる。私たちは鞄の淵に待ち針を並べてさした。太い指が伸びてきたときに、刺すため。登校してスカートを汚されたと泣いている友人の話を聴いて、顔から火が出るくらいに自分事のように思って、みんな泣いた。そんな精子が子宮に入ってくるなんて許せない。カッターを鞄に忍ばせた。
初潮は、「あれ」という隠語の体調不良と、トイレにもっていくポーチとなって、憂鬱を連れてきた。ああ、200万個。そのたびに思った。
K先生の保健体育の授業が終わった挨拶のあと、教壇を去ろうとする先生のもとに走って行って、Mちゃんと私は訊いた。
「先生は処女なんですか⁉」
当時40代でシングルだった小松原先生は、「そうです!」と誇らしげに答えた。「卵が無駄になっちゃうから、結婚して子どもを産みたかった」とも。Mちゃんと私は黙った。
80年代はまだ、女性は結婚して子ども産むのだという時代の意識が強かった。教師の激務に、女性の先生方はシングルの方たちばかり、先生方がシングルであること、子どもがないことにどこか負い目を感じている発言を言葉の端々に聞くことがあった。私は先生たちの凛とした美しい背中と敬意と愛情に満ちたまなざしに育てられたのに。
私たちは「産む産まないは私が決める」というイデオロギーによって、一見自由になった。でも、産んでも産まなくとも不自由だった。
命がけで産んだ子どもたちの世代は、生き難さを語り、反出生主義を主張する。私の母は「子どもなんか産まなければよかった」と言い続けた人だったから、私が遅く産んだのは、本当に大チャレンジだった。太宰のように「生まれてすみません」とはならないのは、ウーマンリブのおかげである。
私は宇宙に産み落とされたと思うことにした。だから、私は子どもを未来に向けて産んでみた。ロケットのように。ウーマンリブの田中美津さんのおかげだ。自由に空を飛びまわれるように、息子を育てている。
結婚してもしなくとも、先生の言う「幸せにしてくれる」王子様は現れない。白馬の王子様はそのころから落馬していたんですよ、先生。
その代わり、欲望される10代から30代の身体のころ、おぞましいくらいのセクシュアルハラスメント、性差別、性暴力、侮辱にあった。
おばさんになれば「ばばあ」と言われることもある。ばばあ上等。山姥と言いなさい。あなたは知らないかもしれないけれど、私は覚悟が違うんだ。身一つで女の体と心で、ここまでサバイバルしてきたんだ。
どうやら若い男子にまで、女というだけで見下げられることがあるらしい。日本の文学において、山姥が何を表象していたのか、老いた女たちがどのように描かれてきたのか、議論しよう。
女の体と心であることを痛むたびに、女子校の教師たちの、美しく凛と誇り高い背中と声を思い出した。貴女たちのように在りたかった。
社会に出て働き、傷つき疲れて、35歳も過ぎてから女子校に戻るように母校で働いていたことがある。
意欲と活力と志のある優秀な女子たちを育てるのはやりがいのある仕事で、未来を創ること。私たちが届かなかったこと、進めなかったところをも、突破していけ。少しだけでも歩きやすくなるように、素手で土を耕し、高い草を切り倒しておくから。
200万個の卵がそろそろ尽きようとしているようです、K先生。
貴女の性教育は少し間違っていました。でも、感謝しています。
私たちはやっと自由に、魔女のように、山姥のようになれますよね。
あなたが最近お亡くなりになったと、恩師のひとりから聞きました。
本当に魔女になってしまったのですね。