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出会いにありがとう『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』喜多川 泰【読書レビュー】

喜多川泰さんの本は、どれも好きだ。
小学生の頃に本に出会って、何度も希望を教えてくれた。
どんなふうに生きればいいのか迷ったときには、必ず喜多川泰さんの本を手に取っていた。

ただ、中高生にはよく読んでいたが、大人になった今ではめっきり読むことはなかった。しかし、図書館で懐かしい背表紙を見て、もう一回読み直すことに決めた。

そこで第一弾、『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』から話していきたい。

一人の高校生のちょっとした嘘からはじまる旅、人の生きることは何かをいろんな出会いから教えてくれる。
この本で、もしも路頭に迷ったこうしよって学んだこともあった。
おかげさまで、もしこの事業に失敗しても、大丈夫だから挑戦する気概を持てた。
誰しも、失敗を怖がるが、失敗をしてもこうすれば生きていけるかって思うと案外、失敗を恐れる必要もなくなる。

プロのヒモになることや、人の色眼鏡などなど、人の出会いから社会や人生について教えてくれるのだ。

ただ、教訓めいたことで終わらない。
物語で、高校生は人として試されるし、磨かれていく。
ありがたいことに、読んでいる人も物語に巻き込まれていくように。

この物語はタイトルにあるように、「人の出会い」がテーマだ。

もちろん、出会いがあれば、別れがある。
でも、また会おうって、人との繋がりが広がっていく。

私も人との出会いによって、何度も影響を受け、人生を変えてきた。

一例として、小学校の司書さんとの出会いがあった。

小学生の時、よく図書館に行っていた。
本を読むというよりは、本をどれほど借りれるかを友人と競っていた。
1回に借りれる本には限りがあるため、ほぼ毎日図書館にいくことが習慣になっていた。

ただ、こんなに図書館に通っているものだから、司書さんに目をつけられる。本好きだと思われたらしい。でも、当時はそこまで読書に興味はなく、それより友達とケイドロすることが楽しみだった。

図書館に行くたびに、新刊や司書さんのおすすめの本を教えられた。
ただ借りるだけだと、次に図書館に来た時に感想を言えないので、読書をする習慣が生まれた。

私は、最初はイヤイヤだったけども、どんどん読書にハマっていった。
司書さんの目論見通り、すっかり本の虫状態になった。
ただ、読むことは好きになったが、書くことは好きではなかった。

読書感想文はいつも「おもしろかった。」だけで終わる。
司書さんにも読まれる読書感想文は、とても嫌いだった。
なぜなら、本を読んでいるのに結局これだけ…?ってガッカリされたくなかったから。

でも、司書さんはいつも私の読書感想文に二重丸をくれた。
「面白かったんなら、よし!」と。
その時は唖然としていたが、本を読んで面白かった経験をしたことが嬉しいと言ってくれた。まあ、もっと具体的に面白かったとこ教えてよ。ともアドバイスもくれた。

こんな天晴れな大人がいるんだなあっと思ったし、私は人を勝手に決めつけていたことに気づいた。
先生だから、えらいし怖いし、厳しいという固定概念を壊してくれた人でもあった。

小学生の時、司書と教師の違いも分からなかったから、学校にいる大人はみんな先生だったのだ。
だから、大人=すごい人(怖い、厳しい)という感じで。

それから、できるだけ人の思い込みを持たずに、自分のことを伝えてみることした。
このことがどれだけ、私の生きやすさを変えてくれたことか。
私はいつも誰かの顔を窺っていた。

小さい頃から、兄弟、従兄弟、親戚など多くの人と生活してきたためか、身についたスキルだと思う。
しかし、過度に人の顔を窺うことが、気持ちの負荷につながってもいた。
特に、親を含めて、大人にはいい顔をするべきだと、自分の意見ではなく、相手がどのような答えを望んでいるのかを考えていた。

でも、司書さんのように寛容、ある意味、適当な大人に出会って、少し楽に自分の意見を言ってもいいと思えるようになった。

大人になった今でも、心が解れた瞬間だと思う。
私がまた会いたいと思える人。

今までの私は、多くの人と出会い別れてた。
そして、これからも多くの人に出会って別れていくのだろう。
別れたとしても、私の記憶や学びの血肉になって私を作り上げていくのだ。

この本を読んで、旅に出たくなるし、人との出会いと温かさに触れられる。
喜多川泰さんの本は、物語で人に厳しさと希望を与えてくれる。
また、この方の本のレビューをあげたいと思っています。




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飛鳥井はる
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