「ごめんなさい」は強要されて言うものなのか?
なんでも実験したいお年頃の長男。
食事をしていても、イスの上からお味噌汁の具やシラスなどを落とすことにはまっている。
最近は、落とした後に「あーあ」と言い、やってはいけないことと多少理解しながらも、落とすのが楽しいのか?
それとも、落とした時の大人の反応がおもしろいのか?理由はわからないが、食事の後はたいてい床掃除の毎日である。
そんな長男。
白いご飯はお茶碗からではなく、小さく丸めたおにぎりにしないとなかなか食べない。
しかも、一旦「ごちそうさま」とし、イスから降りた後に、テーブルに置いてあるおにぎりを一つずつ手にとっては口にいれ、遊び、口に入れは遊び、と繰り返す。
私の実家にいたある日、長男がおにぎりを手のひらの中でぎゅっとつぶした。
それを見た母が「それはダメです!」「やめてください」と強気で注意をした。
椅子から食べ物を落としても注意をしないのに(いや、初期の頃はしていたかもしれない。けれど、私が好きにやらしてあげて。と伝えたからやめてくれていた気もしてくる)急に上から言ってきた。
それに対して長男は、つぶれた米粒のついたベトベトした手で床や柱を触りだす。
まるで、母の言葉に反抗しているかのようだった。
その行為を見た母は長男に「ごめんなさいは?」と言う始末。
側にいた私と父は似た考えなのか、やってもしょうがないよ。の空気を出し、「ごめんなさいって形だけで言っても(って、まだ長男はそこまで話せる年齢でもないのだが)しょうがないと思う」と伝える。
どことなく、母vs父と私の構図が出来上がっていた。
考え方の違いはあって当然のこと。
ただ、私は母の言葉と態度がどうしても気になった。
何を基準にしているのか?
ごはんだって、拭けば問題ないというのに、なぜやってはいけないのか?
その理由が見えてこない。
加えて、「ダメです」「やめてください」という命令形。
もちろん、必要な時もあるが、やはり言い方が気に入らない。
なぜ、あなたの言う通りにしなければいけないのですか?と、反発心が生まれてくる。
そして、今の私とつながった。
私は、そんな母に育てられてここまで来た。
しかし、大人になっても母に何かアドバイスのようなことを言われると「うるさい…」と素直に受けとれない自分がいる。
素直に受けとったら、ただ言いなりになった気がして、嫌なのだ。
理不尽に思える注意なんて、なおさら嫌になる。
「なんで、あなたに言われないといけないの?」と反発心を促すだけの、逆効果の注意。
その時って、自分が見下されているような立場関係と、強制力を感じるからなのかもしれない。
父がこの時言っていた。
「あすかはごめんなさいが言えない子だったからな」と。
なるほど。
言えないのではなく、言いたくなかったんだ。きっと。
言ったら、自分に非があることを認め、母が正しいということになる。
子どもながらに、理不尽さに反抗していたんだ。
「ごめんなさい」は強要されてするものではないと思っている。
むしろ、「ごめんなさい」と言葉だけで言えばいいのなら、その場しのぎで言っておしまいにだってできてしまうだろう。
そんなの意味があるとは思えない。
自分が悪いことをしたと感じたときに、自らの気持ちを表現するために言えれば、それでいいはずだ。
子どもに「ごめんなさい」を教えるのは、言うことを促すのではなく、普段の親の背中を見て学んでもらえればいいんだ。
少なくとも、私はそんな親でありたい。
だからこそ、息子に対しても申し訳ないことをしたと思ったときなどは、ごまかさずに伝えるようにしている。
母は反面教師として。「『ごめんなさい』は?」とは決して言わないようにしていこうと心に誓ったのだった。