お母さんになってしまった
いつの間にか、お母さんになってしまっていた。
現在は1歳8か月と5か月の男児二人の母である。
今も横で次男が気持ちよさそうにお昼寝している。
私は母になりたいと思ったことはなかった。
多分、母親という生き物に対して良いイメージがなく、「大変そう」「自分の時間がなくなる」「自分を犠牲にしないといけない」などのマイナス面ばかりが見えていた。
29歳で結婚はしたものの、旦那さんとも家族計画の話は一切したことなく、子どもができたらできたらで。と、神様にお任せで流れに身を任せているだけだった。
31歳になったばかりのクリスマスに妊娠が発覚した。
喜びというよりも、「ついに来てしまったのか…」という、なんとも言えない気持ちだった。
避妊をしていたわけではないから、いつ授かっても不思議ではないのだけれど、本当に自分が妊娠するとは想像してなかったから笑ってしまう。
妊娠したからには、出産がある。
もちろん、出産までの妊娠期間も長い。
自分の身体の変化とともに、お腹の中で動くまだ見ぬ我が子とふれあいながら、少しずつだが、気持ちも変化していった。
妊娠してすぐに出産だったら、私の心は追いつかなかっただろう。
幸いなことに、結婚前から自分の母親世代やそれよりちょっと下の30~50代の女性の友達も多く、子育てに対しては、マイナスイメージから実は面白いものかもしれない。というプラスのイメージをたくさん頂いていた。
この変化も相まって、生まれてくる予定の長男が『やっとママの準備ができたみたい。よし、地球に行こう!』とタイミングばっちりに来たのではないかと思っている(お話できるようになって胎内記憶があったら、聞いてみたいものです)。
妊娠し、出産という第一回のゴールまで休むことなく進んでいく。
そして、出産というゴールを迎えたとたん、「お母さん」という長い長い道のりがスタートしていく。生まれた息子たちにとっては、私は「お母さん」であるのだから、自動的になってしまったというわけだ。
「お母さん」はひとつの役割であり、「お母さん」になったからといって、私という人間が変わることはない。
けれど、出産する前の、結婚する前の私は、「お母さん」になったら自分をなくしていく恐怖があったのだと、振り返ってみて思う。
それだけ「お母さん」という存在が大きくもあり、影響力があるものなのかもしれない。
「お母さん」になってしまったが、「お母さん」にならしてもらった。という喜びも増えてきている。
「お母さん」以上におもしろいことはないのではないか?と思い始めている今日この頃。
わたしのままで「お母さん」をする。
その楽しみと面白さとふがいなさと、そんなことをこれから綴っていきます。