散歩道/JUDY AND MARYの「タマシイも枯れちゃうわ」から思うこと
散歩道はドラマのエンディングテーマ曲でした。
20代前半に初めて聴いた時は、四季の移り変わりが美しい言葉とメロディに込められているなぁと感じ、好きな曲の1つとなりました。
散歩道の最初のフレーズはご存知でしょうか?
頑張ろうと思っても頑張れない時や、体を休めても気力がわかない時に、何となくこのフレーズを口ずさんでいます。
「タマシイも枯れちゃうわ」について追求したことはなかったのですが、そこがわかれば気力が満たされ、身体も動くのではないかとフト思ったのです。
タマシイって何だろう
タマシイ…魂とは何なのでしょうか。
あるような、ないような。
わかるような、わからないような。
魂は枯れるのか
Google検索で「魂が枯れる」という言葉はヒットしませんでしたが、「気が枯れる」=「ケガレ(穢れ)」が近いのかなと感じます。
タマシイが枯れるとは
散歩道は、「そんなふうに求めてばっかりじゃ」で始まります。
求めるとは、物質的に「アレが欲しい」だったり、相手に「こうして欲しい」、もしくは自分に「こうあるべき」というパターンが考えられます。
つまり自我が強い時にタマシイが枯れる、つまり穢れるのかなと感じます。
自分の感覚から離れてしまい、誰かの物差しで優劣や善悪を決めて、知らぬ間に疲れている、そんな状態でしょうか。
ここに「我慢のしすぎ」も当てはまるのかもしれません。
自分の感覚では、何をしたら心と身体が軽くなるかわかっているのに、謎のブレーキによって止めてしまう。
自分の気持ちに嘘をつき続けると、気力がわかず体も怠いままになってしまう。
自分の気持ちに素直になることが、魂をキレイに保つ方法かもしれませんね。
魂を磨く
魂が穢れないようにするには、魂を磨き続けることが必要なのでしょう。
自分の感覚に任せて、抗わず、目標だけは決めておき後は流れに身を委ねる。
河をぷか〜っと浮いて流れていく感覚です。
自然体で過ごし、時に一生懸命になる。
そうすると魂は磨かれていくのではないでしょうか。
魂はどこへ行くのか
医師の矢作直樹さんが、肉体が死を迎えた後の魂について書いた記事を引用します。
今生で役目を果たした肉体とは一旦別れることになりますが、魂は滅びないということです。
次の人生のことはわかりません。
しかし美しく磨いた魂を持った次の人生でも、私らしく、楽しく充実した生活を送っていたらいいなと思います。