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『ピーター・パンとウェンディ』を読んで

 ディズニープラスに加入したことによって、ディズニー作品について興味が湧き、普段はTwitterに感想をちょこちょこ投稿している“あす なろか”と申します。……が、この本の感想は到底140字では収まりそうになかったので、noteを始めてみました。個人的にキュンときた文章を添えながら感想を述べていきます。思ったことをつらつらと書くだけなのでまとまりがないかもしれませんが、最後までお付き合いいただけると幸いです。




今回読んだ本


ピーター・パンとウェンディ
J・M・バリー著、石井桃子訳、F・D・ベッドフォード画、
1972年、福音館書店

 元々は1904年にロンドンで発表された劇『ピーター・パン――大人にならない少年』(Peter Pan; or, the Boy Who Wouldn't Grow Up)で、劇作家であり小説家であったジェイムズ・マシュー・バリーが1911年に物語として改めた小説『ピーターとウェンディ』(Peter and Wendy)です。
 また、1953年にディズニーによってアニメーション映画化され、ご存知の方も多いと思います。






キスを知らないピーター

 まずはこちらの文章をご覧ください。

「まあ、あなた、キスってどんなものか、知ってるんでしょう?」びっくりして、ウェンディが聞きました。
「だから、きみがそれをぼくにくれれば、ぼく、わかるよ」ピーターは、ちょっとプンとして言いました。
ピーター・パンとウェンディ pp.47-48

 ピーターがウェンディたち眠る子ども部屋に飛びこんでくる場面。ピーターと初めてあったウェンディが「あら、こいついいヤツじゃない」とキスをしてあげもいい気持ちになるのですが(さすが女の子、おませさんですね)、肝心のキスを知らないピーター。大人がする情熱的なキスをまだ知らない純潔さを表す一方、お父さんお母さんからの温かなキスを知らない孤独さも感じました。正真正銘、ピーターは永遠に子どもで、しかし誰からも育てられていないのです。ピーターの背景がわかるやりとりでした。
 結局、ウェンディは指ぬきを、ピーターはドングリのボタンをプレゼント――キスをかわしあいます。


ピーターの眠る姿

 次は、ウェンディ達がネヴァーランドから帰るために地下の家を出た終盤の場面。泣いてしまいそうなのほど悲しいのに、あべこべに笑い眠ってしまったピーターの描写です。

片方のうでは、ベッドからたれ、片方のひざをたて、まだ笑いきらない笑いのおわりが、唇に立ち往生し、その唇はあいて、そこから小さな真珠がのぞいていました。
ピーター・パンとウェンディ p.227

 綺麗な文章フェチの私からすると、真珠…いえ、涎が出るほど好きな文章でした🤤 涎すら真珠と書くあたり、子どもの無垢さを表現していますね。
 私は、好みの文章をノートに書き留めているのですが、この文章は好きすぎてグルグルと印をつけています。


愛らしい“見物人”

 ピーターはウェンディたちをネヴァーランドへ、語り部は私たち読者を物語へと連れていきます。この物語の語り部はあくまでも“見物人”であることをわきまえていましたが、とても愛らしい存在でした。ウェンディたちがネヴァーランドから家に帰る際も、ウェンディのお母さん(ダーリング夫人)に先に知らせようかとうずうずしていました。なんとおちゃめなんでしょうか!

 いま私が、とてもしたくてたまらないことがあります。それは、いままでも作家たちがやったように、子どもたちは帰ってきますよ、ほんとうに来週の木曜日にはここへくるのですよ、と、ダーリング夫人に告げることです。
ピーター・パンとウェンディ p.278

 しかし、ダーリング夫人が帰ってくることを知らずとも、子どもたちのことを信じて毎晩窓を開けて待っていました。語り部はそんな夫人の献身的な母の姿に告げることは無粋だと、ことの末を見届けることにしました。
 読書のリハビリ中でなかなかの文章量かつその文章も童話的、イギリスの洒落た文章に全て読み終えれるか最初は不安でした。が、この愛らしい“見物人”のおかげでウェンディたちの冒険を最後まで見守るできました。




最後に


 その他にもピーターのお母さんへの思いや、フック船長のピーターへのコンプレックスも深く書き表されていました。ネヴァーランドに住む子どもたちは大きくなりかけるとピーターにまびかれてしまうとか…とか……。
 そんな子どものほの暗さも味わいながら、ぜひ大人になってしまった皆さんに読んでただきたい一冊です。


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