火星のテラフォーミング
私たちの住む地球は,太陽のまわりを公転している惑星のひとつです.
太陽は中心部で水素の核融合反応を起こす主系列星と呼ばれる段階にあって,あと数十億年は安定して輝き続けると考えられています.地球はそんな太陽からちょうどよい距離で公転運動をしているため,大量の水が存在していて,生命を育んでくれています.
ただ,これから先もずっと,地球が私たちの住むことのできる惑星であり続けてくれる保証はありません.かつて地球上で繁栄した恐竜が絶滅してしまったように,気候変動や火山活動,巨大隕石の衝突,もしくは人類による深刻な環境破壊など,何らかの要因によって遠くない未来に地球環境が大きく変わってしまって,私たちにとって生きることが困難な惑星になってしまう可能性は否定できません.
そのため,地球以外の惑星やその衛星を,生命が生きていくことのできる惑星に改変する能力は,太陽系で生命が存続し続けていく上で重要と考えられます.そうした改変のことはテラフォーミングと呼ばれていて,惑星科学や工学といった幅広い分野の知見をもとに,さまざまな可能性が議論されています.
今回はその中で,地球によく似た惑星とされる火星のテラフォーミングについて紹介していきます.
火星の性質
まずは現在の火星の性質について簡単に見ていきます.
火星は太陽系において地球のひとつ外側を公転する惑星です.自転の周期は地球とほぼ同じため,火星での一日の長さは地球とほぼ同じです.自転軸の傾きも地球とほぼ同じため,地球のような季節変化があると考えられます.
ただ,地球と違って火星の気温はきわめて低く,めったに摂氏0度を超えることはありません.太陽が沈んだ後の気温は摂氏マイナス130度ほどにまで下がることもあるため,実際に住む場合には凍死してしまう危険と常に隣り合わせという状況になります.
また,火星の大気はとても薄く,磁場はとても弱いため,人体にとって有害な宇宙からの放射線が地表へと降り注ぎます.そのため,有害な放射線から身を守るために,地面を掘って地下シェルターを作る必要があるかもしれません.
その際,地下を1メートルほど掘れば永久凍土層に当たると考えられています.もしそうなら,掘り出した氷を解かして精製することで,飲み水程度であれば確保できるでしょうし,呼吸に使うための酸素を取り出すことも可能とされています.
火星の北極と南極に着目すると,そこには大量の水や二酸化炭素が固体となった極冠(きょくかん)と呼ばれる領域があります.極冠の氷をうまく解かすことで大量の水や二酸化炭素が得られれば,火星の環境を大きく変えられる可能性があります.
また,極冠以外の火星の表面は全体的に赤っぽく見えますが,それは火星の表面にある岩石や砂が酸化鉄(錆びた鉄)をたくさん含んでいるためです.鉄を含む火星の土は,現地での建築資材として重宝されると期待されます.
温室効果ガスにより水の流れる温暖な気候へ
では,そうした火星の環境を生命が生きていくことのできるものに変えるためには,何をする必要があるでしょうか.
まずは現地でのテラフォーミングを主導する少人数の宇宙飛行士を派遣する必要があるでしょう.宇宙飛行士たちが活動するための基地の建設には,初期の頃は地球からの物資を使う必要があるでしょうが,地球から送るには莫大なコストがかかりますから,次第に現地で調達していけるような仕組みを考える必要があります.
幸い火星には大量の酸化鉄がありますから,鉄の資材についてはそれをうまく利用すると良さそうです.火星の土や石をそのまま3Dプリンターに流し込んで基地を建てることも検討されています.
また,電力については,火星の広大な土地に降り注ぐ太陽エネルギーを活かして,太陽光発電によって供給できる体制を構築できると良さそうです.
そしてテラフォーミングの最初の困難なステップは,火星の大気をゆっくり暖めて液体の水が流れるような気候へと変えることです.液体の水が流れるようになれば農業への道が開かれ,自給自足できる未来へとつながります.
火星の気温を上げるための有力な方法の一つは,温室効果ガスの注入です.温室効果ガスは,地球上では近年排出されすぎたため削減目標が掲げられていますが,気温の低すぎる火星ではむしろ重宝される存在です.火星の大気にメタンや水蒸気といった温室効果ガスを注入することで人為的に温室効果を引き起こせば,気温の上昇によって火星に残された氷が解けていきます.すると,火星の氷にとらわれていた二酸化炭素も放出され,その温室効果によってさらに気温が上昇するというポジティブなフィードバックがかかると期待されます.
大量の温室効果ガスを地球から火星まで輸送するのは大変なので,現地で調達する方法も検討されています.たとえば,火星の北極と南極にある極冠には大量の水や二酸化炭素からなる氷がありますから,うまく太陽光を集めてこれらを温めて解かせば大量の温室効果ガスが放出されます.具体的には,火星の周回軌道に鏡やソーラーパネルを並べた巨大なシートを静止衛星として送り込んで,それによって太陽光を集めて極冠に向けて放射するという方法が考えられます.もしくは,集めた太陽光エネルギーをうまく変換してマイクロ波として送っても良いかもしれません.
温室効果ガスの放出がうまくいって火星の気温が十分に上昇すると,火星で液体の水が湖や海などとして存在するようになり,やがて川が流れ始めます.川が存在することは,大規模な農業を行うための必要条件とされます.そして農業によって作物を育てることで,その老廃物で土ができ,それがまた次の作物の栄養となります.火星の土にはマグネシウムやナトリウム,カリウム,塩素などといった植物にとって貴重な養分が元々含まれていますから,うまく水を供給することで作物を育てることができると考えられています.そして植物が増えると,火星のテラフォーミングに不可欠な酸素が大気に放出されていくことになります.
酸素を作るという観点では,NASAの先端構想研究所などで火星の厳しい環境条件を再現するような実験室において,シアノバクテリアや藻類といった生物を育てる実験が行なわれています.シアノバクテリアは地球上では30億年ほど前に出現し,地球で初めて酸素を生み出す光合成を行なったとされています.実験の結果,一部の生物は火星の厳しい環境下でも生存できることが示されているため,まずはそうした生物を火星に送り込んで酸素を増やしていけると良さそうです.
遺伝子工学によって,火星のような厳しい環境条件にむしろ適した新種の植物を生み出すことができる可能性もあります.寒冷で希薄な大気のもとでも繁殖できて,大量の酸素を老廃物として放出するような生物ができれば理想的です.
なお,火星表面の地形から,火星の地表にはかつて液体の水が豊富にあって,アメリカほどの広さがある海も存在していたと考えられています.研究者の中には,火星は地球より先に温暖な気候となったため,DNAも火星で先に生じたのではないかと考える人もいます.そして,もしかするとその後,巨大な小天体の衝突によって大量の火星の破片が宇宙空間へと飛び散って,その破片のいくつかが地球に落ちてきて,そこに偶然含まれていた火星のDNAが地球に根付いた可能性もあるのかもしれません.もしそれが正しいとすると,私たちのルーツは火星にあるのかもしれません.
磁場による大気と温暖な気候の維持
十分な大気によって液体の水が存在できるほど火星を温暖にすることができたなら,次はそうした気候を持続させる仕組みが必要になります.そのためには,増加させた大気を維持することが不可欠です.
そもそも火星の大気がとても薄いことの主な原因は,火星の磁場が弱いことです.太陽表面でのフレアやコロナ質量放出によって,太陽からは高いエネルギーを持つ電子や,陽子,ヘリウムイオンといった粒子が放射線として放たれます.磁場がないと太陽からの放射線がそのまま地上へと降り注いでしまうため,大気は放射線によって次第に宇宙空間へと吹き飛ばされてしまいます.そして大気が薄くなって大気圧が下がると,海も蒸発してしまいます.
太陽からの放射線の多くは電荷を帯びていますから,強い磁場をまとっている地球では太陽からの放射線は地表へとまっすぐ到達せず,その進路は曲げられます.そのため,地球の大気は宇宙空間へと吹き飛ばされることなく維持されることになります.
地球の磁場は,地球の北極や南極の方へと流れているため,太陽からの放射線の一部はそれら両極の方へと導かれ,大気中の酸素や窒素を励起します.そうして励起された酸素や窒素からの光は,オーロラとして観測されます.
では,惑星の磁場はなぜ生じるのでしょうか.実は,惑星の磁場はその中心部の液体に含まれている金属が運動して電流が流れることで生じています.地球の中心部では,半減期が数十億年以上のウランやトリウムといった高い放射性を持つ鉱物が十分に存在しているため,それらの核反応による熱によって中心部が溶けたままになっています.そして液体となっている金属が運動することで磁場を生じていると考えられています.
それに対して火星は地球より小さく,その半径は地球の半分程度ですから,体積は10分の1程度です.そのため地球より冷えやすく,実際火星の中心部はすでに固まってしまっていると考えられています.そのため,火星は地球のような強い磁場を生み出すことができないのです.
したがって,火星で温暖な気候を維持するためには,火星のまわりにも磁場を生じさせることが重要です.ただ,安直に考えるとそれは簡単ではないことがわかります.単純に人工的な磁場を発生させようとすると,巨大な超電導コイルを火星の赤道まわりに設置するという方法が考えられます.ただし,それは想像する通りの大事業で,現在の技術で行うことは現実的ではないとされています.実現可能な新しいアイデアが待たれるところです.
今回は火星のテラフォーミングについて簡単に紹介してきましたが,火星だけでなく木星や土星といった巨大ガス惑星の衛星もテラフォーミングの候補地として検討され始めています.さらに,太陽系を超えて別の恒星系にまで生命を送り込むことも議論され始めています.
私たちが生きている間にそうしたプロジェクトが実際に実施されるかはわかりません.ただ,地球においてサステナブルな社会を目指すだけでなく,他の星を生命を育むことのできる新たなオプションとして開拓するテラフォーミングは,長い目で見たときに生命が存続し続けていく上できわめて重要と考えられます.今後の研究開発によって,より実現可能と思われる技術やアイデアが生まれることを期待したいと思います.
参考文献
「人類、宇宙に住む 実現への3つのステップ」
https://amzn.to/2YLKQGR
火星ってどんな惑星なの? - 国立天文台
https://www.nao.ac.jp/astro/basic/mars.html