見出し画像

マリー・アントワネットは当時怪物扱いされていた。フーコーによるフランス革命時の記録の報告

パリオリンピックの時にマリー・アントワネットが斬首された自分の首を持って歌い、音楽はヘビーメタルがかかっていた演出がされていたのを覚えている人も多いだろう。あれはなんだったんだ?
 それに起因してフランス人にとってフランス革命ってどう捉えているんだろうと思ってもそれぞれの主張があるだけでまとまったいい本がありそうもないし、ベルバラに染まるのも史実との照合を考えるとめんどくさいし、と思って放っていた。
 フーコーの講義録(5巻 異常者たち 1974-1975年、筑摩書房、慎改康之訳)を読んでいたら面白いところを見つけたので紹介したい。下記要旨はフーコーの講義の該当部分のテクストをデジタル化してChatGPTに入力し要旨を作成させてみた。プロンプトは「下記の文章を読み込みフランス王室 ルイ家とマリーアントワネットについての事柄を抽出し具体的な事柄を交えて要旨を7パラグラフで作成し、である調でまとめてください。」「怪物的な事柄をもっと強調して」など:

 フランス革命期において、マリーアントワネットは、怪物的存在として描かれた。特に、彼女の「外国人」という出自が彼女を「社会の一員ではない」存在とし、その異質性が怪物性の根拠とされた。この異質性は、彼女がフランス社会との関わりにおいて「猛獣」であり、「自然状態」の存在と見なされた点に表れている。このような描写は、マリーアントワネットがフランスの社会契約に属さず、その支配者として民衆から孤立していたことを象徴している。
 さらに、マリーアントワネットの怪物性は、動物的かつ暴力的なイメージで強調された。例えば、彼女は「ハイエナ」や「雌の虎」として描かれ、特に「いったん血を目にするや、もはや飽くことを知らない」存在とされた。これは、革命の中で彼女が民衆の血を渇望する存在として、支配者でありながらも貪欲に民衆を搾取し、破滅へと導く象徴として位置づけられていたことを示している。
 加えて、マリーアントワネットは「食人鬼」や「人肉食」という極端な表現で描かれた。これらの表現は、彼女の統治が単なる政治的支配を超え、民衆を犠牲にして自らの利害を追求する冷酷な怪物的存在であったことを象徴している。このような描写は、彼女の支配がフランス社会に対して敵対的であり、契約や法を無視する専制的な性格を持っていたことを反映している。
 また、彼女の性的奔放さがその怪物性をさらに強調した。誹謗文書には、マリーアントワネットが「近親相姦」の罪を犯し、幼い頃に兄ヨーゼフ二世に処女を奪われたとまで書かれている。ほかに、自分の姉妹や従兄弟との同性愛かつ近親相姦の罪。彼女は「放埒な女性」として描かれ、その性行動が社会的規範を逸脱し、統治者としての道徳性を完全に失っていると見なされた。このような性的堕落は、彼女の統治の不安定さや無秩序さを象徴し、彼女の権力が正当ではなく、破壊的なものであることを暗示している。
 フランス王家におけるマリーアントワネットの怪物性は、彼女が王妃でありながらフランス社会に敵対し、その存在そのものが契約を破壊する専制君主の極致であることを意味している。彼女の行動や性格は「社会契約の破壊者」として描かれ、革命期のフランス社会において彼女は「怪物的人間」として特に攻撃の対象とされた。彼女の支配は、社会の安定を損なうばかりか、犯罪的な行動によってその破壊を加速させるものとして認識されていた。
 最終的に、マリーアントワネットの怪物性は、フランス革命の文脈で彼女が「反自然的」であり、「厳密な意味においてその出生から死に至るまで怪物であった」という見方に集約される。彼女は「自分の暴力、自分の気まぐれ、自分の反理性」をフランス社会に強要し、その結果、怪物として葬られる運命にあった。

とのことである。
なお引用文のキーのところをそのまま掲載しよう(p107)

こうしたテーマ系について理解していただくために、一つのテクストをご紹介しましょう。それは、革命暦元年に公刊された、『放蕩で醜聞に満ちたマリー・アントワネットの私生活』のなかの一節であり、そこに書かれているのはまさしく、マリー・アントワネットとヨーゼフ二世との関係です。「フランス王妃の初物を手に入れたのは、結局、君主の中でも最も野心に満ちた君主、最も不道徳な人間、レオポルトの兄である。そして、王家の男根がオーストリアの女陰に挿入されたとき、近親相姦への熱情、最も汚らわしい悦び、フランスに対する[正しくは「フランス人に対する」反感、妻としてそして母としての義務への嫌悪、要するに、人間の価値を剥奪して野蛮な獣のレヴェルにまで貶めるすべてのものが、そこでいわば重なり合ったのだ。」

フーコーがこの講義で参照した書物:
マリー・アントワネットの犯罪性については下記
ルヴァスールの「戴冠せる虎」
プリュドームの『フランス王妃の犯罪』
モピノーの「王家においてのみ犯される醜悪な犯罪についての恐るべき物語』(一七九三年の日付をもつ、とフーコーはいう。つまりマリー・アントワネットの処刑された年)
さらに下記の3点で議論を展開している。
『放蕩で醜聞に満ちたマリー・アントワネットの私生活』

  • 革命暦元年に公刊された、マリー・アントワネットに関する誹謗文書。ヨーゼフ二世との関係を描いている。

  • デュポールの刑法典に関する議論

    • 一七九〇年、デュポールが刑法典に関して述べた内容。専制君主と犯罪者の類似性を示唆するもの。

  • サン=ジュストの議論

    • 王の訴訟や処刑に関する議論の中で、専制君主と社会契約の関係を論じたサン=ジュストの言説。1792-1793

このように当時は怪物として弾劾された。絶対王政など崩れそうにないものが崩れた。その際のプロパガンダについては興味が惹かれる。膨大な調査が予想されるのでひとまずここで。まさか、マリー・アントワネットについて近親相姦や人肉食などの怪物性は今ではないと思うが、今でも浪費家であったとか、世論に疎いというのは刷り込まれているだろう。


いいなと思ったら応援しよう!