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精神分析の「告白」の起源(5)フーコーの「知への意志」へ回帰。シャルコーとフロイトのヒステリーの治療は性被害と家族の関係を明るみに出してしまった。
さて前回、
むしろ、自己を語りたいのに社会の抑圧によって語らせてくれない、との考え方は、実は社会システムがこのように語ることを求めていたにもかかわらず、逆転して、私たちの方が語らなければいけない状態に社会システムに操作されてしまった、とフーコーは「性の歴史1巻」で述べている、
というところで終わりました。その続きをフーコーと告白の実例を紹介しながら考えていきましょう。
特に興味深いところをフランス語版の提示とChatGPTでお届けする。日本語翻訳版のページはおそらく旧版である。新版を持ってないので確認できません。
性の歴史 第1巻 知への意志 オリジナルフランス語版p79 日本語該当箇所p82
Qu'on s'imagine combien dut paraître exorbitant, au début du XIIIe siècle, l'ordre donné à tous les chrétiens d'avoir à s'agenouiller une fois l'an au moins pour avouer, sans en omettre une seule, chacune de leurs fautes.
13世紀初頭、すべてのキリスト教徒に対し、「少なくとも年に一度は跪き、自らのすべての罪を一つも漏らさず告白せよ」と命じられたとき、それがどれほど過酷な命令に映ったかを想像してみるがよい。
中世の告白の実例としてアベラールとエロイーズを紹介したい。フーコーはアベラールについては言及していないので私のセレクションである。昔フーコーが来日した折に新倉俊一先生がアベラールのことを聞いてもフーコーは正面から答えずとぼけていた。
さて私の紹介したい告白は第4書簡にある。下記urlから140ページ以降をたどって欲しい。OCRが壊れているようだがそのままにしておきます。
Sed hæc quidem amaritudo veræ pcenitentiae quam rara sit beatus diligenter /148-150/ attendens Ambrosiusl : <<Faciiius, inquit, inveni qui innocentiam servaverunt, quam qui poenitentiam egerunt. >>
In tantum vero illæ, quas pariter exercuimus, amantium voluptates dulces mihi fuerunt, ut nec displicere mihi, nec vix a memoria labi possint. Quocunque loco me vertam, semper se oculis meis cum suis ingerunt desideriis. Nec etiam dormienti suis illusionibus parcunt. Inter ipsa missarum solemnia, ubi purior esse debet oratio, obscena carum voluptatum phantasmata ita sibi penitus miserrimam captivant animam, ut turpitudinibus illus magis quam orationi vacem. Quae quum ingemiscere debeam de commissis, suspiro potius de amissis.
obscena 淫らな
voluptatum 快楽
phantasmata ファンタジー(かな?)
animam 魂 (cor 心臓)
ChatGPT訳
しかし、これは真の悔い改めの苦痛であり、アンブローズが注意深く見ると、非常に稀であると言います。「無罪を守った人よりも、悔い改めた人を見つける方が難しい」と彼は言いました。
しかし、私たちが共に経験した愛の喜びは、私にとって非常に甘く、私はそれらを嫌うことができず、ほとんど記憶から消え去ることができません。どこに行っても、彼らは私の目と願望を引き付けます。彼らは寝ているときにも幻想を見せます。純粋であるはずの祈りがあるミサの典礼の中でも、彼らの淫らな欲望の幻想は、私の魂を不幸にして捕らえます。私は罪に対して泣くべきところ、失われたものに対してため息をつくのです。
畠中尚史訳より 上記後半
眠っている時でも、その幻像は容赦無く私に迫ってまいります。他の時より一層純粋にお祈りをしなくてはならぬミサの盛儀に際してさえも、その歓楽の放縦な映像が憐れな私の魂をすっかりとりこにしてしまい、私はお祈りに専心するよりは恥ずべき思いに耽るのでございます。犯した罪を歎かなくてはならない私ですのに、かえって失われたものへと焦がれているのでございます。
参考に岩波文庫の畠中尚史訳をつけた。興味深いのは赤裸々にまるで現代文学を読んでいるかのように愛がみずみずしく語られる。そして目を引くのが「淫らな」心の中のことは、サタンではなく「私たちが共に経験した愛の喜び」なのである。これまでのちゃぶ台返しなのである。13世紀には告白のフォーマットに乗ってカッシアヌスやベネディクトゥス会則を跳ね除けて、心の中の愛の動きはサタンではなく「愛」と言えるまで醸成できてきているのである。
阿部謹也氏はこのことを「エロイーズは肉体を備えた男女の愛が真に深い愛に向かうことができることをこのような状況の中で語」っていると「西洋中世の男と女」筑摩書房に感動的にまとめている。この本はホーソーンの緋文字で始まりアベラールとエロイーズで終わる。阿部謹也氏のフーコーの引用は「西洋中世の罪と罰」弘文堂の「はじめに」にでている。「告白の強制によって、ヨーロッパにおいては個人と共同体との間に一線がひかれることになった」としている(同書ハードカバー版p6)。(*1)
アベラールとエロイーズの告白論は掘り出すと興味深い。今回は先ほどの続きをエロイーズはこう書いている:
Facile quidem est quemlibet confitendo peccata seipsum accusare, aut etiam in exteriori satisfactione corpus aflligere ; difficillimum vero est a desidcriis maximarum voluptatum avellere animum.
「確かに、自らの罪を告白し自分自身を責めることや、外面的な償いとして身体を苦しめることは容易である。しかし、最も困難なのは、最大の快楽への欲望から心を引き離すことである。」
先ほどからのニュアンスを感じると、エロイーズは修道院長でもあるにも関わらず、もはや告白にはそれほどの価値を感じていないようである。
もう一例、時代が下って、日本の戦国からキリシタン時代にコリャードというカトリック僧が来日し、帰国後に懺悔録をまとめた。かつて岩波文庫で出版されていた。これは以前こちらに2つまとめた。
少し転載しよう。まず教理書は:
第1 ご一体のデウスを敬ひ貴み奉るべし
第2 デウスの貴きみ名にかけて虚しき誓ひすべからず
第3 ご祝日を務め守るべし
第4 父母に孝行すべし
第5 人を殺すべからず
第6 邪淫を犯すべからず
第7 ろう盗すべからず
第8 人に讒言をかくべからず
第9 他のつまを恋すべからず
第10 他物をみだりに望むべからず
これらに対応して罪を語りなさい、と司祭は誘導するようである。するとこのような
某、女房を持ちなたがら、近付きも持ちました。その姿も
夫のある者でおじゃる。そうござれば、二様の妨げがあって、
(中略)
契りのよい仕合せがない時は、それに随って、なり次第、その五体に手を掛け、ロを吸い、抱き、恥を探ること等は思うままにしまする。とかく余に任せていらるると、心得させられよ。また、夫婦の契りの時分にも、あの女に念を掛けてないたことは度々ござった。
という告白が記録され、出版されている。当時の日本語の音が記録されていている意味からも重要だそうだ。性の語りの内容にもびっくりだが。。。
このような微細な記録は特別のものではなく、また、フーコーの研究によれば夫婦間の性生活も告白の対象であるとのことである(肉の告白 新潮社p472)。「当事者の体位、取った態度、仕草、撫で方、快楽の正確な瞬間」が「微に入り細をうがった経過」を記録していたものの、17世紀ごろから赤裸々な表現は出版としては抑えられていったそうである。(性の歴史 1巻 知への意志 新潮社版p27)
これで告白の実例を2例あげた。
さて、フーコーの1巻に戻り近現代に時計の針を進めよう。
性の歴史 第1巻 知への意志
オリジナルフランス語版p84 日本語該当箇所p82
L'aveu a été, et demeure encore aujourd'hui, la matrice générale qui régit la production du discours vrai sur le sexe. Il a été toutefois considérablement transformé. Longtemps, il était resté solidement encastré dans la pratique de la pénitence.
Mais, peu à peu, depuis le protestantisme, la Contre-Réforme, la pédagogie du XVIIIe siècle et la médecine du XIXe, il a perdu sà localisation rituelle et exclusive ; il a diffu sé ; on l'a utilisé dans toute une série de rapports : enfants et parents, élèves et pédagogues, malades et psy-
p85
chiatres, délinquants et experts. Les motivations et les effets qu'on en attend se sont diversifiés, de même que les formes qu'il prend : interrogatoires, consultation s , récits autobiographiques, lettres ; ils sont consignés, transcrits, réunis en dossiers, publiés et commentés. Mais surtout l'aveu s'ouvre, sinon à d'autres domaines, au moins à de nouvelles manières de les parcourir. Il ne s'agit plus seulement de dire ce qui a été faÎt
ChatGPT訳:
告白は、過去から現在に至るまで、性に関する「真理の言説」を生み出す一般的な枠組みとして機能し続けてきた。しかし、その形態は大きく変容してきた。
かつて告白は、厳密に懺悔の実践のなかに組み込まれていた。しかし、プロテスタントの宗教改革やそれに対抗したカトリックの対抗宗教改革、18世紀の教育学、そして19世紀の医学を経て、その儀礼的かつ限定的な枠組みを次第に失い、より広範に拡散していった。
告白は、新たな関係のなかに組み込まれていった——子どもと親、生徒と教師、患者と精神科医、犯罪者と専門家といった関係のなかで機能するようになった。そして、それを動機づける要因や、そこから期待される効果も多様化していった。
告白の形式もまた変化した。尋問、診察、自己物語、手紙など、多様な形態をとるようになった。それらは記録され、書き起こされ、ファイルにまとめられ、さらには出版され、注釈が付されるようになった。
そして何より、告白は新たな領域へと広がっていった。あるいは、これまでと同じ領域においても、新たな方法でその内部を探究する手段となった。もはや、単に「何をしたのか」を語るだけではなくなったのである。
このように、キリスト教における主従関係の包括的な結びつきを強固にするため、告白という指導の実践が発展し、告白録が作成・出版された。さらに、宗教改革や対抗宗教改革を経るうちに、驚くべきことに、この告白のテーマは教育や医学といった学問へと変容していったのである。
一般には、プロテスタントではルターによって告白(懺悔)が否定されたとされる。しかし、プロテスタント圏では日記や自省録を書く習慣が盛んにあり、そこでは自己の内面や神との関係が記される。フーコーによれば、これは中世カトリックにおける告白の概念と対応し、自己と自己の関係、自己と神の関係、さらには自己と倫理との関係が語られる場となる。結果として、告白は「広がっていった」とフーコーは解釈する。
このフーコーの指摘と同様に、「東洋では性は技法であったが、西洋では性を学問にした」という彼の言葉も、多くの関心を引いた。フーコーが「自分はフィクションしか書いていない」ととぼけるのも、このような語りの巧妙さゆえであろう。
もっとも、フーコーは性科学に関する17〜18世紀の学問書を参考文献として挙げており、文学作品としてはディドロの『おしゃべりな宝石(指輪)』やD・H・ロレンスの『翼ある蛇』を取り上げている。この選択は実に「うまい」と思わせるものだ。フーコーの文学への視点はしばしば忘れられがちだが、『性の歴史』第2・3巻ではプラトンの記述を文学作品のように描き、プルタルコスや『エティオピア物語』にも言及するなど、興味深い視点を示している。『おしゃべりな宝石』についても、いずれ紹介したい(下原稿はすでにあるが、エロティックな表現の位置付けに悩んでいたものの、そろそろ整理できそうだ)。
さて、『性の歴史』第1巻に戻る。第3章では、告白と精神分析のつながりが明確に描かれる。新潮社版p.73では、シャルコーからフロイトへと話を展開させ、性とブルジョワ社会、そして近親相姦の関係を巧みに描き出している。
また、フロイト以前のシャルコーによるヒステリー研究では、ヒステリー症状が性的な問題と家庭環境に深く結びついていたため、シャルコーがとりうる態度は「見ないこと、語らないこと」だけだったとフーコーは指摘する(『フーコー講義集成』第4巻『精神医学の権力』1974年2月6日講義、p.403、慎改康之訳)。シャルコー自身は記録を残さないようにしていたが、フーコーは彼の弟子たちのメモを見つけ出し、講義の中で引用している。以下、その一部を紹介しよう。
同書 pp399-400
った。二度目の試みは、彼女が彼に抵抗したため、不完全な結合に終わった。三度目に、Cは、あらゆる種類の約束を彼女の目の前にちらつかせたり、綺麗なドレスを送ったりした後、それでも彼女が身を任せようとしないのを見て、彼女をカミソリで脅した。彼女が怯えているのをいいことに、彼は、彼女にリキュールを飲ませ、服を脱がせ、ベッドに押し倒して、完全な関係を結んだのであった。翌日、ルイーズは苦悩した、等々。
今日の性被害者そのものです。モーツァルトのオペラの「フィガロの結婚」も思い出させますね。このシリーズのその3で取り上げたNHKの「100分de名著 100分でフェニミズム」
でも家庭での性的虐待がブルジョワ社会で起きてシャルコーとそれに続くフロイトはそれを報告しなかったとして、ジュディス・L・ハーマン 「心的外傷と回復」の本を紹介している。これは先のフーコーではシャルコーは語らなかった、としていた。この番組の中では、フロイトもブルジョワ社会で近親相姦が行われている、と語らなかったのは、そんな大事をバラしたら社会に居場所がなくなるからと上野千鶴子氏が語っている(「心的外傷と回復」第1章p14-15)。
精神分析の自由連想法が女性のヒステリーの原因を調べるうちに、性的虐待が家族ぐるみで行われ、それを誰にも言えず苦しんだ女性がヒステリー症状を発しているというように捉えられる。近親相姦的性的虐待が起こるのは現在の家族形態のためであることが精神分析で明らかにされてしまった(*2)。
今日は家族の中の性被害に加え、雇用・労働環境下での性被害の告発が大きな流れとなっている。その記述を見るといい、被害に遭った時、自分の心がどのようになったか、怖くて抵抗できなかった、何が起きてるかわからなかったなど、時間が経つにつれその事実が自己の中でどのように変化していったかも詳らかに語られ、報道される。
さて、フロイトのまとめた症例については福島大学の中野明德先生の「S.フロイトのヒステリー論」(福島大学総合教育研究センター紀要第10号 2011年)
https://ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000004117/19-117.pdf
に詳しい。
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蛾の踊り
クレーはそこに、天を仰ぎ見な
がら上昇してゆこうとする、 女性に擬人化
された蛾の姿を重ねている。 この作品は、
心理学者のユングが著書に引用した統合失
調症の女性による詩 「太陽に向かう蛾」 に
着想を得たものかもしれない。 そこには次
のようにある。 「ただ、 あなたの栄光に近
づくために。 そうして、恍惚のなかひと目
見ることができたのなら、 私は満足して死
ぬことができる。(展覧会の解説より)
せっかくなので、性の歴史1巻の該当部分の原文も見ておこう:
p148
Dans cet espace de jeu, la psychanalyse est venue se loger, mais en modifiant considérablement le régime des inquiétudes et des réassurances. Elle devait bien au début susciter méfiance et hostilité puisque, poussant à la limite la leçon de Charcot, elle entreprenait de parcourir la sexualité des individus hors du contrôle familial; elle mettait au jour cette sexualité elle-mêmes ans la recouvrir par le modèle neurologique ; mieux encore elle mettait en question les relations familiales dan s l'an alyse qu'elle en faisait. M ais voilà que la psychanalyse, qui semblait dans ses modalités techniques placer l'aveu de la sexualité.
p149
hors d e la souveraineté familiale, retrouvait au cœur même de cette sexualité, comme principe de sa formation et chiffre de son intelligibilité, la loi de l'alliance, les jeux mêlés de l'épousaille et de la parenté, l'inceste.
この遊戯の空間において、精神分析はその居場所を見出した。しかし、それは不安と安心のあり方を大きく変容させるものであった。当初、精神分析は疑念や敵意を引き起こさざるを得なかった。それというのも、シャルコーの教えを極限まで推し進め、家族の管理の外側で個人のセクシュアリティを探求しようとしたからである。精神分析は、従来の神経学的モデルによって覆い隠されることなく、セクシュアリティそのものを明るみに出した。さらにそれだけでなく、精神分析はその分析を通じて家族関係そのものを問題化したのである。
ところが、セクシュアリティの告白を技法的に家族の主権の外に置くかのように見えた精神分析は、まさにそのセクシュアリティの核心において、形成の原理であり理解の鍵となるものとして、婚姻の法則、結婚と親族関係が織りなすゲーム、そして近親相姦を再発見することになった。
続いて婚姻の法は告白によって白日の元に晒されたのち贖罪規定書によって罰せられます。性行為が事細かに贖罪規定書に規定されていることが精神分析によって揺さぶられることになります。フーコーはこのようにまとめています。
De la direction de conscience à la p sychanalyse, les dispositifs d'alliance et de sexualité, tournant l'un par rapport à l'autre selon un lent processus
p150
qui a maintenant plus de trois siècles, ont inversé leur position ; dans la pastorale chrétienne, la loi de l'alliance codait cette chair qu'on était
en train de découvrir et elle lui imposait d'entrée de jeu une armature encore juridique ; avec la psychanalyse, c'est la sexualité qui donne corps
et vie aux règles de l'alliance en les saturant de désir.
意識の指導(direction de conscience)から精神分析へと至る過程において、婚姻の装置とセクシュアリティの装置は、互いに対してゆるやかに転回するプロセスを経てきた。このプロセスは、すでに三世紀以上をかけて進行している。
かつてキリスト教的牧会においては、婚姻の法が、発見されつつあった肉体をコード化し、最初からそれに法的な枠組みを課していた。しかし精神分析においては、セクシュアリティこそが、欲望によって婚姻の規則に実体を与え、それに生命を吹き込むものとなっているのである。(新潮社該当箇所第4章p145)
ドゥルーズ=ガタリのアンチ=オイディプスを思い出させる話ですね。わかりにくいまとめですが「しかし精神分析においては、セクシュアリティこそが、欲望によって婚姻の規則に実体を与え、それに生命を吹き込むものとなっているのである。」については新潮社版p142の「罠を仕掛けられた家族は・・・「専門家」に向かって、己が性的苦しみの長い長い訴えを投げる」近辺のことをさしているのかなと考えています。
このテーマは、まさに今、日本社会で進行中の問題でもあります。パンドラの箱は開かれ、芸能人、テレビ会社、学校などの具体例が実名で暴露され、映画化され、そして社会的な裁きを受けるようになっています。女性だけでなく、男性への性被害も明らかになり、さらにアニメ表現に対してもこれまで以上に厳しい目が向けられています。たとえば、あるアニメコマーシャルが、ドラマを見ながら食する快楽を性的快楽であるかのように描いている、しかもそれが、これまでの常法であった、として批判されている事例があるのです。さらにやっとそのようなことを発言できるようになってきたという人も現れています。
性被害の告発に対して、被害者が責められることがある。この構図は、他の社会問題にも見られる。例えば、ブラック・ライブズ・マター運動では、警察による暴力の被害者が正当な裁きを受けられないことが問題となった。裁判でも裁く側が圧倒的に白人であるため黒人が警察に殺意を持って殺されても白人警官は裁かれずにすんでいる。マジョリティがマイノリティの告発,告白を無かったことにする社会。告白を起点に自らの身の危険を覚悟して他者を動かすことが社会的、道徳的、政治闘争であると確信するならばこそ告発は率直で大胆な真理の語り(=パレーシア)の概念となりその実践が重要である。(✳︎3)したがってパレーシアについてはまだまだ考察を続けていきたい。
さらに、芸能界に限らず、実社会で性加害の経歴がある男性に対しても、告発と責任追及の声が高まっている。法的な時効が適用されるか否かについては議論の余地がありますが、これまで免責されてきた側面に光が当てられ、真実を語ることの重要性が改めて強調されている。もはや、かつて加害側に立っていた者が、自己の行為に対して告白し、責任を問われる時代が来るのかもしれません。まさに「悪をなし真実を語る」(✳︎4)その意味で、あなた自身が告白する覚悟を求められる可能性があるのです。
(*1)阿部謹也「西洋中世の男と女」筑摩書房1991 の「聖なる結びつきとしての結婚」p151にエクソモロゲーシスのことが書いてある。p152にはフーコーが出てきます。
(*2)レヴィ=ストロースにより近親相姦のタブーが交差いとこ婚ではなぜ許されるのか、など喧伝されるが、フーコーはこのことを根拠にタブーになどされていない。常に実践されてきた、とインタビューでは述べていた。
性被害の告発。例えば:
https://starsands.com/works/black-box-diaries/%0Ahttps://www.chunichi.co.jp/article/1023300
私はフォトエッセーの内容は見ていないので、どこまで明らかなのかわかっていませんが
男性への性被害が明るみに出た後、芸能事務所がひとつ整理された。
私は芸能ネタは詳しくないのでこれくらいに。
(✳︎3)パレーシアは自らの身を危険に晒してでも率直にあるいは大胆に真理を語り他者を社会的、道徳的、政治的に動かそうとする行為である。ここでは語っていることと心の中で考えていることが一致していることが条件である。
ギリシア的なパレーシアはキュニコス派の闘争的な生と合流して神秘主義の中を息抜きベネディクト会,フランチェスコ会を中継しデカルトで息を吹く返した、近代では革命家、ダンディズムなどの実践があり、アンチプラトン的な生の態度であるとフーコーは主張している。
したがってここで性被害を受けた告発者による発言はそのような社会を変えていく闘争としてのパレーシアと位置付けることができる。
パレーシアはフーコーの正書には出てこず最晩年3年の講義集成の「主体の解釈学」、「自己と他者の統治」、「真理の勇気」で大きく展開されている。フーコーは自己の技術などと合わせてパレーシアについて本を書く予定であったらしい。パレーシアについてのインタビューも残されていないので、私の勝手な推測では、まだパレーシアの方向性を、フィクションとしての面白さ、を決め切っていなかった可能性があるのではないかと考えている。
✳︎4 フーコーの講義録の書籍のタイトル 告白の裁判、医学モデルへの発展、規律訓練と個の主体の形成を論じている。
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