源氏物語の「須磨の巻」とギリシア詩「オデュッセイア」の貴種流離譚の比較 chatGPT活用練習
今週の「光る君へ」が始まるというのに夕食も用意しておらずこの原稿を書いている。さっさと終わらせて食事をさっと作りテレビを見たい。
さて、源氏物語と古代ギリシアのオデュセイアを比較してみた。一条天皇については倉本氏の本を読んだりしたので、それなりに思いつくがギリシアの王政についてよくわからない(ホメロス時代の背景がよくわからない。ネットで調べたがこれといってよくわからない。というか詩の成立時もよくわからないらしい)のでひとまずChatGPTで補ってもらった。したがっておかしな内容かもしれないのでご容赦。私がおかしいと思ったところには手を入れてある。
(なぜこのような比較をしているか?それは光る君への中でまひろ(紫式部)が一条天皇はじめ上位の男たちにパレーシアを遂行するからである(下記リンク参照))
どちらも「貴種流離譚」として、英雄や高貴な人物が社会から隔絶され、厳しい試練を経て再び元の地位を回復するというテーマが共通しているが、その背景にある文化的価値観が物語の進行に大きな影響を与えている。
光源氏の物語は、平安時代中期の貴族社会を反映している。特に、一条天皇(在位:986-1011年)の時代は摂関政治の全盛期であり、実際の政治権力は天皇ではなく、藤原氏の摂政や関白が握っていた。光源氏も、この摂関家の政治的力学の中で浮き沈みを経験している。彼の追放は、当時の権力闘争や陰謀を暗に反映しており、政治的敗北は単なる個人の問題にとどまらず、家系や国家全体の運命に関わるものであった。また、藤原道長のような摂政が宮廷内で絶大な権力を誇った時代には、血統や婚姻が非常に重要な役割を果たしており、光源氏が明石の上との間に生まれた娘(後の明石の中宮)を通じて皇統に復権することも、摂関政治における権力構造を反映している。源氏物語における貴族の政治的試練は、平安時代の権力の流動性や、家系の存続がいかに重要視されていたかを象徴していると言える。
一方、『オデュッセイア』は、古代ギリシアのポリス(都市国家)における政治状況を反映している。古代ギリシアでは、アテネやスパルタなどの都市国家がそれぞれ独自の政治体制を持ち、王権は次第に弱まり、貴族や市民による政治が進展していった。しかし、オデュッセウスの物語は、まだ王が重要な役割を果たしていた時代に設定されている。イタカの王であるオデュッセウスは、トロイ戦争後に故郷に戻ることが家族のためだけでなく、国家の安定を取り戻すためにも重要であった。彼の帰還は単に個人的な冒険の終わりではなく、王としての権威を回復し、国を再統治するという責務を果たすものだ。オデュッセウスが家族と再会し、求婚者たちを排除することは、古代ギリシアにおいて国家の秩序を再建するための象徴的な行為といえる。また、息子テレマコスの成長と王としての役割の継承も、古代ギリシア社会における家系と政治の結びつきを反映しており、父から子への権威の引き継ぎが強調されている。(→家父長制 息子は父になるを嫌でも思い出させる。)
文化的背景の違いが、物語の焦点をどこに置くかに大きな影響を与えている。一条天皇時代の日本では、個人の運命は社会的な枠組みや血統と密接に結びついており、光源氏の物語では彼の流浪が家系や国家全体に影響を与えるという視点で語られている。特に藤原氏のような有力な貴族が政治の実権を握っていたため、光源氏の復権は家系の存続や婚姻を通じて達成される。一方、古代ギリシアでは、個人の力と知恵、そして運命への挑戦が重視され、オデュッセウスの物語では彼の家族と故郷の再生が重要なテーマとなっている。古代ギリシアの王政は、国家全体の秩序を維持するために王が果たす役割を強調しており、オデュッセウスの帰還はその秩序を取り戻す行為として描かれている。
ここまでがいったんchatGPTで仕上げた文章。となるとペネロペの実家はどのような実権を握っていたのか、いないのか、王の権力と官僚制など比較していきたいことが出てきます。源氏物語では子供をつくってしまいますがオデュセウスは色仕掛けのようなことはなかったのか(過去に一度は通読しましたが、忘れてしまい、wikipediaにはそこまで書かれてないので)、それとも怪物は色仕掛けの暗喩なのか。いろいろ疑問は湧いてきます。
文学論ではオデュセイア以降はエティオピア物語、オーカッサンとニコレット、究極的にはジョイスのユリシーズを持ってくるなら源氏物語は何を持ってくる?谷崎潤一郎の細雪?それらを比較すると何か出てくる?今日はここら辺で。
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